#14
マリナの許可が出たので4人乗りの小型船――ヘカテーでは大型船だ――に乗って私達は沖を目指した。
エイハブさんは船長というだけあって操舵の腕は確かだ。でも、よく考えたら船長であると言うことと、船の操舵にはあんまり関係性はないか。
私がそう考えていると、金色の目をしたトワがエイハブ船長に話しかけていた。
「おじいちゃん、船乗り?航宙船乗り?」
「……トワ、言いたいことはわかるけど、たぶんそれ伝わらないよ?」
「儂は海原を行く船乗り、漁師じゃよ。ヘリオスの狭い海で魚を追い続けた人生じゃった。ここは……この海は、儂にとっては理想郷じゃ」
「確かにヘリオスは海らしい海、無いですからね……」
エイハブ船長が何を思い、陸地型惑星であるヘリオスの小さな海で漁師をしていたのかはわからないけど、彼にとってヘカテーは終の海であると同時にパラダイスなのだということは私にもわかった。
やがて沖合……アルカンシェルを停泊している地点よりも沖合の海域へ船は到着した。
確か私達が一昨日ハンマーヘッドを釣ったのもこのあたりだったと思う。いや、周囲には陸地の影も見えないし、目印になるものは遠くに浮かぶアルカンシェルぐらいしかない海の上だから、確実かどうかはわからないけど。
エイハブ船長にならって私達も釣り糸を垂らしてみるけど、釣れるのは小魚ばかりだ。
そう言えば一昨日も最初は小魚ばかり釣れてたっけ。
「ベイトばかりじゃな。じゃがベイトがおるということは、ヤツもおる」
「ベイト……弁当?」
「似たようなモンじゃ。腹を満たすという意味ではな」
そう言ってエイハブ船長が教えてくれたのは、ベイトフィッシュという魚のこと。
特定の魚種を指すのではなく、大型で魚を補食する魚……つまりハンマーヘッドのような類いの餌になる小魚の事を指す言葉らしい。
そしてベイトフィッシュが群れている海域にはそれを狙った大型の魚が現れるとエイハブ船長は言った。
なら、しばらくここで粘っていればハンマーヘッドが釣れるかもしれない。そう思った時だった。
「おじいちゃん、引いてる」
「うむ……これは……デカいぞ!」
「トワ、引きずり込まれないように支えて!」
「わかった」
一昨日は私の竿に掛かったハンマーヘッドを2人がかりで釣り上げたけど、今日のアタリはエイハブ船長のようだ。
ナノカーボン製の釣り竿は折れることは無いけど、竿を持って行かれる可能性はある。
だから私とトワはエイハブ船長を後ろから支え、彼が海に転落しないように狭い船上でバランスを取りながらなんとか踏みとどまった。
エイハブ船長は、魚の引きに応じて糸の送り出しを織り交ぜながら、リールを巻いたり糸を送り出したりと巧みに緩急をつけていた。
焦らず、だが確実に獲物をこちらへと寄せている。そうか、一気に巻こうとするよりも魚の動きを見極めて力をいなす方が結果的に早く仕留められるんだね。
私が知らなかった釣りの駆け引きがそこにはあった。
それはまるでエイハブ船長が釣り糸を介して獲物……おそらくはハンマーヘッドと対話しているような、そんな印象すら感じられた。
竿の動きを見ていると、最初の引きは鋭かったのに途中からは竿の動きに派手が無くなり、ただ重さだけが残っているように見えた。
エイハブ船長もそれに気付いたのか、小さく呟く。
「やはり板鰓類か……」
「ばんさい……晩ご飯?」
「食えぬことはないが、不味いぞ」
「うん、美味しくなかった」
私達の故郷にも海はあったけど、巨大な水棲原生生物の住処だと推測されていて、立ち入りが禁止されていたから海のことは私も正直良くわからない。
ただ板鰓類と言うのは……たしかサメと呼ばれる凶暴な種類がカテゴライズされる分類だったように思うけど。
そして一昨日食べたハンマーヘッドのフライは確かに美味しくは無かった。
そんなことを言っている間にもエイハブ船長は釣り糸をどんどん巻き取っていき……やがてハンマーヘッドが姿を現した。
けど、これ大きくない!?
一昨日私達が釣ったものは全長1.5mぐらいだったけど、今釣れたのは優に2mは超えている。
長時間の対戦で疲れ切っているせいで大人しいんだと思うけど、これが元気を取り戻して暴れた船から叩き落とされる危険性があるよね?
私がそう思っている間に、エイハブ船長は懐から鋭利なピックを取り出すと手慣れた様子でハンマーヘッドの頭部……人間で言うと眉間にあたる部分だろうか?そこへピックを突き立てた。
ハンマーヘッドは一瞬だけビクンと跳ねたけど、その後は動かなくなった。
「一撃必殺。すごい。おじいちゃん、暗殺者?」
「いや、漁師じゃよ」
トワの少し的外れな賞賛にそう言って笑うエイハブ船長の顔には、とても晴れ晴れしい笑顔が浮かんでいた。
その夜、パブの宴席にはエイハブ船長の釣果であるハンマーヘッドが供された。
正直なところ決して美味しくない食材であるハンマーヘッドが中一日で登場したせいで老船員達からは盛大なブーイングが飛んだが、そのブーイングにはエイハブ船長への労りやエールのようなものが混じっていることは私にも理解出来た。
きっと彼らもエイハブ船長がハンマーヘッドを釣りたいと願っていたこと、そしてその願いが叶ったこを知って祝福しているのだろう。
トワはラボに戻ってからずっとエイハブ船長の隣にいて、色々と話をしている。
海のこと、魚のこと。
そして脳締めと船長が呼んでいた一撃必殺の技のこと。
普段から好奇心旺盛なトワだけど、あの子は普段こんなに饒舌に人に話しかけることはない。
私は……トワが何を思ってエイハブ船長に話しかけているのかが判っただけに、心が痛んだ。
やがて夜も更け賑やかな宴席も終わりを告げる。
多くの老船員たちがそれぞれのねぐらへと帰り、私達も二階の客室へ引き上げることにした。聞くとエイハブ船長もパブに部屋を借りているのだという。
酒場からの去り際、私はエイハブ船長に黙って一礼をした。船長も何も言わず、頷いてくれた。
灯りを消して床に就いた私だったけど、目は冴えていた。
暗闇の中で天井を見つめていると、隣のベッドからトワが起き出した音が聞こえた。
トワはそっと海が見える窓辺へと向かい、窓を開く。潮風に乗って静かな波の音と、小船が出航する音が聞こえてきた。
そして……海に向かってトワが謳う鎮魂歌も。
終の海では旅立つ者を見送らないことが不文律になっているとマリナは言っていた。
だけど、トワは……エイハブ船長を見送らずにはいられなかったんだろう。私もベッドから身を起こしてトワの元へ向かい、妹の隣に立って歌を紡ぐ。
私達の歌が、エイハブ船長の魂に安らぎをもたらすことを願って。
窓の外、波止場の先に1人の少女が佇んでいるのが見えた。
なんだ……マリナ、見送りは不要といいながら、しっかり見送りしてるじゃない。
――無言で佇むマリナの後ろ姿を見ながら、私はこの終の海を守ることを、改めて誓った。




