第13話 インサイダー取引
「専務!専務!困ります!アポを取ってから……!」
引き止める社員を背に社長室に直行する。重厚な木製扉を全力で押す。
「久しぶりだな。どこをほっつき歩いてたんだ」
この年にしては体格が良く、髪の毛量も多い。父は鋭い目でこちらを睨み、煙草をふかしていた。
「今すぐ上場を廃止してください」
「部外者が何をぬかしとるんじゃ。謝罪に来たのでなければさっさと失せなさい!」
デスクに積んであったファイルが飛んできた。閉じられていたはずの用紙が部屋中に舞う。父の逆鱗に触れたのはこれで二度目だ。
「いくら株主に嫌われたくないからと言って、利益率を上げるだけの経営には限界があります。適正な市場価格で健全な会社経営をする為には、株主に媚びへつらっていてはできません。どうか……」
「失せろと言ったんだ!出ていけ!」
父のあまりの大声に、社員が何人も入ってきて、取り押さえられた。
「どうぞ今日はお引き取りを……専務……」
「そいつはもう専務じゃない!ただの部外者だ!二度と入れるな!」
簡単に説得できるとは思っていなかったが、想像以上に話にならなかった。
何とかしなきゃという焦りと、何もできない立場にいるのが情けなくて、空回りしている自分に嫌気がさす。きっと沙耶さんや桜子さんはこんな失敗をしない。やり方を間違えたのだろうが、果たしてどこをどう修正すればいいのかが分からない。
「ヒモオ!大変だよ!」
帰宅するなり沙耶さんが慌ててトレード部屋から出てきた。珍しい。
「アースブレンドの王って人がインサイダー疑惑で事情聴取だって!」
「はっ?!」
「広尾フロンティアの株価を不当に下げたって。本当?」
「まさか!」
沙耶さんのタブレットを覗き込む。顔は映っていなかったが、麗子だとすぐに分かった。
「仕入れ価格を二倍にしたってこの人?」
「ああ」
「これで広尾フロンティアの株価が下がることは予想できたんだね。それ狙って株買ってたのかなあ」
「どうだろう。うちの取り扱いはコーヒー豆だけで成り立ってるわけじゃないから……それに、麗子は株で儲けようなんて考えるタイプじゃ……」
取引価格を釣り上げたのは結婚を急かすためだ。それもこれも麗子がこの結婚に執着しているからで、株価で利鞘を稼ぐためじゃないはずだ。
「沙耶さん、故意じゃなければインサイダー取引にはならないのだろうか?」
「そうだね。悪質な場合でなければ、インサイダーは割とグレーっていうか証明は難しいよね。ヒモオ、麗子さんとどんな関係?」
とうとう勘付かれてしまった。これ以上伏せておくのは沙耶さんに失礼だよな。
「幼馴染だ……それと……婚約者……でもある……」
この時の沙耶さんの顔を忘れることは一生できないだろう。
「そうなんだね。麗子さんが広尾フロンティアの株を買い支えてただけならインサイダーの立証はできないと思うよ。株価が下がることを見越して売りから入ってたら話は別だけど、その辺はこの記事からは分からないから」
「申し訳ない。また少し電話を使わせて欲しい」
「どうぞ」
沙耶さんがトレード部屋に戻ったことを確認して、弁護士に連絡する。同じく、幼稚園からずっと同じ学校に通う同級生が、うちの顧問弁護士をしている。
「ニュース見たぞ」
開口一番。話が早くて助かる。
「麗子はインサイダー取引なんてする柄じゃない」
「そうだな。今、先方の弁護士に当たっていたところだ。どうやら本人は『これ以上暴落しないよう買い支えてただけだ』と主張しているらしい。俺も麗子の性格は知ってる。虎太郎と同じ気持ちだよ」
「雅夫、悪いがこの件、任せていいか?僕がベトナムコーヒーの取引に困って、間に入ってくれと言い出したんだ。麗子には迷惑かけっぱなしだ」
「あいつはずっとお前一筋だからな。なんとかしてやりたかったんだろ。相変わらず不器用な奴だな、まったく」
麗子の好意に漬け込んで、とんだトラブルを招いてしまった。どうすればいいんだ。ソファに座って頭を抱える。
「ヒモオ……電話終わった?」
「あ、はい。すみません。お騒がせして」
「いいよ。別に。あのさ、ヒモオはクビにするから、もう出て行ってくれない?」
頭が真っ白になるとはこういう事か。
「どうして急に……」
「だって、ヒモオに婚約者がいるって、今、知ったんだもん。状況が変われば、取るべき選択は、その都度変わってくるよ。これ以上、一緒に居たくないって思うから、出て行ってよ」
沙耶さんが手を差し出した。
仕方なく持っていたスマホを乗せる。
「ん」
そう言って、もう一方の手も差し出された。
ポケットから鍵を取り出し、沙耶さんに返却した。
「さようなら」
「……」
「ま、170万円分の働きはしてもらったよ。なんか、べたべた触っちゃってごめんね。セクハラだよねあんなの」
悲しそうに笑わないでくれ。とても嬉しかったんだ。ずっとこうしていられたらなって思ってたから言えずにいたんだ。
「隠していてすまなかった」
「いいよ。言い辛かったよね。いろいろありがとね。さ、ほら、婚約者が困ってるんでしょ?早く行ってあげなよ」
沙耶さんに手を引っ張られる。
「嫌だ」
「ん?」
「嫌だ。行きたくない」
「なに言ってる……」
「僕は沙耶さんと一緒に居たいんだ」
じっと目を見て沙耶さんの手を握る。分かって欲しい。ここに居させて欲しい。
「馬鹿言わないで。駄目だよ。大人でしょ。ちゃんとしなよ」
手を振りほどかれて、沙耶さんはトレード部屋に入ってしまった。
不誠実なことをしてしまった。沙耶さんの信用を裏切ってしまった。危うく泣きそうになったが、これ以上格好悪い姿は見せられない。力なく立ち上がり、どうにかこうにか足を動かしてマンションを出た。




