インターミッション『エレウテリア』パノプティコ-賢民の惑星 #1
『まずは故郷を失った私と祖父を温かく受け入れてくれたパノプティコに感謝を。私のような外来者が模範市民と呼ばれるのは面映ゆいばかりですが、自律的な安心を重んじるこの社会で暮らす事ができるのは、私にとっても望外の喜びでした』
パノプティコ公営放送が報じているのは、この惑星がシビルスコア制度を導入して以来、初となるスコア100を達成した「模範市民」の姿だ。
『私はこのパノプティコで夫と出会い、子をなし、先頃祖母となることが出来ました。これらは全てシビルスコアによる社会の安寧が実現されているおかげだと感じています。私はこの社会において大きな安心に包まれています。そして、叶うなら……自分の子供達や孫にも、より大きな安心を与えたい。そう考えています』
彼女が市民調和局前の広場に設けられた演壇に立ち、集まった多くの人々に対してスコア100達成を記念する講話を行っている模様がパノプティコ全体へと中継されていた。
演壇の上で、初老の女性は一旦言葉を切り軽く息を吸うと、続けた。
「そこで今日、与えて頂いた時間を使わせて頂いて、私の思うさらなる安心について皆様にお伝えしたいと考えております――」
模範市民からの提案とあって、パノプティコの住民達は彼女がどのような事を語るのか期待を込めて耳を澄ました。
その様子を見やりながら、壇上の「模範市民」、マナ・マクファーソン……旧姓マナ・クロキはこれまでの事を思い返していた。
「ね、最後にもう1度だけ確認するけど、本当にここでいいの?」
ライトブラウンの髪と赤い瞳が魅力的な少女……アイリスはくるくると表情を変える瞳に懸念と憂慮を浮かべてそう問うた。
だが、祖父と孫娘の二人連れは彼女の言葉に黙って頷き、一礼するとパノプティコの入星ゲートをくぐる。
そう、この決断が彼女の人生の転機になったのだ。
その孫娘、マナ・クロキは衆愚政治の結果として社会的にも経済的にも、そして物理的にも破滅を迎えた惑星デモクラスから幸運にも脱出することができた難民だった。
だが、星が滅びた以上、次の移住先を探す必要がある。
アイリス達が提示したいくつかの惑星の中からセノンとマナが選んだのがパノプティコだった。
アイリスはパノプティコのことを、安心を求めて自ら鳥籠の中へ引きこもる人々の星だと称した。
だが我欲と自由によって堕落した故郷に諦念と失望を抱えていた二人にとって、住民達が社会の安心を尊重し、自らを律するパノプティコは理想的な環境に思えたのだ。
移民手続きは煩雑だった。
パノプティコでは、社会的信用を示すシビルスコアの高低が人生を左右する。
そのため、二人の身を案じたアイリスとアリサはセノンに多額の支度金を用意していた。パノプティコでは財力もまたシビルスコアの裏付けになるためだ。
通常であれば移民の初期スコアは基準値である60から始まる。
だがパノプティコの社会にとって有益な人材だと判断されれば初期スコアは向上し、結果として生活に安定と豊かさをもたらすことに繋がる。
「儂は故郷の星ではアカデミアに属する立場じゃった。まぁ大した業績はないがの」
セノンは手続きにおいて、謙遜しながらも自らが故郷でアカデミーの教授であった事を申告した。
デモクラスが黄金期だった頃、そして斜陽の気配が漂い始めた頃。
セノンはデモクラスの経済的な崩壊と、その先に待つ社会的な破局への警鐘を鳴らす、いくつもの論文を学会に発表していた。
パノプティコのシビルスコアを管理するリリーフシステムは、その事実と彼の論文内容からセノンを有益な人物と判断したのだろう。
最終的にセノンのスコア――そして未成年であるマナの暫定スコア――は70となった。
もちろん高スコアが与えられた理由には、多額の支度金を持っていたことも影響するのだが。
パノプティコにおけるスコア70は「良き市民」と呼ばれる上流市民の仲間入りを果たしたところといったランクで、基準スコアしか持たない市民と比較すると、やや優遇された立場となる。
難民でもあるセノン達に与えられた住居は、清潔で快適なものだったし、社会保障も充実していた。
デモクラスでの過酷な生活が原因で病に冒されていたセノンも十分な医療支援を受けることができ、マナもまた学校教育を受けることが出来た。
それはかつてデモクラスの黄金期に住民へ提供されていたサービスと同等なものだったが……この星のサービスは無思慮な資源採掘によるものではなく、労働と産業の対価として得られるものだ。
セノンは闘病中の身ながらパノプティコの市民調和局から依頼を受け何度か提言や講演を行った。
経済的観点から見た、自由と統治の在り方について。
行き過ぎた自由が星を滅ぼした経緯について。
実体験を交えて語るセノンの言葉に、パノプティコの民は自分達が掲げるリリーフシステムこそが正しいのだと、システムに守られた自分達は幸福なのだと「安心」したものだ。
そんなセノンはパノプティコに亡命して6年目――マナがスクールを卒業する2年前にこの世を去った。
その死に顔が安らかなものでありながらも、どこか哀惜の漂うものであった事を、老境に達したマナは今でも覚えている。
セノンが存命中、市民調和局に対して行った数々の貢献からマナのスコアはスクール卒業時点で78まで上昇していた。
このスコアは15歳で成人を迎えたマナが「良き市民」と呼ばれる、上流階級の一員として社会に迎え入れられたことを示していた。
幼い頃からセノンの薫陶を受け続けたマナは非常に聡明な少女に育ち、スクール卒業後は社会的な支援を受けてアカデミーへと進学することになった。
彼女が専攻したのは祖父と同じ経済学だ。
学ぶことこそが祖父との繋がりであると信じ、マナは研究に邁進する。
研究の傍ら、マナはボランティア活動にも注力した。
彼女自身が支援を受ける立場でもあったが、それ故に社会へ奉仕することがパノプティコという社会への恩返しになるのだと、マナは考えていたから。
20歳になり、アカデミーを卒業したマナのシビルスコアは81になっていた。
数々の研究論文と無償の奉仕活動が評価されたことによる、彼女自身が獲得した評価によって、マナは真なる良き市民となったのだ。
卒業後にマナが選んだ進路は市民調和局への勤務だった。
スコア80以上という、パノプティコでも真に選ばれた市民のみが属することが出来る職場。
だがマナは自らのスコアを誇るでもなく、より高スコアの者達に阿るでもなく、ただ自らが正しいと思うことを行うための職場として市民調和局を選んだ。
市民調和局で働くうちに、マナはマクファーソンという年上の男性職員と恋に落ちた。
マクファーソン自身は高スコア保持者だったが、彼の両親は一般市民。
つまりそれは、マクファーソン自身が社会貢献によって「良き市民」へと上り詰めたという事を意味している。
穏やかで人当たりが良く、誠実。
故郷であったデモクラスには存在しなかった人物に、マナの胸は高鳴った。
だが、それまで自分が恋愛するなどということを考えたことも無かったマナにとって、いきなりの職場恋愛はハードルが高かった。
心にわだかまる小さな恋の悩み。
だが、それはマナにとっては幸せな悩みでもあった。
「正しく生きることが報われる社会で、正しく生きることを選ぶのって普通だと思ったんだけど……難しいことなのかな」
「それ、マナが真面目で優秀だから言える言葉だよ?」
スクール時代の友人と恋愛相談を兼ねて談笑しながらマナが口にした言葉は、「普通」ではなかったのかもしれない。
だがそれでもマナにとってパノプティコという社会は、自らの努力が報われるという安心に裏付けされた理想的な社会だと思えてならなかった。
結局、紆余曲折はあったが3年の交際期間を経てマナはマクファーソンと結婚し、マナ・マクファーソンとなった。
結婚後も市民調和局の仕事を続け、公私ともに充実した時間が過ぎてゆく。
そして25歳になったマナは第一子となる娘を授かった。
生まれた娘に、マナは恩人であるアイリスの名を付けることにした。
夫と娘の3人で暮らす生活は、マナにとって掛け替えのないものだった。
だが、そんな生活に小さな陰りが差す時が来た。
それはマナが31歳になり、娘がスクールに通い始めて少し経ってからの話だった。
その綻びはある日、娘――アイリスが泣きながら帰宅してきたことで始まった。どうして泣いているのかと問うマナにアイリスは答えた。
お友達が学校に来れなくなった、と。




