#8
>>Alyssa
人生何事も経験という言葉がありますが、今、私はその言葉を強く実感していました。
私が横たわっているのは病院の回復室。本来であれば麻酔からの覚醒を待つ場所です。
テロマーである私は常人と比較すると薬物の影響を極めて受けにくい体質で、もちろんその薬物の範疇には麻酔も含まれています。
……つまり、実質的に私は麻酔抜きで骨髄液を抜き取るという荒行に挑む形になりました。
しかもこの無麻酔チャレンジをさらに困難にする要素がありました。
麻酔が効いていないことを、医師に悟られてはいけない。
ええ、そうです。もし麻酔が効いていないことを知られてしまうと、その時点で骨髄移植が中止になってしまいます。
それはヒナが生き延びる選択肢を失うということと同義でしたから……私には、どれだけ痛くとも声を上げる事は許されませんでした。
骨に直接注射器を差し込まれるのは私の長い人生でも初めての経験です。
骨を砕かれるような痛みが腰から脳へと突き抜ける感覚。
私は全身麻酔を施されているという|設定
《・・》ですから、痛みに体を縮こまらせることも、泣き叫ぶことも許されません。
ただ歯を食いしばり、涙を浮かべて耐える地獄のような2時間でした。
私がこの痛みに耐えることが出来たのは、ひとえに過去に幾度も拷問を受けた経験があるから。
あの時も痛みに耐え、痛くない風を装い続けましたから……その経験が活きたことになります。
ええ、人生は何事も経験なのです。
こんな経験はもう二度とごめんですが。
「アリサ、大丈夫?」
「だいじょうぶ……じゃ……ない、です」
「でもがんばった」
「……はい」
まだ声を出すだけで腰からの痛みが脳に駆け上がってきます。
ええ、なので回復室です。
医師は私が緩やかに麻酔から覚めていると思っているのでしょうが……痛みの影響から少しずつ、本当に少しずつ回復していってるのが今の私です。
ですが、心配そうに私の事を気遣って下さるトワ様の顔を見れば、痛みも引くというものです。
「アリサ、キスする?」
「しますっ!ぐがぁぁ!」
トワ様の言葉に思わず跳ね起きた私ですが、激痛にあられもない声を上げ、その場に崩れ落ちてしまいました。
せっかくの接吻タイムなのに……。
あれ?もしかして私が獲得した接吻権って生ものですか?
リアルタイム消費しないと権利喪失するやつですか?
痛みで涙目になりならが、私は縋るような目でトワ様を見つめてしまいました。
そして私が痛みと闘っている間、ヒナもまた自らの命を守るための戦いに挑んでいました。
骨髄移植は手術ではなく点滴を通じて体内に私の骨髄液を送り込む形なのだとか。おそらく今、ヒナの命を繋ぐ一滴一滴が、静かに彼女の体に流れ込んでいることでしょう。
今の私は立つことも歩くことも叶いませんから、ここからヒナの健闘を祈ることしかできません。
そんな無力感に苛まれていた私の頭にそっと触れるものがありました。
視線だけを動かした私が見たのは……いつの間にか回復室へ入ってきていた、アイリスさんの姿でした。
「アリサ、お疲れ様。……麻酔、効かなかったんじゃない?」
「ええ、生注射で生髄液生吸引です」
「そっか、生か……。よくがんばったね」
そう言って私の頭を撫でてくれるアイリスさんの手は、とても温かく優しいものでした。
その後、私はアイリスさんからミッションの進捗についての報告を受けました。
アノインティング支部の怠慢。
フローラ・セレスセラとの邂逅と彼女が提示した達成条件。
そして何よりも、星の油壺と不可解なC3の動作。
明後日……いえ、既に日付が変わっていますから、明日までに解決できる案件のようには思えませんでした。
そして何よりも歯がゆいのは……おそらくフローラが示した期限を迎える頃まで、私が動くこともままならない状態になりかねないということです。
「すみません、私が受けたミッションなのに」
「だからそれはいいって言ってるでしょ?それにね、私ちょっと楽しくなってるんだ」
「楽しく……?」
「うん。あのフローラって子、面白いからね」
そう言って不敵に微笑むアイリスさん。
話を聞く限り、そのフローラと言う少女はアイリスさんと互角にやり合っている様子。
努力する天才、そして「英雄」であるアイリスさんにとって全力で当たれる同世代の相手というのは非常に希少な存在で……いわば強敵と書いて「とも」と呼ぶような好敵手を得た感覚なのでしょう。
そう、私がカレンと対峙した時のように。
私とカレンは命のやり取りの場で出会いましたが、アイリスさんとフローラはそのような不毛な場での出会いではありません。
願わくば2人の「戦い」が平和で穏やかな結末を迎えますように。
……私はただ、そう願いました。
「でね、アリサには悪いんだけど」
「ええ、判っています。トワ様、アイリスさんのお手伝いをお願いしても?」
「いいけど……いいの?」
「ええ。マリエッタがついていてくれますから」
「じゃあキスも無し?」
「それはいけません。接吻権は無期限保留でお願いします!……いたたた……」
「アリサ?またトワに変なことさせようとしてるの?」
「これは、正当な恩賞です……!」
ただ痛みに耐えながら待つだけの時間ですが、姉と妹の2人が側にいてくれれば……それだけで、その時間は私にとってかけがえのないものになるのです。




