第3話:屈辱のナマポ申請
東田の運転する薄汚れた軽自動車に乗せられ、俺は札幌市内の区役所へと連行された。
車内に染み付いた安タバコと芳香剤の混ざった悪臭に、俺は何度も顔をしかめた。中流階級の家庭で育ち、常に清潔な空間で生きてきた俺のデリケートな嗅覚には、この空間自体が拷問に等しかった。
「着いたぞ、にいちゃん。ここで手続きを済ませれば、今日から屋根のある部屋で寝られるからな」
東田は恩着せがましくそう言いながら、区役所の駐車場に車を停めた。
俺は無言で車を降り、そびえ立つ区役所の建物を睨みつけた。まさか、この俺がこんな場所に世話になる日が来るとは。
「生活保護」――ネットの底辺どもが好んで使う言葉で言えば「ナマポ」だ。
労働意欲のない怠け者や、社会に適合できない欠陥品たちが、国から金を恵んでもらうための恥知らずな制度。それが俺の持っていた生活保護のイメージだった。
「勘違いするなよ、東田。俺は別に、国に養ってもらおうなんて微塵も思ってないからな。これは俺の才能に対する、国からの先行投資みたいなもんだ」
「はいはい、わかってるよ。にいちゃんは特別だからな。さ、行こうか」
俺の崇高なプライドからの忠告を、東田は適当に聞き流して歩き出した。その背中を苛立ちとともに見つめながら、俺も仕方なく後を追う。
生活福祉課の窓口は、淀んだ空気が漂っていた。
待合席には、生気を失ったような老人や、見るからに頭の弱そうな連中が所在なげに座っている。俺は咄嗟に持っていた上着の襟を立て、顔を隠した。
万が一、高校時代の同級生や知り合いにでも見られたらどうするんだ。「あいつ、優秀だったのに生活保護受けてるぜ」なんて噂が広まれば、俺の完璧な経歴に泥を塗ることになる。俺はあいつらとは違う。あくまで「一時的な措置」としてここに来ているだけなのだ。
「すいません、NPO法人レッツの東田です。新規の申請で相談に伺いました」
窓口の職員に対し、東田は卑屈なまでにペコペコと頭を下げた。見ているこっちが恥ずかしくなる。俺の代理人ヅラをするなら、もっと堂々としていればいいのに。
通された面談ブースで、若い男性職員がマニュアル通りの無機質な対応で書類を広げた。
家族構成、これまでの経歴、現在の所持金、借金の有無。
根掘り葉掘りプライベートに踏み込んでくる質問の数々に、俺の不快感は頂点に達していた。
「ご両親からの援助は、一切受けられないということでお間違いないですか?」
「だから、そう言ってんだろうが。あいつらは俺の価値を理解できない愚か者なんだよ。俺の方から縁を切ってやったんだ」
俺が苛立ち混じりに吐き捨てるように言うと、職員は一瞬だけ怪訝な顔をしたが、すぐにまた無表情に戻って書類にペンを走らせた。
本当に腹が立つ。まるで俺を、社会のレールから外れた「問題児」のように扱っているのが見え見えだ。こいつら公務員は、俺のようなクリエイティブな才能を持った人間の可能性を、書類の枠内でしか測れない哀れなロボットでしかない。
面倒な手続きの大部分は東田が代行し、俺はただ言われるがままにサインと捺印を繰り返した。屈辱的な時間だったが、「今日から布団で寝られる」という事実だけが、俺の心を辛うじて繋ぎ止めていた。
手続きが一段落したところで、東田が今後の生活についての「ルール説明」を始めた。
「いいか、にいちゃん。生活保護の支給額は、月にだいたい11万円ちょっとだ」
「11万? 少なくないか? 俺レベルの人間が文化的な生活を送るには、どう考えても足りないだろう」
俺の当然の疑問に、東田は苦笑いを浮かべた。
「まあまあ、聞いてくれ。この11万円が全部にいちゃんの手元にいくわけじゃないんだ」
東田は持参したバインダーから、一枚の紙を取り出して俺に見せた。そこには、俺の生活費の「内訳」が記されていた。
「まず、うちの施設の家賃が3万6000円。それに光熱費が定額で1万5000円だ。これは支給額から自動的に引かせてもらう」
「は? 光熱費で1万5000円? 高すぎないか?」
「いやいや、電気・ガス・水道が全部込みで、しかも使い放題だぞ。自分で契約するよりずっと安心だろ? それに、一番面倒な『食費』もうちで管理してやる」
東田は、さらにペンでトントンと紙を叩いた。
「食事は、一食400円だ。それを一日3食、土日を除く平日25日分、うちのスタッフが手作りで提供する。400円×3食×25日で、月にきっちり3万円。どうだ、安上がりで栄養満点の飯が食えるんだぞ」
俺は素早く頭の中で計算した。
家賃36000円、光熱費15000円、食費30000円。合計で8万1000円。
支給額の11万円からそれを引くと……。
「おい。俺の手元には、3万円くらいしか残らないってことか?」
「そうだ。月に約3万円が、にいちゃんの完全に自由に使えるお小遣いってわけだ。土日の飯代や、スマホ代なんかはここからやり繰りしてくれ」
俺は絶句した。
月に3万円? 高校生の小遣いじゃないんだぞ。22歳の、これから大きな事業なり投資なりを仕掛けていこうという有望な青年に向かって、たったの3万円で一ヶ月を過ごせと言うのか。
「ふざけるな! 俺の金を勝手に天引きするなよ! 11万丸ごと俺に渡せば、俺の完璧な計算でもっと上手くやり繰りできるんだよ!」
「にいちゃん、落ち着けって。前に借金こさえて家を追い出されたって言ってたろ? いきなり大金を渡したら、またパチンコとかに使っちゃうかもしれない。うちは、にいちゃんが『就職して自立するまで』のサポートをするのが目的なんだ。お金の管理に慣れるまでは、これが一番確実な方法なんだよ」
東田は、まるで聞き分けのない子供を諭すような、心底見下したような声色でそう言った。
(……この野郎。俺の崇高なスロットの理論を、ただのギャンブル依存症と一緒にしやがって)
腹の底からドロドロとした怒りが湧き上がってきたが、俺はスッと息を吐いてそれを飲み込んだ。
よく考えろ。俺は今、野宿生活で体力が底をついている。今ここで東田と決裂すれば、またあの凍えるベンチに逆戻りだ。
それに、冷静に考えれば悪い条件ではない。
寝る場所があって、光熱費の心配もなく、平日は何もしなくても三食の飯が出てくるのだ。手元に残る3万円は少ないが、裏を返せば「絶対に失われない軍資金」が毎月3万円手に入るということだ。
俺の才能さえあれば、その3万円を元手にスロットで倍、いや10倍に増やすことなど造作もない。平日は施設で体力を温存し、土日に増やした金で豪遊すればいいだけのことだ。
「……わかったよ。当面の間は、その条件で我慢してやる。だが、俺はすぐにでもここを出ていくからな。こんな底辺のシステムに、いつまでも縛られるつもりはない」
「ああ、その意気だ。早く就職して、自分の力で生きていけるようになろうな」
東田の薄っぺらい激励の言葉を背中で聞き流しながら、俺は立ち上がった。
まあいい。とりあえずは、東田の用意した箱庭で羽を休めてやる。俺の天才的な頭脳を利用されているようで腹立たしいが、今のところは俺にとってもメリットがあるから利用されてやっているだけだ。
区役所を出た俺は、これから案内されるという「俺の新しい城」に、少しだけ期待を抱いていた。
腐っても支援施設だ。中流階級出身の俺にふさわしい、それなりに快適な環境が用意されているに違いない、と。




