第14話 お別れ。そして返金。
あー、泣いた、泣いた。
おばあちゃんが死んだときも思ったけど、もう立ち直れない、これから生きてけないって思ったはずなのに、時間が経って、私は大丈夫だった。だから今回も平気なはず。ヒモオなんて、知り合ってまだほんのちょっとしか経ってないんだし、どうせ私の片想いだってのは分かってたから。どんなに迫ってもちっともその気になってくれなかったしさ。
ぼーっとする目頭を押さえながら前場に向かう。
デイトレを始める前にポートフォリオを確認する。
何となく分かってた。誰かが広尾フロンティアの株を買い支えてるんじゃないかって。まさか、婚約者って……結婚してるかとは聞いたけど、婚約者がいるかって聞かなかった私が悪い。
「私は私のやるべき事をするのみ、だよね、おばあちゃん」
お守りのおばあちゃんの投資ノートに手を置いて、デイトレを始める。資金が必要だ。出来るだけ早く、たくさん。そんでもって広尾フロンティアの株を買い集めるんだ。
「ふぅ~疲れた」
後場が終わって、今日のトレードは終了。
集中できてた証拠だ。一日があっという間だった。
「お腹減ったな」
お昼をすっ飛ばして作業してたから、お腹が激ペコだ。でも一緒に食べる人がいないと作る気になれないんだよな。外食にお金を使う気にもなれないから、レトルトのパスタソースでもレンジで温めるか。
ピンポーン
大きな鍋でお湯を沸かしていたら、チャイムが鳴った。
「げっ」
アイツがモニタに映ってる。平日の昼間っから何やってるんだろう。
ピンポーン
ピンポーン
無視を決め込むしかない。入れるわけにはいかないから。
奥さんと別れたって言ってた。しつこくされたら嫌だな。
どきどきしながらモニタを見ていたら、アイツは姿を消した。
「おっと」
湧いたお湯にパスタを投入する。7分のタイマーを入れてテーブルでスマホをいじりながら待つ。
ピンポーン
「げっ、また来た」
モニタにはヒモオが映っていた。
何しに来たんだろう……忘れ物かな……んなはずないって分かってるくせに、声が聞きたくなって思わず応答してしまっていた。
「どうしたの?」
「話せませんか?」
「ごめん、今、手が離せない」
嘘じゃない。火使ってる。パスタ茹で上がっちゃう。
「お時間は取らせませんので」
「分かった」
エントランスであまり長く話してたら迷惑だもんね。ご近所迷惑はよくないから、仕方なく開錠した。会いたいからじゃない。会いたいけど。
玄関で待つ。
チャイムがなると同時にドアを開けた。
「あ、沙耶さん、こんにちは」
「こんにちは」
「これ……お返ししに来ました」
分厚い銀行の封筒が渡された。
「え。いいよ」
「そうはいきません」
これを返されちゃったら、私とヒモオはもう、なんの繫がりも無くなっちゃうじゃん。それでもいいの?
「お世話になりました」
ヒモオはそう言って頭を下げた。
閉まるドアを隔てて、私は泣き崩れた。
こうして、何度も、何度も、お別れをさせないで欲しいよ。
孤独なんだって、一人ぼっちなんだって、自覚させないで。
寂しくて、苦しいから、ヒモオに抱っこしてもらいたいよ。
いくらお腹が空いてても、のびのびのパスタは美味しく感じられなくて残しちゃった。
「ちょうど良かったじゃん、これでもうちょっと株買えるんだし」
自分を慰めながら、ヒモオのくれた封筒をパシパシと叩く。
「やっぱり真面目だなぁ~、バックレちゃえばいいのにわざわざ返しに来るなんて」
大声の独り言が部屋に響いた。
虚しいな。
ヒモオはなにも残していってくれなかった。
思い出になるもの、なにか取っとくんだったな。
「あ」
ヒモオから預かっていたスマホを思い出した。
「返すの忘れてた」
借金取りに居場所がバレてるんじゃないかと疑って、電源を切ったままになっていたヒモオのスマホ。恐る恐る電源を入れてみる。
「ロックくらいしなよ」
私には部屋に鍵かけろって言うくせに、ヒモオのスマホはセキュリティがかかっていなかった。勝手に見ちゃだめだと分かっているけど、これを返すヒントがあるかも知れない……ヒモオがこれ無くて困ってるかもしれない……そんな嘘っぽい言い訳を頭の中で並べながらチャットのやり取りを見てしまった。
アースブレンドの王麗子とのやり取りがある。
ベトナムのコーヒー豆を買い取って欲しいとか、それを適正価格で広尾フロンティアに卸してほしいとか。最初、麗子さんはヒモオに頼まれて仕方なく相手をしていると言った風だったけど、途中で『入籍してくれるんだったら前向きに考えてもいいわ』と送っている。ヒモオは間髪入れずに『それで頼む』と返事をしていた。
「なにそれ」
麗子さんに対してあまりにも失礼な態度に、本当に会社の事しか考えてなかったんだなと分かる。ヒモオは必死だったんだろうな。前々から取り組んでいたフェアトレードを実現させるために、自分を犠牲にしてたに違いない。無自覚だと思うけど。
もう充電が無くなるからチャージして、買い物に行くことにした。
なんかまともなものを食べなくちゃ。
トレーダーは体が資本っておばあちゃんが言ってた。私もその通りだと思う。じっとデスクの前に座って一日中手先しか動かさないんだけど、頭はめっちゃフル回転させる。集中力を発揮させるには体のコンディションが万全でなくちゃならない。お腹空いたとか、眠いとか、そういう欲求不足は出来るだけ解消させておく必要がある。
「沙耶」
マンションから出たところでアイツに声をかけられた。
「げ。まじ」
「沙耶、やっと二人で話ができるな」
無視してすたすたと歩く。
「聞いてくれよ、妻とは別れた。離婚届を出したんだ」
「あっそ」
「俺たち正式に付き合おう。いや、結婚してもいい」
「は?私には選ぶ権利はないわけ?」
「なんなんだよ。機嫌直せよ。俺の気を引こうとあんなゴリラみたいの雇ってさ」
「そんなんじゃないよ」
ムカつくし、面倒臭いんだけど、どうしてだろう、誰かとおしゃべり出来るのが嬉しいと思ってしまう。こんな駄目男、相手にすべきじゃないのに。
結局、スーパーで買い物してる間中ずっと後を付いて来た。荷物を持ってくれるでもないし、楽しい会話が出来るわけもなく、マンションまで戻ってきてしまった。
「なあ、沙耶、俺、行くとこないんだわ」
しょぼくれた捨て犬みたいなコイツに同情を……いやいや、騙されるな。これはコイツの常套手段なんだ。これまでだって何度……
「頼むよ。沙耶しか頼れる人がいないんだよ。愛してる」
そう言って抱きしめられた。
流されちゃダメなのに。
「沙耶」
名前を呼ばれると、判断が狂う。




