第二章② ダラス家
一方、ブレスト城。裏門の鍵は今日もかかっていなかった。いや、正確にはかかっているつもりになっているだけ。錠は閉じているが、閉じた者は構造を理解していない。わずかな隙間、ほんの僅かな歪みに指をかけて押す。音も立たずに開くとピエールは一歩だけ踏み込んだ。彼の後ろには黒衣の影が並んでいた。黒辰封儀教団の暗殺者——二人が今日も使い慣れた道具のようについてくる。
「……侵入は問題なし」
ピエールが低く呟くと石壁の影に沿って進む。城内の灯りは一定の間隔で揺れている。巡回の足音と間隔、癖すら把握済みだ。ここは初めてではない、何度も出入りしている。何なら、今朝も戦争のどさくさに紛れて一段目の毒は仕込んである。警備は変わらない、変わらないものは壊しやすい。
ピエールが角を曲がると一人の兵が立ってこちらに背を向けていた。ピエールは距離を詰め、腕が伸ばして口を塞ぐと刃を喉に触れさせると兵の体が崩れる。ピエールは骸を影に引き込むと再び歩き出し、通路を進みながら頭の中で配置をなぞった。ピエールの背後で、暗殺者の一人が骸から服を剥ぎ取って擬態している。
フェルナンドは牢、ベルリオーズは応接室。場所も管理も違う。だからこそ、同時に落とす価値がある。片方だけでは意味がない。両方、消す。
ピエールたちが最初に向かったのは牢だった。鉄格子の奥の灯りは弱い。見張りが一人で椅子に腰掛け、気の抜けた姿勢で欠伸をしている。ピエールが軽く合図を送ると見張りの背後に暗殺者の影が落ち、口を塞がれて首を折られた。暗殺者は崩れた身体を壁際に寄せて鍵を奪った。鉄格子を開ける音は最小限、器を差し入れるだけでいい。
「……昼だ」
牢の中のフェルナンドが顔を上げ、器を受け取った。暗殺者は何も言わず、鍵を戻し、扉を閉める。二段目の毒はここで仕込まれている。症状が明るみになる頃にはもう遅い。
次に彼らが向かったのは応接室。こちらは手順が違う。配膳係が来るから、すり替える算段だ。ピエールは廊下の角で士官を見つけるとすれ違いざまに腕を掴んで壁に押しつけ、刃を入れた。黒衣の影が一歩前に出て衣服を剥いで被ると姿勢を変え、歩き方を合わせる。その後、化けた士官は速やかに食事を配膳しに戻ってくると、ピエールは器を確認して二段目の毒を落とした。同じ毒だが、作用の始まりは違う。牢で先に入れたものと、ここで入れたもの。時間差で重なり、同時に発症する。
「……いい調整だ」
その後、ピエールは一足先に城を出ていった。化けた士官も速やかに配膳して外に出ると壁に背を預けて時間を測る。数分、十数分。応接室の方で何かが崩れる音とカラスの呼び鳴きが聴こえた。一方、牢の方でも呻き声が上がり、確認役の暗殺者が見届けると、城内に蠢く二つの影は外に出るなりピエールに報告した。
「……同時か」
成功だ。フェルナンド、ベルリオーズ。どちらも生かしておく理由はあったが、それはこれまでの話だ。伝言は届いた。役割は終わったならば消す。
昼間なのに灯りは最小限に落とされていた。石造りの部屋の奥、重厚な机の前に立つシルヴェストルの背後で扉が閉まり、ピエールは一歩進んで跪いた。
「終わりました」
シルヴェストルはしばらく指先で机を軽く叩いている。規則正しい音だけが部屋に響いていた。
「……そうか。抵抗は?」
「ありません」
「痕跡は?」
「残していません」
「ならいい」
シルヴェストルは息を吐いて机の上に置かれた書簡に視線を落とし、指先で紙をなぞる。
「どのみち、時間の問題だ。たとえ生き残ったとて、生かしておけば動く。動けば追える」
シルヴェストルはピエールを振り返った。
「承知しました」
ピエールが立ち上がって踵を返し、扉に手をかけた時、二人の間に軽い声が落ちた。
「……ねえ、兄さん」
壁際、灯りの届かない位置にドミニクが佇んでいた。いつからいたのか分からない、最初からいたのかもしれない。ドミニクは壁に背を預けたままクスクスと笑っている。
「面白いね。せっかく綺麗に仕上げたのにさ、助かっちゃうんだ?」
ドミニクの壊れかけた玩具を見るような目に、シルヴェストルはちらりと視線を向ける。
「……失敗ではない」
「うん、知ってる」
ドミニクは「ふふっ」と声を漏らして笑うと身を乗り出して影から這い出る。青灰色の瞳がぼんやりと揺れていた。
「でもさ、生き延びたなら……もう一回、壊せるよね」
ピエールは扉を開けた。彼の背後で、くすくすと笑う声がいつまでも続いていく。




