第11話 北風と太陽
まるで北風と太陽だ。麗子が強くプレッシャーをかけてくるから逃げたくなるし、一方でじっと温かく帰りを待ってくれている沙耶さんを恋しく感じる。12歳も年下の彼女に頼られている部分があるが、実のところ懐いているのは自分の方かもしれない。
ピンポーン
ピンポーン
エレベーターホールのインターホンの呼び出しに応じてもらえない。
たまたま通りかかった人について部屋まで上がった。玄関のインターホンにも反応がない。
ガチャ
手をかけたらすんなりとドアが開いてしまい慌てる。
「沙耶さん?」
変な汗が出る。まさかアイツが上がり込んで来たとか……音を立てずに、静かにリビングへ。
「ふぅ」
ソファで寝ている沙耶さんを見て、ほっと胸を撫でおろす。
寝顔はまるで子どものようだ。こんな薄着で転寝したら風邪を引いちゃうぞ。
ベッドに連れて行こうと沙耶さんを抱え上げたら、起こしてしまった。
「あ、ヒモオ~!お帰り!」
首にぐるっと腕を巻きつけられ、沙耶さんの胸が顔の前にくる。
「っちょっと。沙耶さん、鍵が開いてましたよ!危ないじゃないですか」
「だって。ヒモオに鍵渡すの忘れちゃって、もしかしたら、帰ってきたとき、私寝てるかもなぁって思ったら……開けとくしかなくない?」
「いいえ。間違った選択です。その時はその時で構いませんので、必ず施錠はしてください」
「はーい。ねえ、ちょっと降ろして」
沙耶さんを立たせると、ぴょこぴょことデイトレの部屋から何かを持ってきたようだ。
「はい。ヒモオに」
見たことのないマスコットが付けられた鍵だった。
「おばあちゃんが使ってたやつそのままだけど、気に入らなかったら外していいよ」
「いいんですか?」
「うん。これで、ヒモオが出掛けてるときでも鍵かけて平気でしょ?あとさ、スマホ」
沙耶さんの差し出した手にスマホを返す。
「ちょっと、ここ座って」
ソファに座ったら、沙耶さんが膝に乗ってきた。沙耶さんの跳ねた後ろ髪が首筋に当たってくすぐったい。
「これが電車に乗るとき、で、これでお買い物していいから」
そう言ってアプリの説明をしてくれた。
「そんなことまでしてもらわなくても大丈夫です」
「???……お金持ってないんでしょ?」
「はい。ほとんど」
「じゃ、次はどうやって帰ってくんのさ?」
「えっと。誰かに借りるとか」
「誰でもいいなら、私から借りなよ。もう、ヒモオが帰ってこなかったらどうしようとか、お金なくて困ってんじゃないかなとか考えるの嫌なんだよ」
「すみません」
沙耶さんに心配ばかりかけさせて申し訳ない気持ちになってくる。
「夕飯は?」
「済ませました」
「奢ってもらったの?」
「はい。お寿司を」
「お寿司!いいもん食べてんね~」
「いえ。ちっとも楽しくなくて、お店の人には悪いですけど、さっぱり味が分かりませんでした」
麗子と嫌々食べた寿司を思い出す。本当は沙耶さんと一緒にここで食べたかった。
「沙耶さんは?」
「適当だよ。焼うどん」
「美味しそうですね」
「そう?まだ材料あるから、明日も出来るよ。ってヒモオ、明日も出掛ける?」
「いいえ。明日はここに居たいです」
「わーい」
膝に座っていた沙耶さんが振り返ってハグをしてくる。どうしようもなく抱きしめ返したい衝動に駆られるが、頬の内側を噛んで堪える。
「さあ、寝てください。明日も早いんですよね」
「うん……ヒモオ、今日も一緒に寝る?」
「シャワーを浴びたら行きますので、先に寝ててください」
「はーい」
嬉しそうにスキップをしながらベッドルームに向かう沙耶さんに胸が潰れそうに痛い。自分が汚い大人に思えて仕方がない。婚約者がいるのだと、沙耶さんに言わなくては……明日こそは。
朝の散歩は体にいいと聞くけど、このペースでは運動になっていない。あまりにゆっくりな歩幅と、立ち止まったり、座って休憩したり……
「沙耶さん、これって運動になってるんですか?」
「さあ?運動じゃなくて散歩じゃない?」
「散歩ってウォーキングですよね。ウォーキングは運動ですよね」
「散歩は散歩だよ。ごちゃごちゃ考えないで行くよ」
ショートパンツにだぼだぼのパーカー姿、とても大金を動かしているトレーダーには見えない。
「沙耶!」
男の声にビクッと震えた沙耶さんがその場で固まった。斜め前方からアイツが駆け寄ってくる。咄嗟に沙耶さんの前に出て後ろに隠す。
「またお前かよ。ボディーガードだっけ?話の邪魔だからあっちに行っててくれよ」
沙耶さんが無言で下を向いている。
「なあ?沙耶、二人きりで話したいんだ。いいだろ?」
「いいわけないでしょ。あなた常識をわきまえてください」
「うっせぇな。ゴリラ、あっち行けよ。おい、沙耶、俺、嫁と別れて来たから」
「え……」
「なあ、これでいいだろ?もう俺とお前の間に障害物は無いわけだ」
沙耶さんに腕を捕まれて来た道を戻る。
「おい、なに逃げてんだよ!」
男の手が沙耶さんに伸びたので、強く掴んで捻った。
「痛ててて……ふざけんなよ!暴力男、警察呼ぶぞ!」
「今、呼んでる」
そう言ってスマホに耳を当ててる沙耶さん。微かに手が震えている。
「ストーカーに付け回されてるって言ってやるから」
「おい、待てって……」
そう言いながら男は踵を返すと走って逃げていった。
へなへなと座り込む沙耶さんを抱きかかえる。
「大丈夫ですか?」
「慣れっこだよ」
沙耶さんの足に着いた砂を払う。
「歩けないからおんぶして欲しい」
「お安い御用ですよ」
負ぶった彼女は驚くほど軽い。
「沙耶さん、僕、言わなきゃならないことが」
「今、聞きたくないかも。説教なら後で」
「説教?」
「分かってるよ。私に男を見る目がないって言いたいんでしょ?あんなののどこがよかったんだろう。自分でも馬鹿な選択したなって思ってる。男は銘柄と違って選定が難しいんだな」
「きっと経験が必要なんですよ。いい男も銘柄も一度で良いものを見極めるのは難しい」
「そうだね。最初は誰でも失敗するよね」
「はい。乗り越えていくしかありません」
「大丈夫。次は自信ある」
そう言って沙耶さんに背中からぎゅっと抱き付かれた。
沙耶さん……あなたはやっぱり男を見る目は無さそうだ。




