第三章① ランデヴェネック
昼の光はどこか鈍かった。空は晴れているのに、空気が重く風が動かない。ランデヴェネックの港から少し離れた崖の上、人目を避けるようにして四人の人物が集まっていた。
アランは腕を組んで海を眺め、彼の背後にはヤン、少し離れた位置にワンとポーランが岩場に腰掛けている。最初に口を開いたのは、ワンだった。
「周辺の村、全部当たってきた。結果から言うと全滅」
「口、揃えて同じこと言うんですよ。“そんな連中、見たことも聞いたこともない”って」
ポーランが息を吐いて笑うが、声は平坦だった。ヤンが振り返ってワンを見据える。
「……金、握らされてますね。規模は?」
「広いよ。一つ二つじゃない。港周辺一帯、ほぼ全部」
ワンが即答し、ポーランが後に続くように報告する。
「つまり、外から来た人間は何も掴めないようになってます」
アランは海を眺めたまま促す。
「……で、本題は?」
「報告いたします」
ヤンがアランの隣に並んで彼の横顔を見据えながら言葉を紡ぐ。
「黒い船の内部で確認した書類およびマテオさんの証言を照合した結果、ダラス家が関与している可能性は極めて高いと判断しました」
風がようやく動き、アランの眉がわずかに寄る。
「……根拠は」
「複数あります。まず、黒辰封儀教団との接触。次に、戦争計画の背後に存在する資金と拠点の流れ。そして、過去の発言との一致」
「過去?」
アランの視線が初めてヤンに向き、ヤンはこくりと頷く。
「ジャスパーさんが確認しています。教団を引き連れていた貴族が、“ダラス家”と名乗っていたと」
ポーランが思わず舌打ちし、ワンも珍しく唸る。
「最悪だよぉ」
「よりによって、そこか」
「……旧ブルボン派の正体はダラス家、か」
アランの呟きにヤンが頷く。
「断定はできませんが、現時点の情報を統合すると可能性が最も高いです」
アランが視線を落としてぽつりと呟く。
「あいつが言ってたな。『ダラス家には気をつけろ』って」
風が少しだけ強く吹く中、ワンが彼の言葉に反応した。
「ゼフィランサス、ですか」
アランは再び海に目を向けて波間から人影を探すように見渡した。
「……あいつは、どこまで知っていた」
知っていたのか、知らなかったのか。それとも知っていて言わなかったのか。その答えはここにはない。アランは重いため息を吐いた。ジャスパーのこともルキフェルのことも、血の話は出さない方がいい。知っている者だけが背負う情報だ。風が再び動き出し、遠くで波が砕ける音がした。
一方、リヴェンジ・クイーンの船内は妙に騒がしかった。
「いねえぞ!」
「どこ行った!?」
「さっきまでいたんだぞ!」
荒い声が飛び交い、足音が重なるが、外の喧騒とは裏腹に船長室のはやけに静かだった。
「あのチビが消えた?」
エドガーは外套を脱ぎ捨て、別の服に乗り換えようとしていた。
「知らん。どうせ一人逃げたところで大して変わらん。ガキだろ。ほっとけ」
エドガーが鼻で笑うと、報告に来ていた海賊は引き下がって扉を閉めた。エドガーはシャツを脱ぎ捨ててぽつりと呟く。
「……で、次だな」
エドガーは机の上に置かれた地図をちらりと見て指先で位置をなぞる。
「港はもう把握してる。潮も時間も問題ねえ。——十一月二十九日の夜、この日でいい」
その時、ドンッという乱暴な音とともに扉が開いて苛立ちの声が落ちる。
「おい」
マテオがズカズカと入室し、彼の後ろからニールとジャスパーが追いかけてくる。
「待って!」
「やめとけマテオ——」
マテオは二人の制止を振り切ってエドガーの背を睨んだ。
「あのガキをあんま舐めんじゃねえぞ」
エドガーは新しい服を手繰り寄せて不機嫌な声で返す。
「あぁ、なんだって?」
エドガーが振り返った瞬間、マテオの視線がエドガーの左腕に止まった。腕に刻まれている黒い星を見て、マテオの頭の奥で何かが弾けて思わず目眩がし、手が自分の左腕へと伸びた。硬く冷たい義手に触れるが、失った記憶はまだ生々しい、心臓がドクドクと鳴ってうるさい。嫌な汗が背中を伝う。
“同じ印”。偶然か。それとも……マテオの思考が止まりかけた時、エドガーが彼を睨みながら口を開く。
「まだなんか用か」
ニールとジャスパーが一瞬で固まるも、マテオは目を伏せて口角をあげた。
「……いや、なんでもねえ。それにしても、良い刺青してんな」
マテオがエドガーの左腕を指す。エドガーは数秒だけマテオを見詰めたあと興味を失ったように背を向けた。
「はっ、だろ? お前も入れりゃいいじゃねえか」
投げやりな一言で話は終わった。少なくとも、エドガーの中では。マテオが左腕を頻りに触れているとニールがそっと近づいてきた。
「……マテオ」
エドガーは服を整えながら三人に声を飛ばす。
「十一月二十九日、夜だ。準備、怠るなよ」
三人が甲板に出ると風が強くなり始めていた。さっきまでの船長室の空気が嘘みたいに冷たいが、マテオの頭の中はまだあの場に引きずられていた。黒い星が脳裏に焼き付いている。目を逸らしても消えない。足が止まりそうになる。
……言うべきか? 仲間に。あの印のこと。それから、自分が同じものに関わっていたことも。
マテオの喉が思わず詰まる。こんな感覚は珍しかった。
「……なあ」
マテオが口を開いた瞬間、彼の真横からジャスパーの声が降ってきた。
「ああ、分かってるよ。黒い星だろ?」
「……見てたのか」
マテオの声が萎縮し、ジャスパーは肩をすくめてあっけらかんと言う。
「見えるだろ、あんなの。それにさ。前に似たようなの見たことあんだよ。黒い服の集団、ここ来る前にな。服に星、描いてた」
ニールも思い出したように口を開く。
「僕も見た。覚えてる? ルキフェルが前に手に入れた、旧ブルボン派の手紙」
「……ああ。便箋の隅に同じようなマークがあった」
ジャスパーが頷いた。風が強く吹き、帆布が頭上でばたつく音とマテオの鼓動が重なる。ニールが言葉を探しながら続ける。
「それでさ、リー・ウェンが詳しかったんだよね。……たしか、“黒辰封儀教団”っていうらしい」
「名前あんのか」
ジャスパーが軽く言う横で、マテオの額から汗がじわりと滲むも拭う素振りはない。一方、ニールは眉間に皺を寄せながらまだ思い出していた。
「リー・ウェン曰く、古くから星に纏わる予言があるらしくて……その教団は予言が叶ってほしくない側なんだってさ。……もしかして、エドガーは教団の一員ってこと?」
風が一瞬止み、ニールが同意を求めるようにジャスパーをチラ見すると、ジャスパーは顔を伏せてすぐ口を開いた。
「わからん。まあ、これだけの拠点を持ってるんだろ。繋がってても、おかしくはない……ないけど」
そこでジャスパーの言葉が止まった。マテオが思わず視線を向けるとジャスパーは眉を寄せてながら顔を上げる。
「違和感あるんだよな。なんでエドガーが教団の一味なら、なんでダラス家と対立するような態度を取るんだ?」
マテオの中何かが弾けた。
——エドガー。あいつも、“連れられた側”なのか? 可能性として。完全ではないが、限りなく近い。
マテオの胸の奥で別の感情が浮かんだ。安堵、自分が何も言わなくてもここまで来ている。真相へと勝手に近づいている。マテオは息を吐いて左腕から手を離すと風がまた強く吹き、三人は甲板に立って同じ方向を見ていた。だが、見ているものは、それぞれ違っている。
夕刻、潮の流れがわずかに変わる頃。第八船団の船影がランデヴェネックに戻ってきた。帆を緩め、舵を切ると軋む音とともに船体が接岸した。
「ロープ投げろ!」
「固定、急げ!」
あちこちで声が飛ぶ。偵察名目の出港だったが、戻ってきた船の空気は明らかに違っていた。フェリスは桟橋に降りるなり、すぐに周囲を見渡した。人の流れ、顔色、視線。港全体に妙な緊張が走っている。
「なんか、空気おかしくない?」
彼の隣に降りたアーシャが囁くも、フェリスは頷かなかった。
「聞いてくる」
フェリスが桟橋を進み、アーシャも別方向へ散った。情報は足で拾うものだ。しばらくして、先に声を上げたのはアーシャだった。
「……は?」
彼女が蜻蛉返りのように桟橋に戻るとフェリスが桟橋の上で涼んでいた。
「どうしたの、姉さん」
フェリスが問うとアーシャは息を整えもせず言った。
「襲撃日、決まった。十一月二十九日、夜」
「……早いな」
フェリスの目が細くなる。想定より、前倒し。準備が整う前に来る。アーシャが目を逸らしながらぽつりと続ける。
「……で、さ。コリン、これ知らないじゃん」
フェリスはアーシャを見た。
「……あの子についていったの、誰だっけ?」
「知らない。でも、アランさんの仲間」
フェリスは何も言わなかったが、次の瞬間にはもう動いていた。
「探そう」
「今すぐ?」
「今すぐだよ。放置できる状況じゃない」
襲撃まで、二日。その間コリンが何をするか想像がつかない。いや、想像できるからこそ。
「たぶん、あの子って一人で突っ込むタイプだろ」
フェリスの言葉に、アーシャが顔を顰めて深い息を吐く。
「……それ、否定できないのやめて」
「最悪、海軍に単独接触とかやりかねない」
「やるね」
「やる」
二人の視線が一瞬交わり、フェリスが言う。
「第八、動かそう。偵察名目で出る」
「ついでに捜索ってことね。ついでじゃないけど」
アーシャがやれやれと呆れるも、フェリスは踵を返してタラップを駆け上がった。
「準備入るぞ!」
フェリスの声が甲板へ飛び、すぐに反応が返る。
「了解!」
「帆、確認!」
「補給、急げ!」
アーシャは船員たちの流れの中でふっと小笑った。やがて再び帆が張られる。風を掴み、船体が軋んで水を切る。第八船団は再びランデヴェネックを離れた。
名目は偵察だが、実態は無鉄砲な少年の回収と迫る襲撃への対抗。海の上では誰も立ち止まっていない。それぞれが、それぞれの理由で動いている。交わるか、ぶつかるか、間に合うか。答えはまだどこにもない。




