第10話 隠し事
女性経験が無いわけではないが、こんなに絡みつかれて眠るのは初めてだ。そもそも、自分がこんな格好で眠れるなんてことが新しい発見だった。沙耶さんには重みを感じない。細くて小さくて、そっと触らないと壊してしまいそうだ。ゆっくりと体を捩って沙耶さんの腕と脚を解いてゆく。
「ヒモオ、起きたの?」
「あ、起こしてすみません」
朝の男の体の生理現象を沙耶さんは見慣れてないだろう。好奇心が旺盛な彼女のことだ、あまり興味を持たれないように急いでキッチンへ向かう。
「今日も出掛けてきていいですか?」
昨日、沙耶さんが聞いてくれてよかった。隠し事がなくなり、後ろめたい気持ちから解放された。
「会社に行くの?」
「はい」
「何するの?」
「前に部下だった人の中に僕と同じ考えの人がいるから、相談に乗ってもらってます」
「そっか。上手くいくといいね」
「はい」
株価のストップ安は、コーヒー豆の輸入が止まったことによるものだ。それを引き起こした自分の判断を間違っているとは思わないが、沙耶さんを始め、株主に迷惑をかけていることは確かだ。何とかして、社長を説得しなければならない。
「今日はひょっとすると、帰りが夜になるかも知れません」
「じゃ、これ持って行きなよ」
沙耶さんがスマホをくれた。
「いいんですか?」
「ヒモオのは電源オフったまま預かってる。私に用があったら、タブレットで連絡受けれるから。それ、好きに使っていいよ」
「助かります」
「ヒモオには居なくなってもらっちゃ困るから。遅くなっても、ちゃんと帰って来てよね」
「はい。約束します」
朝の散歩に出掛ける沙耶さんと一緒に家を出た。
「今日もデイトレですか?」
「デイトレだよ?毎日に決まってんじゃん」
「ははは。そうですね」
若いのに割り切った考え方をする。合理的だけど温かい考えの持ち主だ。あまりよく知った仲ではないが、お祖母様の桜子さんと似ているのではないだろうか。
「ヒモオ、大事なのは株価じゃないからね。株主の方ばっかり見てる会社は成長しないっておばあちゃんが言ってたし、そういう会社は応援しないって決めてるから、広尾フロンティアのこと、よろしく頼むね」
「善処します」
沙耶さんの激励ほど心強いものはない。
「専務。こちらです」
「清水さん、出勤前にすまない」
「いいえ。構いません。専務が帰国されたって昨日、経理の山本さんから伺って、本当、ご無事でよかったです」
涙ぐむ部下に戸惑ってしまう。
「ベトナム出張みたいなもんですよ。そんな大袈裟な」
「いいえ!契約農家に違約金払って契約を取り消したって聞きました!社長は相当ご立腹です。しかも新たな卸先にコンペの会社を紹介したって言うじゃないですか!広尾フロンティアが潰れちゃいますよ!」
「心配させてしまい申し訳ない。会社なら大丈夫だよ。直接の仕入れは出来なくても、豆を融通してもらえるように話は通してある。仕入れ価格が若干上がるが、会社が傾くほどの痛手じゃない」
競合商社のアースブレンド株式会社は上場こそしていないものの、堅実な経営体質を持つ素晴らしい会社だ。そこの副社長とは幼稚園の頃からの幼馴染だ。
「それで、私にどんなご用命が?」
「すまないが、カフェの再開を急いで手配してくれないか。豆ならアースブレンドの担当者に言えば手に入るから」
財布から預かっていた名刺を取り出して渡す。
「分かりました。やってみます」
「余計な仕事を増やしてすまないね」
清水さんは小学生のお子さんがいるベテラン社員だ。昔から役職に気後れせず、なんでも言ってくれる頼れる人材だった。
「専務は今、どうされてるんですか?」
「知り合いのところに世話になっている」
「そうなんですね。では、私はこれで失礼させていただきます」
会社の近くの公園で立ち話になってしまった。こんな会社のごたごたに巻き込んでしまって心から申し訳なく思う。働いている社員の為にも、いち早く経営を安定させたい。
ピンポーン
相変わらず凄いマンションに住んでるな。ヨーロッパのお城のようなロビーで部屋番号を押す。
「どうぞ」
不愛想な声と共に、自動ドアが解除された。
「やっと顔を出してくれた」
「いつも電話ですみませんでした」
「そういうよそよそしいの止めて」
「いや、今回は本当に御社の協力無くしては実現できなかったことで、迷惑をかけて本当に申し訳ない」
深々と頭を下げる。
「いいってば。見返りがあるから引き受けたんだし」
「……そのことなんだけど、麗子、やっぱり……」
「やっぱり結婚は出来ないとか言わせないわよ」
目の前が真っ暗になる。
アースブレンド株式会社 副社長
王 麗子
「もう、お父様には報告したし、私のスケジュールも調整中よ。出来るだけ早く挙式をしましょう」
「今は待ってくれないか。会社の立て直しが先だ」
「嫌よ。どうせ時間稼ぎしてるうちに、話をうやむやにして逃げようってんでしょ。そうはさせないから」
吊り上がった勝気な瞳で見つめられると、いつも固まってしまう。だからあまり目を見ないように過ごしてきたんだ。子どもの頃からずっと、麗子が苦手だ。
「頼むよ。マーケティングの清水という女性から連絡があるはずだから、至急、コーヒー豆を融通して欲しい。直営のカフェを再開させたいんだ」
「はいはい。すぐに手配します。だから、あなたも大至急、挙式のスケジュールを組んでください」
背の高い麗子がもたれかかるように抱き付いてくる。
「ずっと好きだったのよ。知ってたでしょう?」
「……」
「もう離さないわ」
ベトナムの農場に広尾フロンティアとの契約を止めさせたが、課題が二つあった。一つは広尾フロンティアの仕入先が無くなるという事。もう一つは、収穫したコーヒー豆の行き先が無くなるという事。
アースブレンドに間に入ってもらうことで、これらの課題が一気に解決出来た。ただし、アースブレンドにはこれと言ったメリットの無い話。引き受けてくれたのは、ひとえに麗子の助力によるものだ。好意を持たれているのは知っていた。
「感謝している」
麗子から離れて、窓から外を眺める。
息が詰まりそうだ。ここは空気が薄いのだろうか。
「広尾のお父様が私に頭を下げるとは思えないわ。あなたと違ってプライドが高い人だものね。でも心配しないで。私から上手く仕入れの話をして差し上げるわ。嫁ぎ先の姑に嫌われたい花嫁なんていないでしょ?」
自分を愛していない男性と結婚しても幸せになれるとは思えないのだが、麗子はそれでもこの結婚を望んでいる。
「麗子、約束は守る。結婚はする。だけど、今は待って欲しい。何度も言うが、広尾フロンティアの再興が先だ」




