#2
自宅である高級マンションへ戻った彼が見たものは、自分の家財道具が乱雑に道路に積み上げられているという、目を疑うような光景だった。
困惑と怒りを押し殺しながら、マンションの管理人に事情説明を求めるレーン。
だが、返ってきた言葉は冷淡なものだった。
「あなたのスコアでは、このマンションに居住することができません」
レーンはこれまで一度たりとも家賃を滞納したことはなく、口座には十分な金額が残っている。レーンが強制的に退去させられるような理由はありはしない。
ここが、75以上の高スコア保有者が入居する優良物件でなければ。
既にレーンのスコアは61まで低下しており、入居審査に合格できないと管理人は告げる。
反論しようと試みたレーンだが、パノプティコにおけるシビルスコアの重要性……いや、神聖性を知る彼は、管理人に抗弁する言葉を持たなかった。
失意の中、家財道具を回収してどこか別の住居を探そうとマンションから出たレーンにさらなる追い打ちが待ち受けていた。
路上に放置された荷物の前に、市民調和局のビークルが停車している。
ビークルから降車してきたのは、レーンの知己であり同期入局したフレディだ。
フレディはレーンを一瞥した後、他人行儀な口調で言った。
「この荷物はあなたのものですか?」
「はい、そうです。強制退去でここへ運び出されました」
「市民から、この荷物について7件の苦情が寄せられています。速やかな移動を求めます。また、本件に関するペナルティとしてスコアが3点減点されます」
「……!おい、フレディ、いくらなんでもそれは……!」
「市民。市民調和局の職員に対する敬意の欠如した言動は減点対象です」
フレディは冷たくそう言うと、ビークルに乗って去り、レーンのスコアは57に低下した。
その後、レーンは何とか生活を立て直そうと努力した。
住む場所の確保。
新しい仕事探し。
だが、それらは難航した。
なぜなら既にレーンは標準的な市民を下回るスコアになっていたから。
いくら口座に残高があったとしても、シビルスコアが50台に落ちたレーンではまともな物件を借りることが出来ない。
いかにかつて市民調和局の職員を務めていたとしても、今は解雇されたただの一市民。
それも標準よりもスコアの低い、ロワーズに片足を突っ込んだ人間だ。まともな職業に就くことが出来るはずもなかった。
そしてレーンはさらに失点を重ねた。
これまでの感覚で利用しようとした店に入店を断られ、店員と口論してしまった。
飲み慣れない酒に手を出し、街中で泥酔した姿を晒してしまった。
酔ってフラフラと歩き、足がもつれて他の市民を押し倒してしまった。
そんな日々が続き、気付いた時にはレーンのスコアは39まで低下していた。
かつて良き市民だった彼も、ほんの半月ほどでロワーズを経てヨタへと転落していたのだ。
荒れた生活がさらなるスコア低下を招くことを理解しながらも、レーンは自らの行動を律しきることが出来なかった。
理由は簡単だ。
どれだけレーンが足掻こうとも、下がったスコアは一向に回復しなかったからだ。
ある日、噴水のある公園の前を通りかかったレーンは、かつてこの場所で出会った黒髪の少女のことを思い出した。
あの時、レーンの前で服をはだけて見せた彼女は、不思議な虹色の瞳でレーンを真っ直ぐに見つめてこう言った。
『一度脱いだことで下がったスコアとやらは、どれだけ服を着続ければ元に戻る?少なくとも妾が初日に減点されて以降、数日間服を着続けても点数は戻らなんだぞ?』
あの時、レーンは少女の言葉が腹立たしかった。
シビルスコアは安心をもたらす公平なもので、彼女の言葉はそのスコアを侮辱する言葉だと感じたから。
だが、彼女が言った言葉は正しかった。
一度下がったスコアは元には戻らない。どれだけ時間を掛けて、努力を重ねたとしても。
『一度下がったスコアが回復する兆しどころか回復させる手段すらも開示せぬ。つまりこの社会は一度でも失敗したら二度と元の居場所には戻れん社会じゃ。違うか?』
ああ、そうだ。彼女の言った通りだった。
パノプティコの制度は……たとえそれがかつては良き市民であったとしても、一度堕ちた者を救済する仕組みを持たないのだ。
レーンはようやくそのことを理解したが、全ては手遅れだった。
その後、レーンはモーリオンギルドのパノプティコ支部を訪れた。
かつて冷ややかに見つめた星外派遣事業の告知。
その告知が未だ掲示されていることを確認し、彼は心の底から安堵した。
半数ほどが閉鎖されたままになっているギルドカウンターで、派遣事業へ応募したい旨を申し出たレーンに対し、初老の女性が対応を行った。
ゲルダと名乗った女性は、どうやらギルドの支部長らしい。そのような立場の人物が窓口業務を行うことにレーンは困惑した。
だが、職員の大半がパノプティコから他惑星へ転属して行き、受付を行う人間が残っていないのだと苦笑しながら語るゲルダの言葉にレーンは衝撃を受けた。
ゲルダの言葉はパノプティコがギルド……すなわち星外の価値観に見捨てられつつあるという事実を示すものだったから。
だが、一瞬その事を考えたレーンは、自分自身もまさにこの星を捨てて出て行こうとしている事を思い出し、思わず苦笑した。
パノプティコの先行きがどうなるにせよ、それはもうレーンとは関わりの無いことになるのだ、と。
「それで、どのような手続きを行えば?申請書類は……」
「いえ、書類の提出は必要ありません。口頭での参加意思確認のみで応募可能です」
手続きがあまりにも簡素化されている事に驚いたレーンだったが、この制度はヨタの子供として生まれ、教育を受ける機会すら与えられなかった子供達を救うためにそう設計されていると説明を受けた。
そして自分達の星がその存在すら無視した子供達さえ、ギルドが1人の人間として救い上げていることを深く恥じた。
『レーン。この下に人が住んでる。助けてあげて』
銀色の髪と不思議な虹色の瞳を持つギルドの少女が、そう訴えかけてきた時、自分は何と答えた?
『安心を重んじるベンサムの市民は、そのような所には居住していません』
確かに自分の答えは市民調和局の公式な見解に従ったものだったが、実際にヨタはそこで暮らしていた。
自分達パノプティコの良き市民がヨタを救う気がないと知った彼女達は、自分の手でヨタを救済してみせた。
そして彼女たちが残した仕組みは、あの日救済を求める手を拒んだ自分すら救おうとしてくれている……。
――その後、レーンは農業惑星ルクルニアへ向かう旅客船に乗り、惑星上の時間で30数年の旅を経てこの地に到着した。
冷凍睡眠していた彼にとっては一瞬の旅だったが、既に長い年月が経過していて、銀河には大きな変化もあった。
だが……彼にとっては、外部の変化よりも今ここで人生を再生させることが最も重要な事だった。
「おお、姉ちゃん!ミーナのお産はどうやった!?」
「うん、安産やったよ!カルデクスから見に来るまでもなかったわ!」
農作業の手を止め物思いにふけっていたレーンは、農場主が親戚とおぼしき壮年の女性と和やかに話をしていることに気が付いた。
確かこの惑星では同じ恒星系内で惑星を隔てた婚姻関係を結ぶ、星結婚と言う制度があるとレーンも聞いていた。
農場主の姉であるその女性は40年ほど前にその制度でカルデクスへ渡り、彼女の娘であるミーナという女性が同じように星結婚でルクルニアへと戻る形で嫁いでいると農場主は言っていた。
そして今回、彼女はそのミーナの出産に立ち会うためにカルデクスから出向いてきている……という話も耳にしていた。
「そっか、なら姉ちゃんはもう、ばあちゃんやな!よっ、ミリシャばあちゃん!」
「なんやて!?こらっ、ジミー!」
初孫が生まれたという女性――ミリシャは、自らを祖母だとからかう弟を乱暴に小突く。
パノプティコであればおそらくシビルスコアが減点されるであろうそのやり取りが、レーンには愛情に溢れたとても暖かいものに見えた。
肥沃な大地に育まれた暖かい人の営みを目にしたレーンは……この地でなら再びやり直すことができると、自分はスコアから解放されて自由に生きることができるのだと思った。
――そう。見上げた大空に羽ばたく、あの鳥のように。
これにてレーンの物語は終了となります。
次回からは惑星トーエイでの「高度にせいぎてきなミッション」にアイリス達が挑みます!




