宿屋「流」
カーツにある宿、「流」。小ぢんまりとした宿屋兼食堂ではあるが、なかなか評判が良い。
主人の冬也は今年三十だというが、童顔で愛嬌のある顔つきなので、年齢より若く見える。食堂で出す料理はこの大陸のものではない。主人の出身である東方の島国、カラのものだ。それも種類が豊富で美味しいと評判だった。
今日も「流」の一階、食堂部分はにぎわっている。
突然、扉が勢いよく開き、筋骨たくましい金髪の男が入って来た。にやにやと馬鹿にするような笑いを浮かべながら、宿を見回す。
「けっこうな宿屋だと聞いて来たが、何だ。ただの田舎宿じゃねえか」
嘲る言葉に、厨房で他の従業員と一緒に働いていた冬也がぴたりと手を止め、眉を吊り上げた。それでも穏やかに注意する。
「冷やかしで来たんなら帰ってくれ。こっちも商売なんでね、お前さんみたいなのに構っていられない」
「あ? 何か頼めばいいんだろ? 酒持って来い、酒!」
やがて酒が運ばれて来ると、男はグラスを掴み、運んできた若い男に投げ付けた。突然のことで避けられず、グラスは青年の額に当たって割れた。うずくまる青年。額からは血が流れる。
静かに冬也が厨房を出て来た。まっすぐに男の座る席へと向かい、右手に掴んでいた出刃包丁を勢いよくテーブルに突き立てる。
「冷やかしなら断ると言ったぞ。飯を食いに来る奴も旅の疲れを癒しに泊まる奴もいるんだ。ここが気に入らなきゃ、他所で酒でも飯でも好きなもん食やあいいだろうが。手前みてえに、世迷言をほざく奴はとっとと出て行きやがれ」
普段は穏やかなこの主人からは想像もつかない剣幕である。男は真っ赤になって何やらわあわあと怒鳴りだした。
冬也は出刃包丁を抜いて、今度は男の鼻先にそれを突き付けた。
「金はいらん。その代わりさっさと出て行って、二度と来るな。手前が居たんじゃ他の奴の迷惑だ。さっさと出て行かねえか!」
ほとんど蹴り出すように男を追い出し、冬也は怪我をした青年の所へ戻った。手拭いを使い慣れた手つきで傷を止血する。
「大丈夫か? しばらく休んでな」
青年が、はい、と言って奥へと引っ込みかけたとき、再びドアが開いた。さっきの男が戻って来たのかと、食堂に緊張が走る。
冬也もきつい顔で扉を見たが、入って来た人影を見て破顔した。
「何だ、水月じゃないか。おどかすなよ」
「別におどかしたつもりはないわよ。そもそも、客に向かって何だはないでしょう、何だは」
「悪い悪い。二年ぶりか? それにしては変わらんな」
「二年やそこらで見た目が変わってたら怖いわよ。そんなことより、一人部屋一つと二人部屋一つ、空いてる?」
「ちょっと待ってくれ。…………悪いな、塞がってる。あ、でも三人部屋ならまだ空いてるぞ」
水月は、どうする? と問いたげに連れの二人を見、そこでいいわ、と答えた。
「飯はどうする?」
「昼はさっき済ませてきたの。夜にお願いするわ」
「そうか。――水月」
突然低くなった冬也の声に、水月はわずかに首をかしげた。
「後で話がある」
水月は小さくうなずき、連れの二人と一緒に二階へと上がって行った。




