水月と兄妹楽師
夕食どきの宿屋。食堂となっている一階には、朝から降り続く雨のせいか、普段より人が多い。
ドアが開き、短剣を持った女が一人入って来た。着ている紺の甚平は濡れて色が濃くなり、黒い髪からもぽたぽたと雫が垂れている。
女は急ぎ足で二階に上がり、しばらくしてから赤の甚平に着替えて降りて来た。そして、さっと食堂を見回し、金髪の男と栗色の髪の女――アルフとフィレイ――がいるテーブルについた。
「お帰り、水月」
「ずいぶん遅かったな」
「ごめんごめん。雨がなかなか止まないものだから、小降りになった隙を狙って戻ろうと思ったんだけど、途中でひどくなってきて、結局ずぶ濡れよ」
やがて料理――鶏肉入りのシチューと黒パン――が運ばれて来た。どうやら二人が水月が戻る前に頼んでおいたらしい。
「それで、どうだった?」
「うん? さすがにルトンの鍛冶屋ね。腕が良いわ」
「そうじゃなくて。噂のことだよ」
「そっちは収穫なし。やっぱり噂は噂なんじゃない?」
「気になるって言ったの、水月だろ?」
「ああ、そうね」
肩をすくめて、水月は料理に手をつけ始めた。一旦食べ始めると、水月はほとんど口を利かなくなる。
それを知っている二人は、あえて話しかけることはしない。それに例え話しかけても、まともな返事は返ってこない。
食堂に竪琴の音が響き始めた。食堂の奥、一段高くなった所に、少年が竪琴を抱えて座り、その隣に、少女が立っていた。
金髪に青い目、そしてよく似た顔の二人は、どうやら兄妹らしい。
やがて少年がうなずいた。それが合図らしく、竪琴の音に合わせて少女が歌い始めた。
谷間の風は山を越え
川を下りて里へ吹く
里に残したあの人は
今ではどこにいるのだろう
風よ 風よ
私の思いを伝えておくれ
どれほど遠く離れても
私の思いは変わらぬと
どこかの民謡らしいその唄が終わると、ほとんどの客がこの兄妹に拍手を送った。ただ一人、水月だけは、眉間に少ししわを寄せていた。
「あの、気に入りませんでしたか?」
声に、食事を終えた水月が横を向くと、少年が竪琴を持って立っていた。青い目が、水月に注がれている。
「唄は良かったけど、それが、ね」
水月がそれ、と指差したのは、少年の抱える竪琴だった。
「竪琴が、どう悪かったの? 上手だったと思うよ」
「それ、ちょっと貸して頂戴な」
フィレイの言葉を聞き流し、水月は少年に頼んだ。少年は少し悩んで、水月に竪琴を渡した。
六本の弦を爪弾き、手早く調弦する。周りの者は、一体何が始まるのかと興味深げに見ていた。
水月は一瞬、赤い唇を笑みの形にした。一つ息を吸い、歌い始める。
歌ったのは、さっき少女が歌ったのと同じものだった。違うのは、和弦で弾いているということだけ。
水月は初めの一節を歌っただけでやめたが、それでも拍手が起こった。
竪琴を少年に返し、水月はさっさと二階に上がって行った。
部屋に入り、後ろ手でドアを閉める。ごろりとベッドに横になると、自然にため息が漏れた。
(余計なことだったかしらね)
全く止む気配のない雨音に混じって、ノックの音がした。ドアに向けて、どうぞ、と声をかける。
ゆっくりとドアが開き、入って来たのは、さっきの楽師の少年だった。
「何か、用?」
さては苦情でも言いに来たものかと、水月は少しばかり身構えた。
「竪琴の弾き方を教えて頂けませんか?」
水月は少しの間、少年をまじまじと見た。少年が答えを欲しがっていることに気付き、慌ててうなずく。
「いいよ」
少年の顔が輝いた。
少年から竪琴を受けとると、水月は二度と先の曲を弾いてみせた。一度目はゆっくりと、二度目は普通の早さで。
少年に竪琴を返す。初めはつまずいていたが、繰り返すうちになめらかに弾くようになった。
「後は、自分で練習なさいな」
少年は何度もうなずいた。
「ねえ、貴方、『女』の噂を聞いたことはある?」
「『女』、ですか?」
「ええ、『ルトンの女』。何か知らない?」
「いえ、聞いたことはないです」
「そう……。ありがとう」
少年が竪琴を抱えて出て行くと、水月は再びベッドに寝転んだ。




