第九章③ 二月十八日、Montage
マクシムの自室は静まり返り、微かなランプの光が壁と床に影を落としていた。外の気配は遠く、夜そのものが輪郭を曖昧にする闇の中に沈んでいる。
マクシムはベッドに腰を下ろし、長く包帯に覆われていた古傷にそっと手を触れ、呼吸を整えながら慎重に自分の手で包帯を解いていく。布がほどけ、空気に晒された皮膚にひやりとした感覚が走る。拳を握ると思い出すのは敗北でも後悔でもない。あの日々の中で、何ひとつとして届かなかった感覚、届かなかったからこそ今も残っている。
マクシムは包帯を外し終えると立ち上がり、部屋の片隅に置かれた衣装に手を伸ばした。故郷で過ごしていた頃の名残を宿す一着。和と洋の意匠が交差する、戦のための服だ。深緑の戦闘服を纏うと布が身体に沿った。肩と腕には古風な文様を刻んだ金属の護具、灯りを受けて鈍い光を返す。腰を締める革帯には一つの留め具、ゼフィランサス海賊団の紋章が刻まれていた。翼を広げた鳥、交差する双剣。
マクシムは紋章に目を落とし、留め具に一瞬触れた。腰を囲う革帯の下に二振りの刃が差された。双影。リー・ウェンから託され、ジャスパーの手を経て戻り、血に濡れた手で握り直した時の重さは今も変わらない。
「二つで一つ」
剣の名であると同時に、届かなかった形の呼び名でもあった。互いに支え合う影だったはずが、マクシムは知っている。自分はその並びに立てなかったことを。だから、選んだ。並べないのなら越えるしかない。マクシムが鏡の前に立った。映るのは誰にも似ていない顔。似る必要もない。似たところで、届くわけでもない。マクシムは左耳で揺れるイヤリングに目を留めて触れた。黒ずんだ石、ゼフィランサスの形見。冷たい、その奥に熱がある。
あの日、島の民が怒り泣き、声を上げていた。一人の死に対して世界が応えていたのを見た瞬間、理解した。何をすればいいのか。これだ、これを成し遂げれば残る。誰の隣にも立てなかったとしても、ここにいたと証明できる。復讐は目的ではない、証明だ。終わらせなければならない。そうしなければ、自分はどこにも残らない。
マクシムは鏡に映る自分を目に焼き付けると部屋を後にした。
宿舎前には誰の姿もなかった。松明台に差された火だけが夜風に揺れ、石畳へ赤い影を落としている。マクシムのアッシュ色の髪、赤い鉢巻が風に揺れ、片耳の黒ずんだ石が炎の明滅に合わせて揺れる。マクシムは辺りを見渡しながら囁く。
「……あれから二十年。今夜が、その時だ。おれは海賊じゃない。名誉を捨てた亡霊でもない。——おれは奪われたものを取り戻すために立つ。敵は強大だ。王宮と海軍を背にする獣だ。だが関係ない。もう受け入れている」
マクシムが胸に手を当てると、心の奥で声のない影が集まる。
「この夜で終わる。おれは一人で行く」
マクシムが一歩踏み出すと背後から足音がして振り返った。ソフィーが立っていた。マクシムは彼女を見据えたまま告げる。
「……ソフィー、君はここにいるんだ」
ソフィーは目を伏せて唇を動かす。
「……はい」
マクシムは闇夜に灯火を得た思いで微笑む。
「ありがとう」
マクシムが背を向けて歩き出すと炎に照らされた影が地面に落ち、門を通りすぎると鋪道に出た。遠く、ぼんやりと浮かぶブレスト城を見据えながら冷たい石の道を一歩一歩踏み締めていく。宿舎の陰、複数の影が潜んでいた。グウェナエルが闇へ溶けていくマクシムの背を追う。
「……行くぞ」
マクシム隊の隊員達が動き出す。命じられてはいない、頼まれてもいない。それでも隊員たちは行く。理由は一つで足りる。この夜、彼をひとりで終わらせない。影が連なって同じ方向へ流れていった。
ブレスト城屋上、夜風が石を撫でる。エリオットは手すりに片肘をつき、掌の中の密書を見つめていた。短い文面、すでに記憶に焼き付いている。エリオットが暗い空と遠い海を見つめていると、下方から音が上がって足音と鎧の擦れる音、それから指示の声に眉が寄る。
「……やれやれ。邪魔はするな、と言ったはずだがな」
エリオットの顔に苦笑が浮かび、密書を懐に収めるとコートが風を受けて翻った。
ブレスト城へ続く坂道に潮の匂いを含んだ夜風が吹き抜ける。灯りは少ない、石畳は月の灰光を薄く返すだけだ。マクシムは歩みを止め、耳に揺れる黒ずんだ石を指先でつまむ。冷たい感触が、二十年のあいだ沈殿していた記憶の層を撫で起こす。
「……あんたなら、どう言う」
ゼフィランサスは答えを与える人間ではなかった。叱りもせず、慰めもしない。見ていた。黄金の眼差しだけがやけに残る。あの人は言わない。「生きろ」とも、「抗え」とも。代わりに残すのは、選ばせるための沈黙だった。守ろうとしていたもの、無茶な選択、理解できなかったはずの理由が今は分かる。マクシムの胸の奥に鈍い圧が広がる。痛みではない、怒りでもない。触れた瞬間に形を変える、名前のない塊。
「あんたの選べなかった続きを、おれがやる」
覚悟というより、置き去りにされた時間を拾い上げる動作に近い。ブレスト城の門が夜空を背に立っている。
「……行こう」
マクシムが門を通り過ぎて回廊を抜けると、靴音が石に吸われた。やがてマクシムが中庭に出るとパチッと音が鳴り、城壁の上に灯りが走って一本、二本、三本と連なって火が増えていく。視界が開き、影が消えて隠れていたものが全て浮き上がる中心に、マクシムの赤い鉢巻きが炎を拾って黒い石が鈍く光る。
「……そう来るか」
マクシムの周囲で金属が擦れ、鎧の重さが地面に伝わる。第八部隊と第九部隊。重装の列が現れ、円を描いて距離が徐々に詰まる。城壁の上に三つの影、ルソーとイザベル、アルフォンスが中庭を見下ろしていた。
「マクシミリアン・ブーケ! 大元帥暗殺、並びに国家への謀反の疑いにより、お前を拘束する!」
ルソーの号令と共に武器が一斉に上がる。マクシムは一歩踏み出すと、押し殺してきたものが形を持って声に熱が混じる。
「ようやく来た。二十年、この瞬間を待っていた。——聞け。今日までおれたちを縛り、血を吸い、家族を奪ってきた海軍どもをこの場で討つ!」
マクシムの声が石壁にぶつかって返る。彼の胸の奥で熱と冷たさが交互に押し寄せる。怒りでは足りない、恐れでも足りない。もっと深いところ、届かなかった何かが形を求めている。ゼフィランサスの背中が脳裏に浮かぶ。触れられなかった距離、埋まらなかった差。
——ここで終わるくらいなら。この場で砕ける方がまだいい。
そう思うほどにもう戻る場所はない。
「——マクシミリアン・ブーケ!」
イザベルの鋭い声が城壁の上から落ちる。鋭い。白い軍服を纏ったイザベルが剣を抜き、直立する姿が夜を切り裂く。
「貴様の行いは、国家への反逆である! だが規律に従い、降伏の機会を与える。武器を捨て、両手を挙げよ。命だけは保証する!」
兵が応じて武器が揃う。あの人は答えをくれない代わりに残したのは選択。何に賭けるか。マクシムが双剣を握ると重さが手に収まる。
「降伏はない。おれは、ゼフィランサスと故郷に賭ける。——来い!」
マクシムは一歩踏み出すと、刃が光って空気が裂けた。
海上、ブレスト城を目前に控えた帆船は海を進んでいた。潮の匂いを含んだ風が帆を押し、船体がわずかに軋む。遠目に見える城は闇に沈んで静まり返っていた。船尾では、ルキフェルがヤンとニールとともに低い声で言葉を交わしている。
「……いよいよだ。今日が二月十八日」
「結局、当日になったね」
ニールが海の先を見据えたまま言い、ルキフェルはブレスト城を見つめたまま口を開く。
「外から見た限り、動きはない。……まずは調査から入る」
「このまま運河に入り、造船所を経由して街へ侵入するのがよろしいかと——」
ヤンが言葉を重ねた時、ジャスパーの声が空気を裂く。
「ルキフェル!」
ルキフェルが反射的に振り返ると、舳先の先でブレスト城が変わる。ひとつ灯りが灯り、連鎖するように広がって城壁の上を炎が走る。瞬く間に城は夜の中から浮かび上がった。ルキフェルの顔から一斉に血の気が引いた。
——アントワーヌ。
ルキフェルは甲板を蹴って船首へ向かい、ジャスパーが途中から後ろにつく。二人が舳先に出ると船上の灯りが顔を照らした。ルキフェルは遠くの城を睨み据える。
「……遅かったか……!」
「いや、まだ間に合う」
ジャスパーがすぐに首を振ると、ルキフェルの呼吸が整った。夜空を覆っていた霞が解け、星空が姿を現して瞬く光が燃え上がる城の輪郭を冷たく縁取る。ルキフェルが甲板を振り返ると声を張った。
「二手に分かれる! この船はそのまま、ブレスト城へ! マテオ、コリン、ペネロペ、三人は運河側から侵入してくれ! 小舟を使え、時間がない!」
呼ばれた三人の表情が引き締まって即座に動き出した時、ヤンがルキフェルに走り寄ってくる。
「わたしも同行します。マクシミリアン隊の宿舎へ向かいたいのです」
「……わかった。気をつけろ」
すでに始まった戦いに追いつくように、帆船は夜の海を切り裂いていった。マテオとコリン、ペネロペが武器の確認を終え、小舟を降ろす準備に取りかかった時、ダミアンが階段を駆け上がって甲板に飛び出した。彼の後ろから、レオンとイヴォンが追いついてくる。
「ちょ、待ちなさい!」
ダミアンが肩で呼吸をしながら三人の前に足を止める。
「ボクも……行きます! ブレスト城は……任務で何度か侵入したことがあるんです。抜け道をいくつか知っています……案内できます!」
三人が固まっている間、イヴォンが杖をつきながら追いつく。
「発言の内容も問題だが……君はついさっき目を覚ましたばかりだ。無理をするな」
「そうだよ。いきなり動くなんて身体が——」
レオンがダミアンの方に触れて言うも、ダミアンはレオンを振り返って遮る。
「それでも、ボクは行きます!」
マテオが頭を掻きながら視線を逸らす。
「……しょうがねえ、案内だけだ。オレたちから離れるなよ」
「ありがとうございます……!」
ダミアンが深く頭を下げた時、ヤンが現れて状況を一目で把握した。
「行きましょう」
四人が乗り込み、小舟が海上に降ろされ、闇がすぐに彼らを呑み込むと運河の方へ滑るように進んでいく。ルキフェルは小舟を見据えたまま、剣帯に手をかけてカットラスの位置を確かめた。
ブレスト城の外、港側の路地。マクシムを見送った隊員たちは造船所へ向けて進んでいた。息を潜めて足音を抑えるも、胸の奥に落ち着かないざわめきが燻り続ける。
「……隊長、大丈夫だよな」
ジョルジュが呟いた時、城の外壁沿いに松明が一斉に燃え上がる。
「……隊長!」
リラの声が震え、シャルルが低く吐き捨てる。
「待ち伏せだ……完全に囲まれてる」
「無理だ……勝てるわけ——」
ジョルジュの言葉を断ち切るように、グウェナエルが長剣を抜き放って駆け出す。
「行くぞ!」
「待って!」
「くそっ……!」
リラ、ダヴィット、ジョルジュが連鎖するように足が動く。シャルルは一瞬だけ立ち止まってスザンヌ達を振り返った。
「——君たちはここにいろ! 来るな!」
スザンヌ、リゼーヌ、アニータの制止の声が重なって腕を掴まれるが、シャルルは振り払ってかけていった。グウェナエルは城壁を見上げて鉤縄を投げる。鋼が石に食い込み、夜に乾いた音が響く。
「中庭だ」
グウェナエルは壁を駆け上がった。手が焼けて足が滑るも登り上げて見下ろす。中庭、包囲陣形が動いている。
「……隊長」
グウェナエルは影の中へ落ちて着地すると、地を蹴って突入した。遅れて仲間たちも続く。マクシムの双影が閃いて敵の列を裂き、視界にグウェナエルの影が飛び込む。
「……来るなと言ったはずだ」
「護衛が役目ですから」
マクシムの背に気配が増え、守る対象が増える。それでも誰も退かない。逃げ道はもうない。選択はひとつ、前へ。マクシミリアン・ブーケ隊が形を成して影のように動く。ひとりが崩せば、もうひとりが踏み込む。双影が火花を散らし、間合いを断ち切る。
「避けろ、刺せ!」
グウェナエルの声が走り、応じる動きが連なる。第八、第九も崩れないが、数の優位が削られていく。ルソーが城壁から飛び降り、衝撃が石畳に走る。イザベル、アルフォンスが続いて指示が飛んで兵が動く。陣形が再構築され、戦場がもう一段引き締まる。光と影が交錯し、剣がぶつかる。夜の中庭は戦の形を取った。
——同じ頃、ペンフェルド川沿いの造船所に湿り気が沈み込んでいた。潮の匂いと油の気配が混ざり合い、木材と鉄の軋みが風に乗って低く鳴る。遠くで燃え上がる炎の反射が水面に揺れていた。マテオたちは足を止めた。皆の目が慣れた頃、ダミアンが息を整えながら口を開く。
「あの騒ぎ、おそらく城内の中庭です。あの光り方は外壁じゃない」
「じゃあ、ここからが分岐だね」
コリンが顎を引くとダミアンへ視線を向ける。
「君は途中まで案内したらヤンと一緒にいて」
「え、なんでだよ」
マテオが即座に眉を寄せるとコリンは肩をすくめ、ダミアンの顔を指先で軽く示した。
「……似てるから。一緒にいるのを見られたら、ピエールと誤認される。色々とまずい」
「たしかに。わたしと行動した方が安全でしょう」
ヤンが腕を組んで頷き、ダミアンは恐る恐る尋ねる。
「あの……マクシムさん……殺したり、しませんよね」
「心配すんな。ぶん殴りはすると思うが」
マテオが鼻で笑って言い捨てた時、ペネロペの声が落ちる。
「ねえ、誰か来る」
全員の身体が積み上げられた木箱の陰に滑り込む。帆布の垂れた隙間で呼吸が浅くなり、音が消える。やがて、三つの影が造船所へと足を踏み入れた。月光に照らされ、それぞれの輪郭が浮かび上がる。
「女が三人、何してる」
マテオが低く呟くと、ペネロペが木箱から顔を出して息を呑む。
「あれ……仲間だ。何してるんだろ」
マテオは影を凝視した。三人の動きは一定、迷いながらも船を一つ一つ確かめている。
「……あれは逃げる気だな」
「話を聞く必要があるね」
「いや。剣持ってる二人、あれ意外とやるよ。それに、あたしが海賊と一緒にいる時点で警戒される」
コリンが言うもペネロペが首を振り、マテオが息を吐いた。
「なら、先に動きを封じる。コリン、ダミアン、手貸せ。殺すなよ」
マテオは近くの積荷から縄を引き抜くと、乾いた繊維の感触が手に絡みついた。彼はコリンとダミアンに縄を投げ渡し、ペネロペに視線を送る。
「お前が引きつけろ」
ペネロペは頷くと積み荷の陰から次の影へ、さらにその隣へ気配を削りながら三人へ近づいていく。マテオは反対側へ、コリンはさらに奥へ、ダミアンは一瞬遅れて別の影へ溶け込んだ。ヤンは闇の奥で目だけを開き、すべての流れを追っていた。
「この辺りね。帆も生きてるし、補修跡も少ない……逃げるなら、あれが一番早い」
アニータが囁きながら船体を目でなぞって選別していく。
「ほ、本当に……出られるんですね……」
リゼーヌが不安げに呟き、スザンヌは積荷の陰へ寄った瞬間、ガサッと木箱の裏で影が跳ねた。
「きゃっ——!」
リゼーヌの悲鳴が上がり、スザンヌは反射的に剣を抜いて影に切っ先を向ける。
「……待って!」
アニータの声が割り込み、月光がペネロペの影を照らす。
「……ペネロペ?」
「ペネロペ!?」
「……よかった。無事だったのね」
三人に安堵が広がるが、ペネロペは首を傾げて声を落とす。
「……ねえ。三人とも何してるの?」
「え? 逃亡用の船を探してるんです! 隊長を救い出して……一緒に——」
リゼーヌが言い終える前にペネロペの視線が俯いた。
「……ごめん。それは無理だわ」
その時、三人の左右から影が飛び出す。
「なっ——!」
リゼーヌの腕にコリンの縄が絡み、引き倒される。アニータの視界が背後からマテオの腕が絡み、引き寄せられると彼の体重が乗って重心が崩れる。スザンヌが剣を振るうが、ダミアンが彼女の背後から縄を首元に滑り込ませた。三人が地面に押さえ込まれ、瞬く間に縛り上げられる。月光の下、マテオとコリンが姿を現し、ダミアンはすぐに闇へ退いた。
「……ごめんね」
ペネロペが呟くとアニータが息を荒げて顔を上げる。
「どういうこと……なんで海賊と一緒にいるの。なんで、こんなことするの!」
ペネロペが三人を見張っている間、少し離れた積み荷の陰でマテオたちは集まっていた。ダミアンが小声で言う。
「この先、裏門があります。ボクが越えられれば中から開けられます。侵入は難しくありません」
「わかった。じゃあ、あいつら見てる間に開けてくるか」
マテオが言うとコリンも頷き、ヤンは積荷から姿を現して視線を巡らせた。男四人は造船所の外へ出ていくと、ペネロペは三人を見下ろしながら息を吐く。
「あのさ。あたしたち、隊長を止めたいんだよ。だから、こうして戻って来た」
スザンヌが顔を上げ、縄に縛られたまま視線だけで問いかける。
「ペネロペ。マテオとコリンがいるなら……他の三人も一緒……?」
ペネロペがこくりと頷いた瞬間、スザンヌの鼓動が一層速くなった。リゼーヌが震える声で言う。
「今さら、間に合うと思うんですか? だって、みんな……戦いに向かったし……」
「私たち……もう止められないのよ」
アニータが弱々しく言い切ると、ペネロペの眉が寄った。
「みんな、メリッサの言葉を忘れたの? あたし、今度こそ叶えてあげたい。サミュエルもロザリーも同じ、海賊たちも同じ。みんな、止めたくて必死なんだよ。今はもう海賊とか海軍とか関係ない、協力しないといけないんだ」
一方、裏門の前でマテオたちは足を止めた。石壁が夜に溶け、門は固く閉ざされ、その上に高く外壁が伸びている。
「……これ、いけるか?」
マテオが呟くとコリンが肩をすくめる。
「根性があれば、いけるかも。大丈夫、ダミアンってジャンプ力凄いから。見たことある」
「マジ? じゃあ、試してもらうわ」
マテオが壁際へ寄って振り返り、両手の指を組んで下ろして重心を落とす。
「オレが足場になる。来い」
ダミアンは一瞬頷き、数歩下がると助走をつけて踏み込み、足音が一つ強く鳴るとマテオの組んだ手に足が乗った。
「行け!」
マテオが腕を振り上げて全身の力を乗せて押し上げ、ダミアンの身体が跳ね上がると指先が壁の縁を掴んだ。ダミアンの身体が引き上げって壁の上へ消え、外側に落ちる音がすると、くぐもった物音がして何かが崩れる気配がした。しばらくして内側から鍵の音が響き、金属が擦れて重い門が外れ、ダミアンが顔を出して息を整えながら言う。
「……大丈夫です」
「上出来だ」
マテオが口元だけで笑うと影の中へと踏み込んでいった。門の内側はひやりとしていた。石の匂いが濃い、外の潮気が一歩ごとに遠ざかっていく。ダミアンが振り返らずに言う。
「この先をまっすぐ行けば、最短で中庭です」
マテオは一度だけ周囲を見回して頷き、コリンが微笑む。
「わかった。じゃ、リーとダミアンはここまでだな」
「ありがとうね」
「どうか、ご無事で」
ヤンが軽く一礼するとダミアンの袖を引いた。二人は連れ立って門の外へ戻り、右へ折れると足音はすぐに闇へ溶ける。マテオとコリンの耳に遠くで金属が擦れる音、誰かの号令が風に乗って届く。
「……じゃあ、あの女たち連れて行くか」
「なるほど、人質交渉ね。リスクは高いけど、全体を止めるには有効だ」
「やるしかねえだろ。時間がねえ」
「同意」
二人は別の影を選び、最短で造船所へ引き返すルートを取った。足音は消え、気配だけが動く。選択はもう変わらない。止めるために縛る。救うために奪う。




