第7話:正義の告発(という名の嘘)
俺が「貧困ビジネスの被害者」であるという真実を知ってから、俺の生活には明確な目的が生まれた。
それは、東田率いる悪徳NPO法人『レッツ』の悪事を世間に知らしめ、社会の闇を暴くことだ。
俺は連日連夜、スマートフォンにかじりつき、匿名掲示板やSNSに自分の悲惨な状況を書き込み続けた。
最初はありのままの事実を書いていた。だが、ネットの住人というのは刺激に飢えている。単に「家賃が高い」「飯がサバの塩焼きで不味い」「ウォシュレットがない」と書き込むだけでは、次第に反応が薄くなっていった。中には「お前がワガママなだけだろ」などと、東田の回し者かと思われるようなアンチコメントをつけてくる馬鹿まで現れる始末だった。
俺は苛立った。
なぜこいつらは、俺がどれほど苦しんでいるか理解できないのか。俺の受けている精神的苦痛は、言葉では表現しきれないほど深いというのに。
(……そうか。凡人どもには、もっと分かりやすい『被害』を見せてやらないと伝わらないんだな)
俺は自分を納得させた。
これは決して嘘ではない。俺の心身が受けている甚大なダメージを、想像力に乏しい大衆にも分かりやすい形に「翻訳」してやるだけだ。正義を成すためには、多少の脚色は必要なのだ。
俺はSNSの新しいアカウントを作り、『貧困ビジネスと戦う青年』と名乗って投稿を始めた。
『今日出された飯、明らかに酸っぱい臭いがした。賞味期限切れの食材を使ってるんだと思う。抗議したら、食事係のババアに「黙って食え」と包丁を突きつけられた。怖い。』
『手元に残る3万円すら、代表の男に「預かってやる」と脅し取られそうになった。断ったら、壁を殴って威嚇された。ここは実質的なタコ部屋だ。軟禁されてる。』
『夜中、隣の部屋からうめき声が聞こえる。逆らった奴は別の施設に送られて、一生タダ働きさせられるらしい。俺もいつかそうなるのか……』
これらはすべて、俺が肌で感じ取った「あいつらの本性」を具現化したものだ。
婆さんのヒステリックな説教は包丁を突きつけられるのに等しい恐怖だったし、東田が俺に説教をした時の態度は脅迫そのものだった。だから、俺の書いていることは本質的にはすべて『真実』なのだ。
この「分かりやすい悲劇」の連続は、ネットの住人たちの好物だった。
俺の投稿は瞬く間に拡散され、数千、数万という「いいね」やリツイートがつき始めた。
『マジかよ、警察行けよ!』
『酷すぎる。今の日本でこんなことが行われているなんて』
『俺も昔そういう施設に入れられそうになった。主さん、負けないで!』
通知が止まらない。画面をスクロールするたびに、俺を心配し、俺に同情し、NPOへの怒りを露わにする声が溢れ返っていく。
「あっはは……! 見ろ、やっぱり俺は間違ってなかった!」
薄暗いカビ臭い部屋で、俺は一人歓喜の声を上げた。
全能感に包まれていた。俺は今、社会の巨悪にたった一人で立ち向かう孤独なヒーローなのだ。
俺の優れた文章力と自己プロデュース能力が、ついに世の中を動かし始めたのだ。俺を底辺扱いした東田たちに、正義の鉄槌が下る日は近い。
俺は完全にネットの反応に酔いしれていた。
土日に支給されるなけなしの金でスロットに行くことすら忘れ、ただひたすらに「かわいそうな被害者である俺」を演じ、ネットの信者たちからの承認欲求を貪り食っていた。
そんなある日の夕方。
突然、部屋のドアが激しく叩かれた。
「にいちゃん! いるか! 開けてくれ!」
東田の声だった。普段の馴れ馴れしい声とは違う、切羽詰まったような、怒りを含んだ声。
俺は一瞬ビクッとしたが、すぐに口元に歪んだ笑みを浮かべた。
(……来たな。図星を突かれて焦りやがって)
俺はわざとゆっくりと立ち上がり、ドアのチェーンをかけたまま少しだけ隙間を開けた。
「……なんですか、騒々しい」
隙間から覗く東田の顔は、真っ赤に紅潮し、額には汗が滲んでいた。呼吸も荒い。
「にいちゃん! お前、ネットに変なこと書き込んでないか!?」
「はて。何のことかさっぱり」
俺がとぼけると、東田はスマートフォンを隙間から押し込んできた。
画面には、俺がSNSに書き込んだ『賞味期限切れの飯』『包丁を突きつけられた』といった投稿が表示されている。
「これ、お前のアカウントだろ! 施設の写真の一部が写り込んでて、うちのNPOだって特定されて、さっきから事務所に抗議の電話が殺到してるんだぞ!」
どうやら、俺の信者の誰かが施設の場所を特定し、電凸(電話での突撃)を仕掛けてくれたらしい。素晴らしい行動力だ。俺の正義の軍団が、悪の組織に直接ダメージを与え始めたのだ。
「それがどうしたんですか。俺は事実をありのままに書いただけですけど」
「事実なわけあるか! 飯炊きの婆ちゃんがお前に包丁なんか向けるか! 俺がいつお前を軟禁した! お前が勝手にパチンコに行ってるのも知ってるんだぞ! こんなデタラメを書き連ねて、営業妨害にも程がある!」
東田はチェーンを外そうとドアをガタガタと揺らした。
その必死な形相を見て、俺は背筋がゾクゾクするような快感を覚えた。
見ろ。俺から不当に金を搾取し、上から目線で説教を垂れていたあのオッサンが、今、俺の力に怯えて必死に言い訳をしている。
これが、選ばれた人間である俺の本当の力なのだ。
「デタラメかどうかは、世間が判断することです。火のない所に煙は立たないって言うでしょう? アンタらが普段から俺を人間扱いしてないから、こういう告発を受けるハメになるんですよ」
「いい加減にしろ! このままじゃ、真面目に支援を受けてる他の連中にも迷惑がかかるんだ! 今すぐ投稿を消して、嘘だったと謝罪しろ!」
「……謝罪?」
俺の声が、スッと冷たくなった。
「なぜ被害者である俺が、加害者であるアンタに謝らなきゃならないんだ。俺の金を毎月何万もピンハネして、こんな豚小屋に押し込めておいて、都合が悪くなったら口封じですか。やっぱりアンタらは、絵に描いたような貧困ビジネスのクズどもだ」
「だから! それは施設の維持費や食費として適正な額だと何度も……ッ!」
「うるさい! 俺を誰だと思ってる! お前らみたいな底辺の詐欺師に、これ以上従う義務はない!」
俺はドアを思い切り閉め、内側から鍵をかけた。
外から「開けろ! にいちゃん、話を聞け!」と東田が叫びながらドアを叩く音が響く。
俺はドアに背中を預け、スマートフォンを取り出した。
すぐにSNSを開き、実況中継を始める。
『今、NPOの代表が俺の部屋のドアを叩いて脅しに来てる。投稿を消せと怒鳴り散らしてる。怖い。助けて』
送信ボタンを押す。
数秒で、怒涛のようなリプライがつき始めた。「警察を呼べ!」「録音しろ!」「俺たちがついているぞ!」
ドアの向こうで喚く東田の声が、俺にはもはや敗者の断末魔にしか聞こえなかった。
悪党が必死に口封じをしようと足掻いている。だが、もう遅い。真実はすでに世界中に拡散されているのだ。
「……勝った」
俺は薄暗い部屋の中で、誰に言うでもなく呟いた。
俺の知性と行動力が、見事に社会の闇を打ち砕いたのだ。俺は東田という悪魔から精神的な完全勝利を収め、真の自由を手に入れた。
あとは、この忌まわしい収容所から物理的におさらばするだけだ。
俺は荷物をまとめるために、部屋の中に散らばった衣類やスロット雑誌を蹴り飛ばした。
明日にでも、東田に最後の引導を渡してやる。お前らの搾取システムは崩壊したのだと、俺の手で教えてやるのだ。




