水月の激昂
水月が散歩から戻ると、「流」の食堂でフィレイが茶を飲んでいた。ほっとした顔でお帰り、と声をかけて来る彼女に返事をして、水月は部屋に向かった。
部屋に入り、一番初めに目に留まったのは、テーブルに突き立ててあるナイフ。留められていた手紙を一読した水月の顔から血の気が引いた。
やがてその顔は怒りに染まる。荷物を探り、短剣と三角柱の棒を取り出し、棒の表面に何か書き付けた。
それが済むと、普段は横の方でまとめて前に流している髪を下ろした。烏の濡れ羽色の髪を後頭部で高く束ねる。
手紙と棒、手紙を留めていたナイフを懐に入れ、水月はゆっくりと食堂に行った。
「冬也、ちょっといい?」
「どうした?」
振り向いた冬也に、笑みを見せる。それでも冬也は水月の顔を一目見て、顔をしかめた。
「空き屋敷、ってどこにあるの?」
「空き屋敷? あんな所に何しに行くんだ?」
「いいから、教えて」
「……分かったよ、分かったから睨むな。広場に出て、服屋と花屋の間の道を行くと、すぐに三叉路に分かれてる。そこの一番右の道を行くと、突き当たりに家がある。そこが空き屋敷だ」
「ありがと。フィレイ、貴方はここで待ってて」
フィレイが何か言おうとしたが、水月の顔を見てびくりと体を震わせた。水月は短剣を肩にかけ、教わった道を歩いて行った。
固い爪先が腹に食い込んだ。後ろ手に縛られ、床に転がされているアルフは低く呻いた。胃液が喉元まで上がってくる。
ここに連れて来られてからどれほど時間が経ったのか。長いようにも、それほど経っていないようにも思える。
きつく縛られた手は感覚がなく、冷たい。
霞む目に、にやにやと笑いながら自分を蹴ろうとする、フランツの姿が見えた。とっさに後ろに転がった。壁を支えに立とうとする。
今度は拳が腹にめり込んだ。身体を折り、咳き込む。その間に蹴倒された。
「ったく、腱を切った方がいいな」
言葉の意味に気付いても、逃げられない。フランツはナイフを取り出した。
ナイフが足に近付く。切られる、と思った。
銀の刃がアルフの足の腱を裂く直前、フランツの背後でドアが砕け散った。分厚いマホガニー材のドアが、まるで紙か何かのように。
「誰だ!」
ドアがあった所に仁王立ちをしている人影に、フランツが怒鳴った。光るものがフランツの左耳をかすめて壁に突き刺さる。一瞬の後、フランツが鼻を押さえて背中を丸めた。彼の鼻からぼたぼたと血が落ちる。
「誰だも何も、貴方が品のない招待状を寄越した相手に決まってるでしょう」
静かな口調で人影――水月が入って来た。一応口元には笑みが浮かんでいる。しかし黒い瞳には怒りが燃えていた。
「それで、決闘はどうするの?」
怪訝そうなフランツ。水月はフランツの足元を指差した。三角柱の棒が落ちている。鼻血で汚れているものの、文字は読み取れる。
「どうしたの? 旅烏の女に負けるかもしれないから、怖いの? 意外と意気地がないのね」
水月の言葉にははっきりと嘲りが込められている。フランツの額に青筋が立った。決闘棒を拾い上げ、水月に投げる。
「結構」
水月が笑顔でうなずいた。




