#1神界問題、勇者爆誕。
薄暗い空間に、無数の光が浮かんでいる。
それは星ではない。
世界だ。
世界樹ユグドラシルの枝先に実る、それぞれ異なる生命の世界。その中心に存在する神界では、今日もまた膨大な数の魂が管理されていた。
「……だる」
一人の青年が机に突っ伏したまま呟く。
銀色の髪を雑にかき上げ、片手だけで魂の転生処理を続けているその姿は、とても神には見えない。
だが、彼が指を軽く鳴らしただけで、数千、数万の魂が別世界へと移動していく。
生まれ変わり。
転生_下界では奇跡と呼ばれるそれも、神界にとっては単なる業務の一つだった。
「面白いこと起きねぇかなぁ……」
『縁起の悪いことを言わないでください』
間髪入れず、背後から声が飛んだ。振り返るまでもない。
「今のは独り言だぞ、”地球”」
『あなたがろくでもないこと考えてる時は、大体世界が一つくらい壊れるので本当に厄介です』
白い書類の束を抱えた青年――“地球”の神は、呆れたようにため息をつく。彼は下級神だ。
人類文明を管理し、寿命、因果、文明進行を担当している。
対して、俺はそのさらに上。
魂を世界から世界へ移し替える、“転生”を司る上級神である。
『それより、魂番号34791番の転生先、またズレてます』
「え?」
『科学文明世界へ送るはずが、剣と魔法の世界へ飛んでます』
「……適応するだろ」
『雑なんですよ仕事が!』
神界に怒声が響く。しかし周囲の神々は慣れた様子で誰も気にしない。
その時だった。
バンッ!! と大扉が勢いよく開かれる。
『た、大変です……!!』
息を切らしながら、一柱の下級神が飛び込んできた。
顔面蒼白。
その様子に、周囲の空気がわずかに変わる。
『魔王が……止まりません……!』
飛び込んできた下級神は、その場で膝をついた。
周囲で作業していた神々が、わずかに視線を向ける。だが驚きは少ない。
世界の異常など、神界では珍しい話ではなかった。
俺自体、何回も体験している。面倒ごとはゴメンだ。しかし、かわいい部下が困っているなら放ってはおけまい。
「君はどこの世界だっけ?」
俺は机に突っ伏したまま聞く。
『ラグナ世界です……!』
その一言だけだった。
周囲の神々も、
「あぁ、またか」
と言いたげな顔をし、また各々の作業に戻る。
『もう人類圏の三割が滅んでるんですよ!?助けてください!』
「別にいいじゃないか」
『よくありませんよ!?』
地球が即座にツッコむ。
下級神は涙目のまま続けた。
『すでに対処マニュアルは全て試しました!英雄級魂の投入、天災の発生も行いましたが……!』
「効かなかった、と」
『はい……』
神界に短い沈黙が落ちる。上級神である俺はようやく身体を起こした。
漆黒の瞳が、初めて書類以外へ向けられる。
「千年に一度の大規模バグってとこか。まあ珍しいことじゃないな」
世界は完璧ではない。魂の循環。文明の発展。因果の流れ。あらゆる法則は神界によって管理されている。だが、ごく稀に、その管理を外れた“異常”が発生する。
それが今回でいう――魔王。
『聖級神への報告案件でしょうか……』
まっすぐな瞳を向けるラグナ界の下級神。よほど大変なことになっているのだろう。
「んー」
上級神は気だるげに天井を見上げる。そして地球を見つめる。
「めんどいな」
『仕事してください』
「やだ」
『子供ですかあなたは』
『あ、あの……』
半泣きの下級神を前に、地球は深くため息をついた。そして何かを思いついたように口を開く。
『……勇者を投入してはいかがですか?』
「勇者?」
『はい。魔王を倒すためだけの特別個体です』
「またお前んとこの創作文化か?”なろう”だっけか」
『ですが、分かりやすいですよ。“魔王には勇者”です』
上級神は少しだけ興味を示したように目を細めた。
「……続けろ、地球」
上級神が肘をつきながら視線を向けると、地球は一度咳払いをした。
ラグナ世界はすでに限界だった。
神界に存在する対魔王マニュアルは、既に試されている。
それでも止まらない。
ならば、今必要なのは“前例”ではなく、“発想”だった。
『地球の物語では、魔王には勇者をぶつける文化があります』
「文化って……」
『一種の概念兵器みたいなものです。人々の希望を背負った存在は、時に理論を超える力を発揮します』
ラグナ界の下級神は半信半疑の表情を浮かべる。だが上級神である俺だけが、わずかに興味を示していた。退屈そうだった漆黒の瞳が、ほんの少しだけ細められる。
『勇者には、“魔王を倒す”という目的そのものを与えるんです』
「目的特化型魂か」
『はい。かなり極端な調整になりますが』
上級神は椅子にもたれながら天井を見上げた。神界の遥か上空には、世界樹ユグドラシルの枝葉が広がっている。
無数の世界。
無数の命。
その全てを見続けてきた俺ですら、少しだけ面白そうだと思ってしまった。
「……やってみるか」
その一言で決まった。
魂選定。
血統計算。
因果調整。
未来分岐予測。
神界全体が、一つの“勇者”を作り上げるために動き始めた。膨大な術式が神界中央に展開され、無数の文字列が空間を埋め尽くしていく。その中心で、俺は気だるげに片手を動かしていた。正直、作業自体はそこまで難しくない。魂を選び、適切な器へ流し込み、世界の法則に馴染ませる。
いつもの仕事だ。
ただ今回は、やたら周囲が騒がしい。
『座標固定完了!』
『魂適性値、基準を突破しました!』
『勇者因子、正常接続!』
「……文化祭かよ」
『真面目にやってください』
すぐ横から地球の呆れた声が飛んでくる。こいつ、最近ツッコミしかしてないな。まあ、そういう役回りが板についてるから別にいいけど。
俺は転生術式の中心へ視線を向けた。淡い光の中で、一つの魂が静かに揺れている。
特別な魂ではない。
英雄でもなければ、王でもない。
どこにでもいる、ごく普通の魂。
だが――。
『勇者因子との適合率、異常数値です……!』
下級神が驚いたように声を上げる。俺も少しだけ眉を動かした。魂はランダムだ。
偶然か。
それとも必然か。
まあ、どっちでもいい。
面白くなりそうなら、それで。
「流すぞ」
俺が指を鳴らした瞬間、魂が光となってラグナ世界へ落ちていく。神界の視界に、一つの光景が映し出された。
雪の降る夜。
勇者一族の屋敷。
産声。
小さな、小さな命。
紅色の髪を持つ少女だった。
『……女の子?』
「ランダムだからな」
『勇者って普通もっとこう……』
「知らねぇよ」
だが、その小柄な少女の身体には、異常なまでの魔力が宿っていた。
火、水、風、光。
複数属性同時適性。
さらに、歴代勇者を上回る成長予測値。
神界の空気がどよめく。
『成功です……!』
『これなら魔王にも――』
期待。
安堵。
希望。
神々の声を聞きながら、俺は椅子へ深く座り直した。
……さて。
この世界は、どこまで足掻けるか。少しだけ、興味があった。
――そして十五年後。
ラグナ世界、人類最前線。
黒い雲に覆われた魔王城を前に、一人の少女が剣を握っていた。勇者アリス。わずか十五歳。
歴代最速で魔王領へ到達した、人類最大最後の希望。
燃え盛る炎。
崩れ落ちる大地。
空を埋め尽くす魔物。
その全てを突破し、アリスはたった一人で魔王の前へ辿り着いた。神界では、その戦いを静かに見守っていた。誰も口を開かない。
神界の演算を超えた戦闘だった。ただ一つ分かったのは――。勇者は、確かに強かったということ。
何度倒れても立ち上がり、血を流しながら剣を振り続けるその姿は、まさしく“勇者”そのものだった。
……なのに。
届かなかった。
最後に映ったのは。
折れた剣。
崩れ落ちる小さな身体。
そして――。
勇者アリス、死亡確認。
一言だけだった。
その報告が届いた瞬間、神界から音が消えた。誰も口を開かなかった。下級神は青ざめ、報告書を持つ手を震わせている。地球ですら、言葉を失っていた。勇者計画は成功だったはずだ。
アリスは歴代でも最高峰の適性を持ち、わずか十五歳で魔王城へ到達した。
人類史上、最速。最強。希望そのもの。それでも――届かなかった。
「…………」
俺は黙ったまま報告書を眺める。そこに記された最後の記録。勇者アリス、死亡確認。その短い一文を見つめながら、ゆっくりと目を閉じた。不思議だった。たかが一つの魂。数えきれないほど見送ってきた命の一つに過ぎない。本来なら、気に留める価値すらない。
なのに。
妙に、胸の奥が引っかかる。
「……あー」
吐き出された声は、いつもより少し低かった。
「胸糞悪ぃな」
その瞬間、周囲の神々が息を呑む。
上級神が感情を露わにすることなど、ほとんど無かったからだ。
彼はゆっくり立ち上がる。
そして、面倒そうに頭を掻きながら口を開いた。
「聖級神のとこ行くぞ」
『……は?』
最初に反応したのは地球だった。
「ラグナ世界への直接降臨許可もらう」
『いや待ってください!?』
地球の顔色が変わる。神による直接干渉。それは神界でも極めて重い禁則事項だ。下手をすれば世界そのものの均衡が崩れる。
『正気ですか!? 却下されますよ普通!』
「されなかったら行けるってことだろ」
『そういう問題じゃ――』
「あと地球、お前も来い」
『……はい?』
空気が止まった。地球は数秒固まったあと、ゆっくり自分を指差した。
『僕ですか?』
「よっしゃ、決まりだな」
『決まってませんよ!?』
神界中に叫び声が響く。地球は珍しく取り乱していた。
『なんで僕まで行くんですか!下級神ですよ!?戦闘向いてませんよ!?』
「別に戦わせねぇよ」
『じゃあなおさらなんでです!?』
上級神は当然のように言った。
「俺一人で行ったら仕事しねぇだろ、お前」
『…………』
「監視役」
『否定できないのが、、腹立ちます。……』
周囲の神々がざわつく中、上級神はすでに歩き始めていた。向かう先は、神界最上層。
法則そのものを管理する存在――聖級神の領域。
そこは、普段の神々ですら滅多に立ち入ることを許されない場所だった。




