インターミッション『ブリギッタ、オンステージ!』デアグリ-乳緑の惑星 #1
トワが乗った超光速艇「リュミエール」がジャンプ事故を起こした翌日の夕方。
マリエッタが乗ったリュミエールはアルカンシェルを離れ、2.7パーセク先の惑星デアグリへ向かって3度目のジャンプを行った。
アルカンシェルの船窓から観測されたジャンプ時の光芒は初回と同じ虹色で、ジャンプが成功したであろうことをアイリス達は確信した。
一方、船内のマリエッタは若干緊張していた。
緊張の理由はジャンプ事故への懸念ではない。ジャンプ事故の原因はトワの異様なまでに高いシンガー能力に起因するものだというアイリスの説明に納得していたし、アイリスの言うことなら信じられると思っていたので。
では何に緊張しているのかというと……実はこれがマリエッタにとっての「初めてのお使い」だったからである。
孤児院育ちであるマリエッタは一般家庭のようにお金を持たされてお使いに出る機会など無く、施設を出てからも寮暮らしのマリエッタにお使いを頼む人などいなかったからだ。
もちろん独りで買い物に出たことは何度もあるが、自由意志での買い物とお使いでは少し心構えが違う。そのため、マリエッタは緊張していた。
本当にフルーツ牛乳とコーヒー牛乳を買うだけでいいのか。もっと他のモノも買ったほうがアイリス達が喜ぶのではないか……と。
なので、マリエッタは今回のお使いに頼りになる「相棒」を同行させた。
先頃彼女が古代文明の施設で手に入れた、エクソギアと呼ばれる重装甲ドローン。マリエッタはその機体に「ブリギッタ」と名を付け、カスタマイズを開始していた。
ブリギッタはあくまでも戦闘用の機体であるため、搭載されている人工知性体は機体制御や戦術分析に特化している。故に会話や問題解決には適しておらず、実際現時点でブリギッタが応答できる言葉はたったの2つだけだった。
これでは何かあった際の相談相手としては心許ないが、それでもマリエッタは、ブリギッタが同行してくれることで緊張が紛れる様な気がしていた。
それはまるで小さな子供が初めてのお使いに赴く際に、お気に入りのぬいぐるみを抱き抱えていくかのような感覚であった。
かくして、不安と期待に心躍らせるマリエッタが乗ったリュミエールは目的地である惑星デアグリへと無事にジャンプアウトし、はじめてのお使いが始まった。
航宙船向けの物資は惑星上に降りずとも軌道ステーションで買い付けを行えるよう、航宙船向けの取引を専門的に行うトレーダーが軌道ステーションに常駐しているのが一般的だ。
水や酸素触媒、保存食、フォトンセル。それに空気や水の濾過フィルター。
航宙船が稼働するのに必要な消耗品は全てトレーダー達が取り扱っている。
さらに農業に注力しているデアグリの場合であれば、主力輸出品である加工食品……日持ちがして、他惑星でも喜ばれる精肉品や乳加工品、高品質な小麦粉なども軌道ステーションで買い付けることが出来る。
だが、今回マリエッタが買い付けに来たのはそのようなものではなかった。目的はただ一つ。
瓶入りのフルーツ牛乳……とコーヒー牛乳だ。
マリエッタにとってフルーツ牛乳は特別な飲み物だった。貧しい孤児院において食事は毎回必要最低限のものしか与えられず、嗜好品の類いは口にする機会など殆どなかった。
そんな中で年に一度の誕生日にだけ、食事に添えられていたのがフルーツ牛乳だった。無論ケーキなどは与えられず、そのフルーツ牛乳にしても孤児達の面倒を見ていた教師達のポケットマネーで供されるモノであったが……それでもマリエッタ達孤児にとって、フルーツ牛乳は特別な飲み物だった。
施設からギルド統括局に引き取られ、自活するようになったマリエッタは多額の奨学金返済を強いられる中、少ない生活費をやりくりしながら生計を立てていた。
そんな彼女の心の支えであるフルーツ牛乳は……残念ながら、ギルドの拠点である機動要塞オラクルXVIIIでは入手することが出来なかった。
なので、アイリスの秘書官となって初めてオラクルを離れたマリエッタが最初の訪問先であるリンデールでフルーツ牛乳を見かけたとき、手持ちのお金を全てはたいてフルーツ牛乳をケース買いしたのは当然と言えば当然だったと言えるだろう。
そしてその後、航宙船内に檜風呂が設置されるという俄には信じがたい状況が発生し、マリエッタはアイリス達にも秘蔵のフルーツ牛乳を提供した。
風呂上がりにはフルーツ牛乳が欠かせないという、ネットで見かけた異星の風習を語りながら。
風呂上がりの話は口実で、本当は自分がこよなく愛する飲み物を、敬愛するアイリス達にも知って欲しいと思ったが故の行動だったが、布教に成功したことでアルカンシェルでは空前のフルーツ牛乳ブームが巻き起こった。
結果としてマリエッタが購入した1ケースはあっという間に飲みきられてしまったが……マリエッタは決して後悔していなかった。
「フルーツ牛乳でみんなが笑顔になってくれるなら、それが一番だもんねっ」
なので、マリエッタはジャンプ事故の直後であるにも関わらず、自らフルーツ牛乳の買い出しに志願したのだった。
フルーツ牛乳が皆の笑顔を守るものだと信じて。
しかしそんな彼女の願いはトレーダーの言葉によって打ち砕かれた。
「悪いな、嬢ちゃん。生乳製品は扱ってないんだ」
「どうしてっ……在庫切れですかっ!?」
申し訳無さそうな、そしてどこか哀れむ様な表情でトレーダーが語った内容はこうだ。
デアグリの中でも酪農を中心としている都市と、軌道ステーションの地上駅を結ぶルートの途中に牛乳輸送車を襲う巨大な原生生物が出没し、物流が滞っている。
クロコンダと呼ばれるその原生生物は元々生乳の匂いを忌避する性質を持っていたが、群れのボスらしき巨大な1体が半月ほど前から急に生乳の輸送車を襲い始めたのだと。
「それ、大事じゃないですかっ!」
マリエッタは血相を変えてトレーダーに詰め寄るが、トレーダーは気にした様子を見せず、続けた。
クロコンダの活動範囲はかなり広いらしく、代替ルートは本来のルートを大きく外れた遠回りになるため消費期限の短い生乳製品の取り扱いに支障が出ているのは事実だった。
だが、デアグリの輸出品目である加工乳……チーズやバター、粉乳類はクロコンダを刺激しないため普通に搬送できるのだそうだ。
「そもそも生乳製品は日持ちしないから星外へ輸出しないんだよ。それに瓶牛乳じゃ航宙船で飲めないだろ?」
トレーダーが言うように、本来無重力である航宙船内で瓶牛乳を飲もうとするのは自殺行為に等しい愚行だ。
開封した途端、球状になった牛乳が機内へ漂い出て……運が悪ければ牛乳で窒息死する。
それゆえにそもそも軌道ステーションに瓶牛乳――もちろん、その中にはフルーツ牛乳も含む――は置かれていないのだ、と。
そんな理由もあってトレーダー達はフルーツ牛乳を買い求めようとするマリエッタに怪訝げな目を向ける。
マリエッタは見た目通り年端もいかない未成年の少女だが、一般的にはどこの惑星でもこの年齢で宇宙に出た経験を持つ子供を探す方が難しい。なので、この少女は無知故に航宙船用の物資にフルーツ牛乳を選んだのだろうか……と。
だが、トレーダー達に開示されている取引用の搬入先情報には、マリエッタが単座型の航宙艇でデアグリを訪問したことが記録されている。
つまり、目の前の少女は独りで航宙艇を操縦できるだけのスキルを持ち、母船のクルーから買い出しを任される人材であり、宇宙について知らない素人ではないはずなのだが……。
訝しむトレーダー達の態度にマリエッタは焦った。まさか、自分達が乗っている航宙船は遺失文明の手による古代宇宙船で、船内では完全な重力制御が行われていて瓶牛乳が飲めるどころか、普通に大浴場もある……などという真実を口走ることは出来ないし、仮に口にしたとしても信じて貰えるはずもないので。
そこで、マリエッタは一計を案じた。
「マリエッタは、ギルドの所属ですっ!ギルドでは、瓶牛乳もアリなんですっ!」
ギルド、と言う言葉に、マリエッタに対応していたトレーダー達は顔を見合わせた。銀河全域に及ぶ強大な影響力を持つ組織なら……船内で瓶牛乳を飲める高度技術が存在するのかもしれない。
いや、そんな馬鹿馬鹿しい技術が無かったとしても、ギルドの仕入れ担当者が――たとえそれが年端もいかない少女であったとしても――欲しいという物資の提供を拒んで不興を買うのは好ましくない。
マリエッタが目論んだ通り、トレーダー達はそう考えた。
だが、実際問題として軌道ステーションに瓶牛乳は搬入されていない。嗜好品として少数取り扱われていたパック入りのLL牛乳であれば原生生物騒ぎの前に搬入された在庫が少し残っていたが、マリエッタはあくまでも瓶牛乳に拘ったので。
それ故に、マリエッタは地上に降り、自らの手で巨大原生生物問題を解決することにした。
瓶入りのフルーツ牛乳を買い求めるために。




