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第4話:ふざけた住環境

東田の薄汚い軽自動車が停まったのは、札幌市内の中心部から少し外れた、うらぶれた住宅街の一角だった。

目の前にあるのは、外壁の塗装が剥がれかけ、鉄骨の階段が赤茶色に錆びついた、どう見ても築三十年以上は経っているであろう木造アパートだった。入り口の看板には『コーポ・希望』と、虫唾が走るような安っぽい名前が書かれている。

「さ、着いたぞ。ここが今日からにいちゃんの城だ」

東田はまるで大豪邸でも案内するかのように、得意げな顔で車を降りた。

俺は絶句したまま、そのボロアパートを見上げた。

「……おい、嘘だろ。まさかここに住めって言うのか?」

「なんだよ、不満か? ちゃんと個室だし、屋根も壁もある立派な部屋だぞ。公園のベンチより百倍マシだろうが」

東田は鍵をチャラチャラと鳴らしながら、ギシギシと音を立てる階段を上っていく。俺は重い足取りでその後を追った。

案内されたのは、二階の角部屋だった。

東田が鍵を開けてドアを押し開けると、カビとホコリが混ざったような、空き家特有の饐えた匂いが鼻を突いた。俺は思わず顔をしかめ、手で鼻を覆った。

「どうだ、広いだろ。ワンルームで10畳もあるんだぞ。一人暮らしには十分すぎる広さだ」

東田が自慢げに言う通り、確かに部屋の広さだけはそれなりにあった。だが、床のフローリングはあちこち傷だらけで、壁紙はタバコのヤニなのか全体的に薄汚れた黄色に変色している。備え付けの家具といえば、ペラペラの薄い布団が一組と、安っぽいカラーボックスが一つ置かれているだけだ。

「……ふざけるなよ」

俺の口から、自然と怒りの声が漏れていた。

「俺は、札幌でもちゃんとした中流階級の家で育ったんだぞ。実家の俺の部屋はもっと広くて清潔だったし、家具だって一流メーカーのものだった。なんで俺ほどの人間が、こんなスラム街みたいな底辺の部屋に押し込められなきゃならないんだ!」

「にいちゃん、現実を見ろよ。実家を追い出されて無一文になったんだろ? 贅沢言える身分じゃないってこと、早く自覚しろ」

東田はため息をつきながら、まるで俺がワガママな子供であるかのように諭してきた。

その態度が、さらに俺の神経を逆撫でする。こいつは俺のポテンシャルを全く理解していない。俺はただの無一文じゃない。一時的に運に見放されただけの、天才的なスロットの頭脳を持つ選ばれた人間なのだ。

俺は舌打ちをして部屋の中を歩き回り、設備をチェックし始めた。

まずはエアコンだ。壁の上のほうを見て、俺は再び目を疑った。

「おい……なんだよこれ」

そこにあったのは、最新の壁掛けエアコンではなく、窓のサッシに無理やり嵌め込まれた、古臭い『窓用エアコン』だった。

俺がスイッチを入れてみると、「ガコンッ!」という大きな音とともに、まるで古いトラクターのような重低音が部屋中に響き渡った。ブォォォという騒音が酷く、風もカビ臭い。

「うるさいな! なんだよこのポンコツは! こんな騒音の中で、どうやって俺にスロットの確率計算や高尚な思考に集中しろって言うんだ!」

「冷えりゃ十分だろ。文句ばかり言ってないで、風呂でも見てこい。ここはトイレと風呂が別々なんだぞ。この家賃帯じゃ珍しいんだからな」

東田に促され、俺は渋々風呂場のドアを開けた。

確かにトイレとは別になっていたが、中は絶望的に狭かった。浴槽は正方形に近く、体育座りをしてギリギリ入れるかどうかというサイズだ。壁のタイルはひび割れ、目地には黒カビがこびりついている。

「犬小屋かよ……俺の長い足で、どうやってこのバスタブに浸かれって言うんだ。窮屈すぎてエコノミークラス症候群にでもなったら、アンタ責任取れるのか?」

「シャワーで済ませりゃいいだろうが。お前、ほんと口だけは一人前だな」

東田は半ば呆れ顔でそう言った。

だが、俺の我慢が本当の意味で限界を突破したのは、その直後だった。

風呂場の隣にある、トイレのドアを開けた瞬間だ。

そこにあったのは、何の変哲もない、ただの洋式トイレだった。便座の横に、あるべきものがない。

「……おい。ボタンがないぞ」

「は? ボタン?」

「ウォシュレットだよ!! なんでウォシュレットがついてないんだ!!」

俺は鼓膜が破れんばかりの大声で叫んだ。

「お前、馬鹿なのか!? 現代日本において、ウォシュレットは文化的な生活を送るための最低限のインフラだろうが! トイレットペーパーだけで尻を拭くなんて、中世の野蛮人じゃあるまいし、俺のデリケートな肌が荒れたらどうするつもりだ! これは明らかな人権侵害だぞ!」

俺の猛烈な抗議に対し、東田はポカンと口を開けた後、深く、深くため息をついた。

「にいちゃん……お前、本当に自分が置かれてる状況分かってないな。ウォシュレット? そんなもん、生活保護で暮らす人間に必要ねえよ。ケツくらい自分で拭け」

「必要ないだと!? ふざけるな、俺は中流階級出身なんだぞ! 実家のトイレには最新式の機能がついてたんだ! なぜ俺が、こんな原始的なトイレで排泄行為に及ばなきゃならないんだ!」

「嫌ならまた公園の公衆トイレを使えばいいだろ。あっちは和式で、もっと臭いぞ?」

東田の冷たい言葉に、俺は歯ぎしりをして黙り込んだ。

確かに、公園の公衆トイレに比べれば、室内にあるだけマシかもしれない。だが、それはあくまで「底辺との比較」であって、俺が本来享受すべき「中流階級の生活」からは程遠い。

「……家賃、3万6000円だったな」

俺は低い声で東田を睨みつけた。

「こんな欠陥だらけのボロ部屋が、3万6000円もするわけがない。どう見ても2万以下の価値しかないぞ。もしかしてアンタ、国から支給された俺の金から、こっそり中抜きしてるんじゃないのか?」

俺の鋭い指摘に、東田の眉がピクリと動いた。

「バカなこと言ってないで、荷物を片付けろ。夕方の18時になったら、一階の食堂に降りてこい。晩飯の時間だからな。遅れたら飯抜きだぞ」

東田は俺の質問を意図的にはぐらかすようにそう言い残し、部屋の鍵をテーブルに放り投げると、足早に部屋を出て行った。

バタン、とドアが閉まる音が響く。

一人残された部屋の中、窓用エアコンの『ブォォォ』という騒音だけが、虚しく鳴り響いていた。

俺はテーブルの上の鍵を睨みつけた。

図星だったに違いない。

あいつの慌てたような態度。この劣悪な住環境。俺の優れた洞察力が、一つの真実を導き出していた。

(……間違いない。東田の奴、俺の生活保護費をピンハネしてやがる)

俺の金だ。俺の類まれなる才能に対して、国が支払った貴重な資金だ。

それを、あの安っぽいオッサンが懐に入れているのだ。俺をこんなウォシュレットさえない豚小屋に押し込めて。

「……許さねえ。絶対に許さねえぞ」

ペラペラの薄い布団の上に寝転がりながら、俺は天井のシミを見つめた。

身体は疲労困憊のはずなのに、東田への怒りで頭が冴え渡っていく。俺は必ず、この屈辱を何倍にもして晴らしてやる。あいつの用意した飯など、俺の舌には合わないだろうが、食えるものは食って体力を回復させてやる。

まずは生き延びて、俺から搾取しようとするこの「システム」の正体を暴いてやる。

俺は被害者だ。この劣悪な環境から抜け出すためなら、どんな手段を使っても許されるはずなのだ。

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