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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】7・8巻「真相編」  作者: セキユズル
第二章「で? どうする、天才くん」
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第二章③ コリン

 その頃、ランデヴェネック。


「準備、整いました!」


 水夫の声が上がり、第八船団の船が岸を離れて動き出す。名目は偵察、次戦に向けた布石だが、実態は無謀な少年を乗せた危険な航海だった。船首がラド・ド・ブレストへ向き、第八は迅速に進み出した。

第八船団の船上、甲板の隅。木箱の上に二人並んで座っていた。コリンとティエン。二人の間に潮風が通り過ぎる。帆の軋む音、遠くで誰かが叫ぶ声の中、二人の間には会話がなかった。かれこれ、数十分。ただ隣にいるだけの時間が続いている。先に口を開いたのはティエンだった。彼は片肘を膝に乗せたまま海に目を向けている。


「……で、着いたらどうする?」


 コリンは少しだけ遅れて答える。


「とりあえず、ブレストに行く」

「なんで?」


 ティエンの声が即座に返ってきてコリンは少しだけ顔を顰めた。


「海軍に情報流したいから」


 ティエンがチラリと横目でコリンを見る。


「じゃあ、ブレスト城だな」

「……ブレスト城? それ、城ってこと?」


 コリンが聞き返すとティエンが瞬きをして背筋を伸ばした。


「……待って。ブレスト城、知らないの?」


 コリンが無言でティエンを見返すと、ティエンは溜め息をひとつ吐いて軽く顎で前方を示す。


「ブレストの中心だよ。海軍の拠点、港のすぐ奥。でかい要塞みたいなやつ。外壁は石造りで高い。見張り台もあるし、出入りは厳重管理。当然、勝手に入れる場所じゃない」


 ティエンが言葉を重ねるごとにコリンの表情が固まっていくも、ティエンは指折り数えるように続ける。


「門で止められる。身元確認。武装チェック。不審者はその場で拘束。最悪、そのまま牢行き」


 コリンの顔色が目に見えて変わるもティエンは構わず続けた。


「しかも今、戦時体制だろ。普段より警戒強いに決まってる。……つまり、お前がやろうとしてるのってさ。海軍のど真ん中に正面から突っ込むってこと」


 ティエンがニヤリと笑うと、コリンの口から声が漏れる。


「……え、無理じゃない?」

「普通はな」


 ティエンが即答し、ピューっと音が鳴る風が吹いて帆も鳴った。コリンは思わず両手で顔を覆う。


「……どうすんのこれ」


 今さらになって現実が追いついてきた。ティエンはコリンの様子を横目で楽しそうに見ている。


「で? どうする、天才くん」


 ティエンが首を傾げ、コリンは顔を覆い隠す指の隙間から声が漏らした。


「リー・ウェンから、もっとブレストについて聞いておけばよかった……あと……マクシミリアンが普段どこにいるのかも……」

「今さら言っても遅いだろ」


 横から呆れた声がしてコリンが顔を上げるも、ティエンは相変わらず気の抜けた顔で海を見ていた。


「なあ。そのマクシミリアンってやつ、大海賊フランソワを討ったんだろ?」


 コリンは一瞬だけ言葉に詰まって頷く。


「……うん」

「で、一時的に話題になった。なら、まだ勝ち筋はある」

「……え?」


 ティエンは木箱から立ち上がると指先で何となく前方を示す。


「ブレスト城から少し離れた場所に港がある。ブレスト港だ。軍関係者も出入りしてる。完全な要塞の中より、よっぽど人間がいる場所。まずはそこを目指そう。聞き込みだ。マクシミリアンが有名なら誰かしら知ってる、聞き込みだ」


 コリンの顔に血の気が戻るも少し考え込んで目に警戒の色を宿す。


「……でも、海軍だよ? 簡単に話してくれるとは思えないけど」

「だから、オレがいる」


 ティエンはふっと笑って軽く親指で自分を指す。


「オレなら軍人の懐に入り込める。そういうの得意なんだよ」


 コリンはティエンをじっと見上げて眉を顰め怪訝な顔をした。


「……なんで?」


 ティエンは彼の視線を受けて少しだけ肩をすくめる。


「さあな。世の中、そういうやつもいるってことだ」


 コリンはしばらくティエンの顔を見ていた。軽い口調、曖昧な素性、妙に自信のある言い方。コリンの胸の奥で引っかかるものがあった。この人に全部任せるのは違う。理由はうまく言葉にならないが、直感が告げていた。コリンはティエンから目を逸らした。


「いや、ちゃんと段取りを踏もう」


 ティエンがわずかに眉を上げるも。コリンは船首に目を向けて考え始めた。


 まず、目的。……マクシミリアンじゃない。ソフィーに情報を渡す。彼女なら動く。あの性格だ、呼び出せば必ず来る。手紙でいい。……ついでにマクシミリアンも呼ぶか。ソフィー一人じゃ危険なら呼び出す価値はある。次に、場所。……場所は着いてからでいい。細かい詰めは後回し。海沿いの酒場。賄賂で貸し切る。それなら、人目を避けられる。動きやすい。そして、手紙を届ける。ここが一番の問題だが……やるしかない。


 思考をそこで切り、コリンは息を吐いた。


「……あとは着いてから考えよう」


 コリンが顔を上げると風の匂いが変わっていた。船が速度を上げている。思っていたより速い。遠く水平線の向こうに影が見え、やがて形を持った。石の壁が高く重く、圧を放つブレスト城を見据えてコリンの喉がわずかに鳴る。


「……でかい」


 船は進路を緩やかに外れる。ル・ルレック=ケリュオン方面、ブレスト港から少し離れた寂れた港へ。人の気配は薄く、船の数も少ない。ここなら動ける。コリンが目を細めた隣で、ティエンが笑った。


「いいとこ降りるな」


 寂れた港に船が着き、軋む音とともに船体がゆっくりと止まる。コリンはすぐにティエンへと向き直った。


「えっと……大まかな流れだけど」


 短く要点だけを伝えていった。手紙で呼び出すこと。場所は海沿いの酒場。できれば貸し切りにしたいこと。コリンが話し終えると、ティエンは一度だけ頷いた。


「ああ、なるほど。了解」


 ティエンは颯爽と歩き出してタラップへ向かっていった。


「……え?」


 コリンが一瞬遅れ、慌てて船を降りるとティエンの後を追う。二人が街中に入ると人の気配が一気に増えた。市場のざわめき、行き交う声、視線。


 ……見られてる気がする。


 コリンは反射的に顔を伏せて視線を地面へ落とす。見ているのはティエンの足元だけ。コリンお胸の奥がじわりと冷える。


 ……違う、見てない。わかっている。それでも、あいつ、“火を出すやつ”だって……悪魔だって。


 過去の声が勝手に蘇り、コリンの耳の奥でこびりついている。コリンはぎゅっと唇を噛んでティエンの足だけを見てついていった。どれくらい歩いたか、やがてティエンが立ち止まった。


「ここだな」


 コリンが顔を上げると、そこは馬が並ぶ場所だった。市場の一角、馬車に繋がれた馬、鼻を鳴らす音。コリンは思わず目を見開いた。


「……馬」


 ちゃんと見るのは初めてだった。ティエンはずらりと並ぶ中を一瞥して一頭を選ぶ。白い馬だ、体躯が締まって毛並みが光っている。いかにも速そう。


「これ、借りる」


 ティエンが持ち主に金を渡した。交渉も何もなく終わり、彼が手綱を受け取る様子を、コリンはぼんやりと見ていた。


 ……なんか王子みたいだな。


 理由はわからない、そんな印象を抱いた瞬間、身体が浮いていた。


「ほら」

「え、ちょ——」


 コリンはジタバタするが、ティエンは気にせず彼をひょいと持ち上げて当然のように馬の背へ乗せる。


「待って待って待って待って!?」


 コリンが馬の背でパニックに陥っていたが、ティエンも彼の後ろに乗っていた。


「落ちる落ちる落ちる!!」

「落ちねえよ」


 ティエンの呆れた声が耳元にかかり、手綱が引かれると白馬が動いて風の強度が変わった。


「うわっ……!?」


 コリンの声が裏返って身体が揺れる。想像以上の速度だが、彼の背後からティエンの声に支えられる。


「力抜け、前見てろ」


 海沿いの道を白馬が駆ける。風が頬を打つ。潮の匂いに視界が流れ、コリンは最初こそ馬の鬣にしがみついていたが、少しずつ顔を上げると景色が一気に明けた。空も海も広い。


「……すご」


 コリンの口から思わず声が漏れた。怖い。でも、それ以上に楽しい。ティエンは余裕綽々といった具合に手綱を操り、白馬はさらに速度を上げた。風がさらに強くなる。コリンは少しだけ笑っていた。怖がりながら、しがみつきながら笑っていた。やがて白馬の速度がゆっくりと落ちていき、風が弱まって揺れが収まり、ティエンが軽く手綱を引くと馬が緩やかに停止した。


「よし、この辺でいいだろ」


 コリンはすっかり息が上がっていた。心臓がうるさい。でも、さっきまでの恐怖とは違う。


「……はあ……」


 コリンがようやく息を吐いて視線を上げると、そこは海沿いだった。人通りはほとんどない。港に近いが、主だった船着き場からは外れている。寂れた一角、潮風に晒された木造の建物がぽつんと一つ、酒場だ。この場から少し離れた先、ブレスト城が見える。遠くからでも分かる石造りの巨大な影にコリンは無意識に喉を鳴らした。……あそこにいる。


「……よし。あそこ行くか」


 ティエンが馬から降りるとコリンを振り返って手を伸ばした。


「ほら」


 コリンは一瞬戸惑って結局ティエンの手を取った瞬間、また身体が浮いて地面に下ろされた。


「うわっ」


 コリンは少しだけティエンを見上げるも、ティエンはもう歩き出していた。躊躇いなく一直線に酒場へ向かっている。コリンも慌てて彼の後を追い、酒場の扉を押し開けた。中は思った通りの空気だった。酒の匂い、荒い声、水夫たちの笑い。ティエンはその空気を気にせず自然に入り込むと、カウンターの向こうにいる店主との距離を詰め、何かを囁くと懐からジャラリと小袋の音が鳴って店主の視線が一瞬で変わる。


「しばらく貸し切りにしたい。他のやつ、入れないでくれる? ほら、この金でたまには羽休めしなよ」


 その後の流れはあっという間だった。店主が客を追い出し、客の文句も無視し、扉が閉まって静寂が落ち、店主本人は上機嫌で奥へ引っ込む。気づけば酒場には二人しかいなかった。コリンは脳然と立ち尽くしていた。さっきまでの喧騒が嘘みたいに消えている。ガラーンとした室内を見渡した後、隣に立つティエンを見上げた。


「……何この人」


 理解が追いつかない。さっきまで馬を走らせていたと思えば、今度は酒場を丸ごと買い取っている。躊躇がない、当たり前のようにやっている。コリンは思わず後ずさるも、すぐさま店の奥の暗がりに声をかけた。


「……便箋とインク、貸してもらえますか」


 奥から店主の返事がして、古びた紙とインク壺と羽ペンが運ばれてきた。コリンはカウンター席に着くと紙を広げ、一瞬だけ手を止めた。……何て書こうか。長く書く必要はない。むしろ、簡潔な方がいい。コリンはペンを走らせた。


 ——近日中に指定の場所へ来い。場所は……。


 無駄は削る。情報は酒場の住所だけ、感情も入れない。宛名だけはハッキリとソフィーとマクシミリアンの両名を綴って書き終えた。


「これでいい」


 インクがわずかに乾いていくのをコリンが見つめている時、真横からティエンの声が飛んできた。


「オレが届けるよ。君はここにいな」


 コリンの眉がわずかに寄り、ティエンは肩をすくめる。


「信じないかもだけどさ。ブレストに知り合いがいるんだ」


 彼の脳裏に浮かぶのは一人の顔、スザンヌ。実際に会うかはさておき、一才の嘘はなかった。


「それに、この辺も詳しいし」


 コリンはしばらく黙っていた。只者じゃないことは、もう分かっている。それでも今、迷ってる時間はない。結論は早かった。コリンは息を吐いて便箋を封筒に入れるとティエンに差し出した。


「じゃあ、お任せするよ」


 ティエンはコリンから封筒を受け取って頷く。


「任せとけ」


 コリンは少しだけ肩の力を抜いた。やることはやった。あとは待つだけ。その時、ふと何か——差出人の書き忘れ——が引っかかったが、すぐに思考は別の方向へ、それよりも大きな“致命的なやらかし”へと流れた。


「あ」


 コリンが声を上げ、ティエンが振り返る。


「どうした?」

「……船に調査報告書、忘れてきちゃった。取りに行ってくれない? 手紙届けた後でいいから。たぶん、海軍の奴らもすぐには来ないよ」


 コリンは少しだけ目を逸らし、ティエンは思わず息を吐いた。


「お前さぁ……わかったよ」


 ティエンは酒場を出ると白い馬の背にひらりと乗って手綱を引いた瞬間、夕闇に向かって駆け出した。やがてブレスト港に灯りが点き始めた頃、白馬が速度を落としてティエンは周囲を一瞥した。


「……まずは場所だな」


 ティエンは馬を適当な陰に繋いで歩き出す。港の一角、船の整備をしている若い軍人の姿が目に入る。ひとり作業に集中しているらしい。ティエンは軍人の背に迷わず近づいた。


「あ、軍人さん。今いいですか?」


 軍人——ジョルジュは顔を上げてティエンを見上げた。


「あ、はい。なんでしょ?」


 彼の素直な反応にティエンはにこっと笑って懐から封筒を取り出した。


「あの、マクシミリアン隊って今どこにいますか? オレ、実は密かに応援する者でして……最近ご活躍を聞かないものだから、つい手紙を書いてきちゃいました」


 ジョルジュはぱっと表情を明るくして立ち上がった。


「ああ、それなら平気だ。だってボク、その部隊の隊員だし」

「え?」


 ティエンの声が上擦った。


「え、そんなことある!?」


 ティエンは思わず飛び出た素っ頓狂な声に一瞬辺りを見回し、白い目で見られていないことを確認すると、すぐ切り替えて満面の笑みで一歩踏み込む。


「あ、じゃあ……! マクシミリアン・ブーケ隊長に、この手紙届けてもいいですか? 大好きなんです!!」

「あ、いいですよ。ボク、届けてきますね」


 ジョルジュの方はまったく疑わず手紙が渡った。


「ありがとうございます!」


 ティエンは深々と頭を下げるとジョルジュは手を振りながら歩き出した。ジョルジュが港を出てキール通を横切り、その先にある宿舎の門をくぐると中へ消えていった。ティエンはジョルジュの動きの一連をじっと見ていると首を傾げた。


「……え、もしかしてあそこ拠点? 城じゃないの? ますます不思議な部隊だな、ほんと」


 ティエンは思考放棄して踵を返し、人気のない場所へ戻ると白い馬に乗って颯爽と走り出た。

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