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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】7・8巻「真相編」  作者: セキユズル
第七章「君は君自身でありながら、あれを従わせなければならない」
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第七章③ ルキフェル

 砂鉄海岸、磯の香りに混じって微かに鉄の匂いがする。波が引くたびに黒ずんだ砂が軋むような音を立てた。遠くでは子綺麗な帆船が沖合に停泊している。浜では組織リー・ウェンの面々が貨物を運び終えていた。最後の一箱が砂の上に置かれ、ヤンが同僚たちから目を離してルキフェルを振り返る。


「本当に、この人数だけでいいのですか」


 ヤンの視線が浜に残る者たちをなぞる。ルキフェル、マテオ、ジャスパー、コリン。それからサミュエル、ロザリー、ペネロペ。そして、アランもいた。ルキフェルは船から目を逸らさずに言う。


「ああ、目的はあくまで交渉だ」


 ヤンは一瞬だけ目を細めて彼らに背を向けた。


「……わたしたちは隠れています。どうか、ご武運を」


 ワンとポーラン、他の東洋人たちもヤンに続き、足音を殺しながら茂みの奥へと消えていく。葉が擦れる音が途切れ、残るのは波音だけ。ペネロペが足元の砂を見下ろし、つま先で軽く蹴ると黒い粒子がさらさらと崩れた。


「特殊な鉄にしか反応しないって言ってたけど……まさか、鉛だったなんて。銃が使えないとか不便だよ」

「流れ弾が浜に反応するって島の人が言ってたでしょ。我慢しなさい」


 ロザリーが横目でペネロペを睨むと、当の本人は肩をすくめた。サミュエルがため息混じりに言う。


「交渉を上手く運ばせるには、少しでも脅威がないことを示す必要がある。……あの男が言っていたろう」


 サミュエルの視線がルキフェルの横顔へと向き、ルキフェルは不意に視線を感じて彼の目を受け止めた。その時、帆船から小舟が接近してきてルキフェルたちは身構えた。やがて小舟の上で二人の黒衣の男が立ち上がった。浜にいる者たちの呼吸が浅くなる中で、ルキフェルは一歩も動かずに声を張る。


「お前たちの主人と話がある。連れて来い!」


 ルキフェルの明瞭な声が浜に響き、波音を切り裂いて小舟に届く。黒衣の男、片方が吐き捨てるように言う。


「……待ってろ」


 それから小舟は弧を描いて帆船へと引き返し、しばらくすると四隻もの荷運び用の小舟たちが影の集団を乗せ、波を裂いて突き進んできた。先頭の小舟にはドミニクとピエール、後方にはダミアンが控えている。ダミアンが一瞬だけルキフェルたちを見た。小舟たちが浜に乗り上げるとピエールが砂浜に足を踏み入れ、ドミニクもゆったりと降りてブーツが黒い砂が沈む。ルキフェルが前へ出てドミニクとの距離を詰める。


「ここにリー・ウェンが回収した夢蛇が全部ある。頼む、これで俺たちの仲間を返してほしい」


 ルキフェルが浜に積まれた貨物を指す。ピエールが口を歪めてジャスパーへ視線を滑らせた。


「……随分と都合のいい話だな。ジャスパーがいるならそっちをくれ」

「やめろ」


 ドミニクがピエールの言葉を切り捨て、笑みを浮かべて穏やかに言う。


「いいよ、これは交換だね。奪ったものを返してくれるなら、僕たちも君に返してあげる」


 ルキフェルは眉間に寄せた皺を深め、ピエールが舌打ちを飲み込んだ。ドミニクは視線を逸らさないまま黒衣の集団に命じる。


「運べ」


 黒衣の集団が貨物へ近づいて運び始めた。箱が持ち上げられ、小舟に積まれていく。小舟が浜と帆船を行き来している間、ドミニクとルキフェルは互いを見ていた。やがて黒衣の男たちが最後の一箱を担ぎ上げて海に出て、入れ違いに別の小舟が浜に乗り上げられ、ニールがピエールの手によって連れてこられた。ニールが小舟から降りると黒い砂に足を取られてふらつく。髪は解かれ、衣服は引き裂かれ、胸元が開いて布形を失っている。そして、口元から首筋に細く青い線、流れ落ちた痕が乾ききらず襟を染めている。ルキフェルの視界が狭くなる背後で、マテオがギリッと歯軋りの音を立てた。ニールがドミニクの隣へと立たされると、ドミニクが彼の背後に控えるピエールに視線を動かす。


「解放しろ」


 ピエールが舌打ちを噛み殺し、ニールの背中を乱暴に押す。


「行け」


 ニールの身体が突き放され、一歩また一歩と足がもつれかける。砂に足を取られながらもルキフェルとの距離が縮まり、あと数歩のところでニールの膝が崩れた。


「ニール……!」


 ルキフェルは腕を伸ばしてニールを受け止める。ドミニクの手が懐へと滑り込んで銃身が触れた瞬間、突如銃声が響いた。弾丸が空を裂くも軌道が狂って、ドミニクの足元の砂浜へ突き刺さって黒い粒子が弾ける。


「……おや」


 ドミニクが呟いて撃った張本人に目を光らせた。撃ったのはマテオだ、銃口がまだ煙を吐いている。


「……チッ」


 マテオは銃を握る手に目をやる。


 ——初めて外した。ここではいつもの精度が通用しない。


 マテオが銃を掘り投げるとすぐに短剣を引き抜いて地を蹴った。ドミニクに狙いをつけて一気に距離を詰めるも、ピエールが間に割ってナイフを構えた。金属音と火花と共に、マテオの刃が止められる。ルキフェルがニールを抱きながら声を枯らす。


「マテオ、何してるんだ。やめろ!!」


 マテオはルキフェルを振り返った。水色の瞳が冷えている。いや、違う。煮えきった怒りが底で固まっている。


「テメェら……殺してやるッッ!!」


 マテオは吠えながら一歩踏み込むと砂が弾けた。ピエール笑いながら刃を構え、次の瞬間には火花が散って金属音が連続して響く。ドミニクが小舟に目を向けると黒衣の男たちに命じる。


「——やれ」


 黒衣の男たちは次々に浜へ降り立ち、一人二人と気配が膨れ上がる。ロザリーがサーベルを構え、ペネロペは舌打ちし、サミュエルが一歩前へ出る。コリンが息を呑む横でジャスパーは目を細めた。瞬く間に砂が舞い、刃が走る。叫びと金属音が空気を引き裂く渦の外で、ルキフェルはニールの肩を支えて体重を預けさせる。


「ニール、しっかりしろ」


 ルキフェルはニールを庇いながら戦闘の波を掻い潜っていると、アランがニールの空いた肩に手を回した。


「こっちだ、下げるぞ」


 二人でニールを引きずるようにして後退して戦場から離れ、茂みのそばでニールを横たわらせた。葉がわずかに揺れてヤンが顔を出し、ワンとポーラン、そして数人の東洋人たちの視線がニールに集まる。ルキフェルが先頭を振り返って立ち上がると踏み出した。


「ニールを頼んだ、あいつら止めてくる!」

「待て、ルキフェル!」


 アランの鋭い声が耳を劈くも、ルキフェルは武器も持たずに戦場へ駆け出した。金属音が連なる、刃と刃がぶつかる。砂が舞って叫びが混ざる中で、ルキフェルは叫び散らす。


「——マテオ! ジャスパー、下がれ!」


 ——聞こえていない。


 刃の軌跡と足運びに全員の意識が持っていかれている。黒衣の刃が横薙ぎに走り、ルキフェルは半歩ずれると刃が空を切った。もう一閃、今度は低いルキフェルは足元を狙って踏み込みを外し、砂が沈む重心のズレを利用して相手の足を払った。もう一人が彼の背後から来るも、ルキフェルは刃を躱して走り去る。肩の布が裂けて血が滲むが、一々相手にしている暇はない。目指す先はひとつ、マテオとピエールだ。そこだけ異様に熱を帯びている。


 マテオが踏み込むと短剣が斜めに走り、ピエールがナイフの角度で受け流し、体をずらしてすぐに反撃する。喉元を狙う一閃にマテオが身体を捻って紙一重で外し、すれ違いざま肘を叩き込むと、鈍い音と共にピエールの体勢が崩れる。が、ピエールは即座に踏み直してマテオの脇腹目掛けて蹴りを食らわせる。マテオが歯を食いしばってピエールの足を払い、ピエールは砂に叩きつけられるも舌打ちと共に跳ね起き、ナイフを構え直して再び飛び込もうとする。その瞬間、彼の背後から腕が回ってダミアンがピエールを押さえ込む。


「離せ!」


 ピエールが唸ってもがくが、ダミアンは首を横に振った。


「……逃げましょう」


 ダミアンはピエールの制止も聞かず小舟に強引に連れていく。


「——チッ!」


 マテオが歯を鳴らすが、視線はすでにドミニクを捉えていた。マテオは叫んで地を蹴るも、ルキフェルが滑り込むように追いついて腕が伸び、左腕でマテオの腹を掴んで引き寄せると同時に、右手で短剣を握るマテオの手首を捕らえて捻る。


「離せ!」


 マテオが吠えて振りほどこうとするも、ルキフェルは声を張りあげる。


「やめろ、ここでやるな!」

「うるせえ!」


 マテオはルキフェルの拘束を解くと、ルキフェルの腹を蹴り飛ばした。ルキフェルが衝撃と共に砂浜へ飛ばされる。マテオは前を見据えて地を蹴ろうとし、身体が硬直した。彼の視線の先、ドミニクの手が懐から抜け出していた。黒い影、金属の鈍い光。


 ——銃だ。


「……っ」


 見えた瞬間、ルキフェルの思考が一気に吹き飛んだ。彼は立ち上がると砂に足を取られながら踏み込む。マテオがすっかり硬直し、ドミニクの銃口が上がって彼に向く。銃の軌道を見た瞬間、ルキフェルは二人の間に身体を割り込ませ、ドミニクに背を向けてマテオを覆い、腕を回して抱き込むと引き寄せた。


「——っ!」


 その瞬間、乾いた破裂音が砂浜に響き渡った。世界が止まって音が消え、波も風も遠い。


「っ、今のは!?」

「一体何が……」


 ジャスパーが真っ先に声を上げ、サミュエルが周囲を見渡す。剣を持つ者たちは動きを制止し、撃った者と撃たれた者を探し、やがて正体を掴むと思考が一気に白くなった。マテオの喉が鳴り、短剣が手から溢れ落ちて砂を舞い上がらせる。ルキフェルの腕の中でマテオの震えが伝わる。心臓の音が速い、激しい、生きている。


 ——あれ。


 ルキフェルは瞼を開けていく。撃たれたのは自分だと思っていた。だが、痛みが来ない、熱もない。何も起きていない。マテオの手がルキフェルの服をすがるように掴み、ルキフェルは顔を上げてマテオの横顔を見た。マテオの額が青ざめ、瞳孔が極限まで開いている。ルキフェルは彼の目先を振り返ると、一人の黒いコートの背が自分たちを遮るように立っている。


 輪郭だけで分かる、アランだ。銃口からは煙が細く立ち上っている。

 ドミニクは自分の先に立つ男を目を見開いていた。当のアランは片目でドミニクを睨んでいた。


「……ぐっ」


 アランの腹にじわじわと内側から焼くように熱が広がり、遅れて痛みが来ると膝が崩れ、身体が落ちて砂埃を高く舞い上がらせた。ルキフェルの叫びが空気を裂く。


「——アランッ!!」


 ルキフェルは弾かれたように動くと砂を蹴り、アランの崩れ落ちた身体を抱き起こす。


「アラン!」


 起こした拍子にアランの眼帯が外れ、両の瞳が露わになる。血の気が引いた顔、呼吸が浅い、腹を押さえる手の隙間から赤が滲んでいる。


「だれか……! だれか手当てを! 早く!!」


 ルキフェルが怒鳴って縋る間、ドミニクは額に汗を流して踵を返し、黒衣の集団も彼に従って、潮が引くように小舟が戦線から消えて遠ざかっていく。マテオが膝から崩れ、ジャスパーが踵を返して叫ぶ。


「レオン、呼んでくる!」

「早くしてくれ!」


 ルキフェルの声が割れ鐘のように裂けた。アランは震える手でルキフェルの手に触れると殆ど息のような音で告げる。


「いい、俺はもう……ここまでだ」

「ダメだ! なんとしても助けるんだ!」


 ルキフェルはアランの傷口を抑えて手を赤く染めると、アランの瞳がルキフェルを捉えた。琥珀色と灰緑色、ふたつの色が重なる。


「ルキフェル。時間が、ない。お前に……伝えなければ。……お前の……父親のことだ」

「何を言って——」


 アランの手がルキフェルの肩を掴んで強く引き寄せる。ルキフェルの眉が跳ね上がると、アランは彼を見据えたまま囁く。


「聞け。お前の父は……エリオット。エリオット・レオパード。フランス海軍の——トップだ」


 ルキフェルはガツンと頭を殴られてような衝撃に言葉を失った。彼らの背後で叫びが飛び交っていく。


「早く! レオンまだか!」

「誰か薬を——!」

「押さえろ、血を止めろ!」


 足音と混乱が一気に押し寄せるが、ルキフェルの耳には届かず視界が狭まって音が遠のいた。父、エリオット、海軍のトップ。意味が繋がらない、繋げてはいけない。それでも、頭の奥で何かが音を立てて崩れて呼吸すら忘れていた。アランの手がまだルキフェルの肩を掴んでいる。ルキフェルは喉を震わせて搾り出すも、声は弱々しかった。


「……っ、そんなこと……」

「そりゃ……信じられねえよな」


 アランが浅い呼吸を繰り返し、胸が上下するたびに苦しそうに軋む。


「けど……真実だ。ゼフィランサスは……親友の息子を……お前を……連れ出した」


 その瞬間、ルキフェルの脳裏にマクシムの声が蘇る。


 ——ゼフィランサスとエリオット、二人は親友だった。


「それって……」

「理由までは……俺は知らねえ。自分が見たものしか……」


 アランが首を振った時、痛みが走って咳き込んで身体が跳ね、口元から赤が溢れた。ルキフェルの手が一瞬遅れて傷口に手を当てる。


「やめろ、喋るな!」


 必死に押さえるも血が止まらない、指の隙間から溢れていく。ルキフェルが叫びかけた時、レオンが青ざめた顔で駆け寄ってくる。


「アラン、ルキフェル!」


 レオンが膝をついて傷口に布を当てて押さえるが、目の下に影が差した。アランの焦点が揺れ始め、呼吸も浅く意識が遠のいていく。ルキフェルの目に涙が溜まり、嗚咽で言葉が途切れる。


「嫌だ……いかないで……」

「……ガキみてえなこと言うな」


 アランが困ったように笑う。レオンの手が止まった。アランは海に目を向け、遠く夕映えに彩られる水平線を見つめる。


「なあ……ルキフェル。どんな過去だろうと……大事なのは、今だ。できることやって……自分の生き方を……選べ。これだけは……忘れるな」


 左右で色彩の違う瞳に赤朽葉色の光が反射する。


「囚われるな……今が、一番自由だから」


 アランの身体から急速力が抜けていき、ルキフェルの肩を掴んでいた手がずり落ちて砂が微かに舞い、夕の光に溶けていく。ルキフェルが何度も名前を呼んだ。


「アラン……! アラン、起きろ……!」


 ルキフェルの声が遠い、アランの意識が霞んで音が消えた時、海から一陣の風が吹き荒れる。



 アランが瞬きを一つすると、視界が様変わりして波の音が明瞭に残る。空が青い。

 透き通るような真昼の青の中に、一人の影が立っていた。

 ——ゼフィランサスが喜びを顔に漲らせている。


 アランの目が見開かれ、ゼフィランサスの口から次の言葉が重なる。


 ——ありがとう。よくぞ守ってくれたな、相棒。


 アランが息をするのを忘れていると、やがて苦笑を溢して立ち上がった。


「……は」


 身体が軽い、痛みがない。まるで、あの頃のように。アランが砂浜から水面に足を踏み出すと、波紋を広が外ながら歩を進めた。アランがゼフィランサスの前で止まると、二人はしばし抱き合って離れ、アランが問いかける。


「またどこか連れ回すのか、ゼフィール」


 ゼフィランサスがニヤリと笑って頷くと、アランはやれやれと肩をすくめる。


「解放されたと思ったのにコレかよ。しょうがねえな」


 二人は肩を並べて歩き出す。かつてのように、クォーターマスターと船長として。彼らが歩む先に影が増え、フランソワとエドガー、そしてアルマが女海賊の装いで迎え入れ、笑い声が重なって波の上を進み、やがて風に溶けて泡のように消えていった。



 アランの呼吸が止まった。レオンはルキフェルを見ると首を横に振り、ルキフェルの中で何かが音を立てて崩れる。


「……っ、ぁ……」


 アランの穏やかな寝顔に涙が数滴落ちる。マテオは膝をついたまま涙を流し、コリンが立ち尽くし、ジャスパーはコリンの肩を強く抱く。強く。ニールがふらつきながら身を起こしていた。サミュエルとロザリーとペネロペも、ヤンたち東洋の者たちも喪失を見つめている中、ヤンは一度目を伏せて陽の光を取り込んだ瞳で再びアランを見つめる。ルキフェルはアランの服に顔を埋め、声を押し殺しながら濡れた睫毛を伏せて肩を震わせた。

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