夏乃の決断
水月が風穴に向かってから、ちょうど三日後の朝。いつものように花に水をやっていた夏乃は、空を見て眉をひそめた。普段ならせいぜい一、二羽ほどしか見ないカラスが、今日は数えきれないほど飛んでいる。
(水月……無事だといいけど)
そう思いながら花に視線を戻したとき、地面が大きく揺れた。思わず倒れ込む夏乃。遠くから地響きが聞こえてくる。家の中からも何人か人影が飛び出してきた。
地震がおさまってから、夏乃はさっきの地響きが風穴の方から聞こえてきたことに気が付いた。
心臓が早鐘を打つ。両手をきつく握りしめ、夏乃は真っ直ぐに祖父の部屋へと向かった。今の時間なら、たぶん刀也はいるだろう。
「失礼致します」
引き戸を開けて中を見ると、果たして刀也老人が彫像のように座っていた。
「夏乃、何ぞ、用か」
「お爺様、私も風穴に行かせてください。お願いします」
目の前で、頭を床につけて頼み込む夏乃に対し、刀也翁の答えは「ならぬ」の一言だけだった。
「お前が水月を案じておるのは分かっておる。しかしお前は次の<影祓い>。今風穴にやって、お前の身に何かあればどうする」
「ならお爺様は、水月を見殺しになさるおつもりですか!」
刀也翁は、煙草盆を引き寄せ、煙草を吸いつけた。
「夏乃、お前ももう子供ではない。自分がするべきことは、分かっているだろう」
「……どうしても、ならぬと仰るのですか」
「一人前の大人ならば、己の責任で、己がすべきことをするものだ。この意味が、分かるな?」
顔を上げた夏乃に向かい、刀也翁は小さくうなずいて見せた。夏乃は勢いよく立ち上がり、祖父の部屋を飛び出した。そのまま廊下を走る。
「夏乃、そんなに慌ててどうしたんだ」
「風穴に行く。兄さんたちが止めても行くわ」
「誰が止めるか、俺も行く」
「俺たちも行こう、フィレイ」
「もちろん!」
夏乃、冬也、アルフ、フィレイの順で家を飛び出し、風穴へと走って行く。
地震のせいで何本も木が倒れている。所々迂回しながら、どうにか四人は風穴までたどり着いた。
ごつごつとした岩がむき出しの崖。そこに口を開けていたであろう洞窟は、崩れ落ちてきた岩や土砂で埋まっていた。
「水月!?」
夏乃の声は悲鳴に近かった。冬也は唇を真一文字に結び、うつむいたアルフの腕をフィレイが強く掴んだ。
「水月!」
夏乃の叫び声。冬也が夏乃の肩に手を置いたとき、ピィー……、と指笛の音が辺りに高く響いた。二度、三度。繰り返し聞こえる。
夏乃が音の方へ駆け足で向かう。すぐ近く、それでも四人からは死角になっていた場所の前で立ち止まり、三度目の叫び声を上げた。
大きく亀裂の入ったそこには、血と泥にまみれた水月が仰向けに横たわっていた。四人を見て、口元にうっすらと笑みを浮かべる。
「もう地震もおさまってるぞ。早く上がって来いよ」
「そうしたいのは山々なんだけどね。足をやられちゃって、動けないのよね」
「分かった。ちょっと待ってろ」
やがて、冬也に肩を借りながら、水月が亀裂から登ってきた。
「やれやれ。もうやりたくないわ」
そう言う水月の顔には、何とも言えない表情が浮かんでいた。
冬也の家に戻った水月は、自分の部屋で董乃と向かい合っていた。
「さて、こんなことになってしまったが、祓いはできたか?」
「はい。確実に祓いを行ってきました。……風穴は崩れてしまいましたので、今後、風穴で祓いをする必要は無くなるでしょう」
「そうだな。怪我をしたそうだが、その、大丈夫なのか?」
「ええ。大したことはありません」
ふと、笑みが漏れた。
「何だ?」
「いえ、ここまで穏やかな董乃さんは、初めて見るので」
「ふん、口の減らん娘だ。まあいい。爺様にも伝えておく」
董乃も口調とは裏腹に、口元に笑みを浮かべて部屋を出て行った。
それから三週間ほど経った日の朝。水月ら三人と冬也、夏乃は港の傍の市場にいた。様々なものが売られているのを見ながら船を待つ。
「商売してる兄さんはともかく、水月も行くの?」
「連れもいるし、もうしばらくは旅烏でいたいからね」
「そう。ま、水月の人生だしね」
そして、やってきた船に乗り込む。船が出た後も、水月はカラの港が見えなくなるまで甲板に立っていた。




