第六章③ 各陣営、エル・イエロ島にて
ヤンは開口一番に深々と頭を下げた。
「今まで詳細を話さず、申し訳ありません」
トルチュ島まで残りわずか。ロザリーとサミュエル、ペネロペの三人は揃って顔を引き攣らせていた。ヤンの隣には椅子に縛り付けられたピエールが猿轡を噛まされ、身動きも取れないまま恨みを剥き出しに唸っている。
「……で、なんでダラス家の三男がいるの」
最初に声を漏らしたのはロザリーだった。ヤンが顔を上げて頷く。
「はい。捕虜として同行していただいています。今頃のご報告となり、申し訳ありません」
「いやいやいやいや、自分たち襲ってきたやつだけど!? なんで一緒に乗ってたの!? 今さら!?」
ペネロペが半ば笑いながら叫び、サミュエルはサミュエルで青ざめながらブツブツと呟いている。
「美しくない……これは全く美しくない……」
一方、ロザリーは目の奥を燃え上がらせてヤンを睨む。
「説明してもらえる?」
「もちろんです」
ヤンは彼女の視線を正面から受け止めて息を吐く。
「本来、もっと早くお伝えすべきでしたが……お話しする機会を先延ばしにしてしまいました。というのも、アラン・クロード殿から口酸っぱく口外禁止を言い渡された故に」
ピエールがグッと身をよじって猿轡越しに何かを叫ぼうとするが、言葉にはならず睨む。ペネロペがひょいと顔を近づけて面白がるように笑った。
「うわ、めっちゃ怒ってるじゃん」
「そりゃそうでしょ。捕虜だもの」
ロザリーが即座に再びヤンへ返す。
「……で? なんで今更になって私たちに明かすの」
ヤンは少しだけ目を細めた。
「理由は一つ、処分予定の夢蛇を仕入れていた輩がダラス家なので。その他、色々と裏で仕組んでいるのもダラス家の人間で——」
「わかったわかった、とりあえず夢蛇の件だけ共有してくれ。それ以外は処理が追いつかない」
サミュエルは額に手を当てたまま溜め息を吐いた。まだこめかみがズキズキする。
エル・イエロ島、集落。海辺の砂地に円を描くようにルキフェルたちがダミアンを囲っていた。レオンが遠目から腕を組んで見守っている。やがて、ルキフェルがダミアンを見下ろしながら口を開いた。
「ダラス家がやってきたこと、全部吐け」
「……ボクたちは、家族ぐるみで戦争に関わっていました」
ダミアンの拙い言葉で途切れ途切れに語られる。海賊同盟への拠点提供、ベルリオーズとエドガーの間を行き来した手紙、毒殺未遂の件もあくまでピエールとして演じながら。
「フランソワが……マクシミリアン隊とぶつかるように裏で仕組んで……」
すでに知っている断片が本人の口からなぞられていくだけ、コリンが顎に手を当てて首を傾げる。
「ねえ。なんで、そんなにジャスパーに固執してるの?」
ダミアンの肩がわずかに揺れた。
「……それは、ボクたちは……ジャスパーがゼフィランサスの息子だってことは、役目として知っていました。でも……兄上たちが、どうしてあそこまで恨んでいるのかは……分からない、というより……理解できないんです」
「じゃあ、なんで君たちはそんなに歪んでるの?」
ニールが問いかけるとダミアンの呼吸が乱れて手が服の端を掴んだまま止まる。
——見せるか、やめるか。
逡巡、やがてダミアンは息を吐いて服に手をかけると肩を露わにした。鱗のような肌が光を受けて鈍く光る。ルキフェルも眉を顰めてじっと見ているとダミアンが声を震わせた。
「……ボクたちは、普通に生きられないんです。だから……一族の使命だけが、生きる道なんです」
波の音が一斉に引くとレオンが口を開いた。
「なるほど、君も特異体質か。この集落にはそういう人間も多い。逃げてきた者もな」
「……え」
ダミアンの目が見開かれ、コリンがひょいと手を上げた。
「そうなの? だったら、ぼくもあるよ。ほら」
コリンが指先をパチッと鳴らすと小さな炎が灯って揺れた。ルキフェルが一瞬だけ顔を強張らせる。
「おい、コリン——」
コリンは炎を消すとケロリとした顔で言う。
「別に大したことじゃないでしょ?」
ダミアンの中で今まで絶対だったものが音もなく崩壊し、呆然とコリンを見ている。レオンが軽く手を叩いた。
「少し休憩にしようか。同じような特異体質の仲間を紹介する」
コリンが「行こ」と言いながらダミアンの腕を掴んだ。
「ぼくも行くー!」
コリンに半ば強引に立たされる形でダミアンはよろめいた。
「え、あ……」
「いいだろう」
三人は集落の中へと消えていった。残されたのはルキフェル、マテオ、ニール。三人は海辺に留まっていた。波の音が一定のリズムで打ち寄せる中、ニールがぽつりと呟く。
「……ピエールって、もっと高圧的で非道な人間だと思っていたんだけどな」
「それより、今後どうする?」
マテオが頭を掻くとルキフェルは波を見つめて目を細める。
「……みんな、長旅でやられてる。たまには休まないと持たないぞ」
「へえ、急がないのか」
マテオがルキフェルを流し目で見ると、ルキフェルは息を吐いて首を横に振る。
「船員の体調管理も重要だろ。……それに、ジャスパーが気掛かりだ。堕れるつもりはないが……あいつが帰ってくるまで待とう」
「なるほど、オレは賛成だ」
「僕も同じ。中途半端に動くより、今は整えた方がいい」
その後、アーシャとフェリスが小舟でやってくるなり近隣の島へ向かうと告げてきた。
「寄港地として栄えている街があるらしくてね。補給も兼ねて、少し羽を伸ばしてくるわ」
いわばバカンスだが、それを咎める者はいない。ルキフェルたち、特にニールは何も言わなかった。自由すぎるとも言えるが、海賊団というものはそういうものだ。中心にいる者が決めた方針なら、それが全て。自分たちはリーダーでも、意思決定者でもない。ただの船員として役目を果たす。それが、この船団に居るための契約だった。出航の間際。ルキフェルは二人に手短に告げた。
「二月十八日にはフランスにいる必要がある。逆算して戻ってこい」
アーシャは肩をすくめ、フェリスは軽く手を振ると島を離れていった。
それから数日間、エル・イエロ島での生活は決して楽ではなかった。火を起こす、水を確保する、食料を得る。単純だが、体力を削る作業の連続でも多民族集団の知恵と体力に支えられ、彼らは生き延びていた。役割は自然と分かれていく。誰が何をするか、言葉にせずとも回り始める。その中にはダミアンの姿もあった。最初こそ戸惑っていたが、やがて手伝うようになり、気づけば輪の中に立っていた。そしてジャスパーは、日中は姿を見せないことが多かったが、夜になると不意にレオンのテントに現れる。流石に空腹には勝てないのだろう。最初は距離を取っていたが、少しずつルキフェルたちの近くにいる時間が増えていった。受け入れきれてはいないが、拒絶もしきれない。そんな曖昧な距離、穏やかな日々が続く。波の音と火のはぜる音、人の気配がそれぞれの形でこの島に馴染み始めていた。だからこそ、変化はあまりにも唐突だ。
ある日の昼。簡素な食事を囲む中、ジャスパーは食べ終えて皿を置くと立ち上がった。
「ん、じゃ」
ジャスパーは振り返ることもなくテントを出ていき、風が布を揺らしてすぐに閉じた。残された五人は視線だけで互いを見やる。——まだ引き摺っている。沈黙を破ったのはコリンだった。
「この島じゃ、マテオの料理人の腕も敵わないかあ」
マテオがすぐに眉を寄せた。
「は? それ、お前の舌が贅沢なだけだろ。オレの作る飯はな、他の連中と一味も二味も違う。てか、天と地ほど差がある」
「出た出た。自己評価高いなあ」
コリンが笑い、ニールが皿から顔を上げる。
「そういえば。昔から思ってたけど、マテオってなんで料理上手いの?」
マテオは一瞬だけ言葉に詰まって目を逸らす。
「……別に。必要だから覚えただけだ」
ぶっきらぼうな声音にニールはそれ以上踏み込まず頷いた。ルキフェルは食事を続けながら三人のやり取りを眺めている。一方でダミアンはコリンと背中合わせになるように座っていた。食べ方はまだぎこちないが、手は止まらない。耳だけで会話を追い、時折少し反応が遅れる。テントの中には、ささやかな笑いと火のはぜる音が満ちていた。昼食を終えた後、レオンが五人に頼み事をしてくる。
「枝でもいい。薪が欲しいんだ、できるだけ多くな」
ルキフェルたちはそれぞれナイフを一本手に取り、集落の外れへ向かって密林へ入った。木々が空を覆い、光がまだらに落ちている。湿った土の匂い、葉の擦れる音。中で、手頃な低木を見つけては枝を落とし、地面に落ちたものを拾い集めていく。単調な作業だが、腕に重みが増していく。
「こういう時に限って、いねえんだよな。斧のマルク、あいつ一人いりゃ終わるのに」
マテオが枝を切りながらぼやくとニールが苦笑する。
「ほんとだね。……アランさんたち、今どうしてるんだろ」
枝を切り落とす音が一定のリズムで続く中でダミアンの手が止まった。視線、気配、混ざり込んだ違和感。風の音でも葉擦れでもない、微かに枝を踏む音。ダミアンは顔を上げて周囲を見渡すも、木々の隙間や影の奥には何もいなかった。
「どうした、何かいたか?」
ルキフェルの声が飛ぶもダミアンは一瞬だけ言葉に詰まり、もう一度森の奥を見た。
「……いえ。たぶん、小動物です」
ダミアンは首を振って手を動かした。枝を拾い上げる作業は再び元のリズムに戻っていき、十分な量が集まったところでルキフェルが一言告げる。
「戻るぞ」
それぞれ枝を抱え、来た道を引き返して密林を抜けると光が開けた。集落の気配が近づいてくる。——彼らの背後、木々の奥で何かがわずかに動いたことに気づく者はいなかった。集落の入口で、レオンの連れ合いが手を振っている。にこやかな笑顔のまま海の方を指差し、ルキフェルたちが視線を向けると沖合に帆船の影を見つけた。ニールが目を細める。
「……アーシャたちかな。にしては、ずいぶん早いね」
「一度置いてくる」
ルキフェルは枝を抱えたままレオンのテントへ向かって束を下ろして引き返し、全員で波打ち際まで近づいた。船影が徐々に形を持ち始め、帆と船体と輪郭が鮮明になっていく。
——違う。
ルキフェルの視線が細め、ニールも顔を強張らせた。
「……あれ。形、違わない?」
コリンが首を傾げ、マテオが目を凝らす。
「船、変えたのかな?」
「いや、そんなはずねえ。あいつらの船じゃない。……それに、ボロボロだ」
確かに。近づくにつれ、船体の傷が見えてくる。帆は裂け、外板は削れ、どこか無理にここまで来たような痕跡。ダミアンが一歩後ずさり、ルキフェルは船を見据えて声を張りあげる。
「……武器を取れ。レオンにも知らせろ! 早く!」
弾けるように動き出し、マテオは反射的に背を向け、コリンも彼に続く。ニールは腰の得物に手をかけて海を睨み、ダミアンは一瞬だけ立ち尽くしたが我に返って駆け出した。それぞれが、散る。迎撃のために。迫り来るそれに対して。波の音が、急に大きく聞こえた。
一方、件の船。甲板上ではアランが望遠鏡を手にエル・イエロ島集落を見つめていた。
——帰ってきた。
アランは深い溜め息を吐くと背後を振り返って東洋人たちを見渡した。
「ここから先は、俺一人で行く。護衛は不要だ、あいつらは外部の人間を敵視している」
「だからと言って、たった一人はキツくないっすか?」
ポーランがあっけらかんと言い、彼の隣に立つチャンが何度か頷く。その時、ヤンとサミュエル、ロザリーとペネロペが階段を上がって姿を現した。
「情報共有、終わりました。と言っても、夢蛇絡みだけですが」
ヤンがにこやかに言うと、アランは彼の背後に目を向けた。海軍士官だという三人がげっそりした顔で辛うじて地に足つけている。ワンがアランの側によるとサミュエルを指差した。
「彼らを連れていっては? あの長身の彼は操舵手だそうで。どちらにせよ、夢蛇を運び出すには漕ぎ手がいるでしょう」
アランは海軍制服を上から下まで視線を巡らせると舌打ちした。
「……せめて外套は羽織れよ」
ルキフェルたちが自前のカットラスに手をかけて抜くと刃が鈍く光った。彼らの背後では多民族集団の男たちも武器を構えている。槍、剣、弓、それぞれの得物を握って海を睨んだ。女子供はすでにテントの奥へ避難していた。布の隙間から、いくつもの視線がこちらを窺っている。やがて一隻の小舟が桟橋へと滑り込み、軋む音と共にロープが投げられて接岸する。小型のガレオン船は沖合に佇んでいるまま、傷だらけの船体を陽光の下で露わにしている。敵か味方か、その答えを待つように一人の男が小舟から降りてきた。木板を踏む音が響いて陽光の中にその姿が現れる。男の眼帯を捉えた瞬間、ルキフェルは思わず息を止め、ニールが震えた声を漏らす。
「あ、あの人……」
「アラン!」
レオンの叫びが弾けて桟橋へ一直線に駆け出し、振り返って多民族の仲間たちへ向けて聞き慣れない言葉を放つと、武器を構えていた男たちが一つ、また一つと下りて騒めきが歓声へと変わる。桟橋の上、アランは小舟を振り返って漕ぎ手担当のサミュエルに目を向けた。
「戻ってろ。あの捕虜を連れてこい」
サミュエルはこくりと頷くと速やかに小舟を動かして桟橋から離れる。アランは陸地へと踏み出して砂を踏むと顔を上げた。目に入るのは懐かしい景色、変わらぬ島、変わった顔ぶれ。記憶にある者も、ない者もいる。アランの口元に笑みが浮かんだ瞬間、表情が崩れた。仲間たちの中に見慣れない一団、ルキフェルたちの姿。カットラスを構えて凝視するルキフェルと視線がぶつかり、アランの琥珀色の片目が揺れて一瞬潤んだが、感情が形になる前にレオンが勢いのまま彼に抱きついた。
「おい……アラン!」
「……っ、レオン……」
衝撃と共にアランの意識が引き戻されて言葉が途切れる。気づけば仲間たちに囲まれて次々と声が飛んだ。笑い声、歓声、帰還を喜ぶ声。アランは呆然としたまま中心に立っていたが、ルキフェルたちから目を離さなかった。歓声が徐々に引いて仲間たちが離れ、場に静けさが戻るとアランは数歩歩き出し、ルキフェルと一定の距離を空けて立ち止まった。
「……ルキフェル」
ルキフェルは言葉を失っていたが、やがて表情が崩れて声が震える。
「アラン……」
驚愕がじわじわと喜びへと変わっていき、ルキフェルの口元が緩んだ瞬間にカットラスを放り投げて地を蹴った。
「アラン!」
ルキフェルが一気に距離を詰めて抱きつこうとする。——が、アランがひょいっと避けて、ルキフェルは勢いで砂浜に突っ込んだ。
「——っ!?」
一転、二転、三転、うつ伏せで沈んで砂が舞い、ルキフェルはしばらく動かなかった。何が起きたのか、自分でも理解していないらしい。マテオたちはぽかんと口を開けている。
「……は?」
レオンがルキフェルを見下ろしながら苦笑し、アランはルキフェルに近づいて見下ろす。しばしの沈黙、やがてルキフェルが砂の中から顔だけを上げた。髪も頬も砂まみれ。
「……なんで」
「こっちのセリフだ。てめえら——なんでここにいる」
アランの眉がわずかに寄り、ルキフェルは肘をついて少し身を起こした。
「……事情があって」
「事情なら、あとでたっぷり聞いてやる。それより、いつまで突っ伏してるつもりだ。起きろ」
「……はいはい」
ルキフェルは苦笑いを浮かべて身を起こす。砂を払う彼の様子を少し離れた位置から見ていたマテオが呟く。
「……あれが先生の態度か?」
「そうだよ。馴れ合いは苦手みたいなんだ」
コリンが肩をすくめ、ニールが息を吐いた。
「それにしても、数年ぶりの再会がこれかあ」
彼らの背後でダミアンがいつの間にか消え、気づけばレオンのテントの方へと向かっていた。危険はないと判断したのだろう。アランはマテオとコリンとニールを順に見ていく。マテオがわずかに肩を引き、コリンの笑みが一瞬止まって、ニールの表情も固くなる。空気が引き締まる中心で、ルキフェルはアランを見上げていた。
……相変わらず厳しいな。
サミュエルが縄梯子を登って船縁から顔を出した時、小型ガレオン船ではなおも甲板で何やら作業が続いていた。夢蛇が入った荷箱、説明で聞いてはいたが思ったよりは少ない。さすが東の希少物、美しくはないな。
「はあ。なんで見た目より重いんだろ、これ」
「厳重保管のためよ。もう、香りが甘すぎてずっと嗅いではいられないね」
ディッキーとカルロータが小休憩している。サミュエルが船縁に肘をついていると、ペネロペとロザリーが装備を確認しながら近づいてきた。
「なんかねー、東洋の人たちは荷運びの準備に夢中なんだって。あのマルクとか手伝わされてる」
ペネロペがあっけらかんと言うとサミュエルはため息を吐いた。
「それなら、僕たちは捕虜の運搬でもしようか。アラン・クロード殿に頼まれたんでね」
「賛成、それならさっさと連れていきましょ」
ロザリーは船長室の扉を振り返りながら微笑んだ。
三人がピエールを海上連行している間、集落の中央ではアランがルキフェルたちの前に立っていた。話は一通り終わっている。ゼフィランサスの羅針盤、かつてアランが自らの手で手放したもの。それがカリブの地、トルチュ島から巡り巡ってここへ辿り着いたという事実、羅針盤に刻まれた紋章、ルキフェルの最も古い記憶。情報を繋ぎ合わせて、この島へ至った経緯。すべてを聞き終えたあとアランは黙っていた空を仰いだ。重い沈黙の中でルキフェルが一歩だけ前に出る。
「アラン、知ってることがあるなら教えてほしい。俺がフランス出身なのか、そうじゃないのか。……あんたの口から聞きたい」
「彼、本気なんです。自分が誰なのか知りたがってる。どうか……」
「今日こそ話してよ! ゼフィランサス海賊団のこと!」
ルキフェルの背後でニールとコリンが堪えきれず口を挟み、マテオはアランを見据えて口を開く。
「あんたが何を隠してるかは知らねえ。けどな、黙ってても状況は変わらないぜ」
言葉が重なって圧がかかるもアランは動じなかった。ルキフェルがアランとの距離を詰めて声を震わせる。
「……お願いだ。俺が誰か、真実を聞かせてほしい」
波の音が遠くで鳴り、アランはルキフェルと目を合わせた。
「真実、か。知らなくてもいいことはある。知ったことで後悔することも……この世にはある」
「でも! 今さら引き返せないよ!」
ニールが思わず声を張り上げ、アランは目つきを鋭くした。
「……この島に来たなら、ジャスパーの正体も当然知ったな。なんで、あいつがこの場にいない。一緒にいるんじゃないのか」
四人とも暫く言葉に詰まらせ、ルキフェルが掠れた声で言う。
「……知ったよ、あいつの父親のこと。ジャスパーは……今も、この島のどこかにいるはず。俺たち、戻ってくるまで待ってるんだ」
アランは顔を顰めて問い返す。
「……戻ってこなかったら?」
ルキフェルはアランを睨み据えて呼吸を荒くし、声が少しずつ熱を帯びていく。
「……それは、あくまでジャスパーの問題だろ。……俺は違う。自分が誰かも分からないまま怯えて、目を逸らして生きるなんて、そんな弱い真似はしない。俺は……強くなりたいんだ。……なんで邪魔するんだよ」
アランはすいっと目を細めて声を落とす。
「……悪いな。どれだけガキの頃みたいに喚いても教えられない。……お前のためだ」
アランの言葉がルキフェルの中で何かを引き裂いた。
——お前のため。
その響き、その温度、その拒絶。不意に記憶が閃く。
「ルキフェル!」
振り向けばフランソワとリュウがただならぬ顔で現れる。フランソワに強く肩を掴まれた。
「船を降りよう。もう、ここにはいられない」
意味が分からない。でも、分かる。何かが起きている。
「理由は言えない。だが、すべて君のためだ」
——まただ。
胸の奥が軋んで幼い声が震える。
「なんでだよ! なんで勝手に決めるんだよ!」
「お前には、海賊以外の道がある。忘れろ」
「……すまないが、言えない約束なんだ」
優しさと拒絶が同時に刺さり、結局何も教えてもらえなかった。
ルキフェルの瞳が見開いて息が浅くなった。
「……そうやって、なんで皆、はぐらかすんだよ。俺のため?」
何かが内側で蠢く。理性の奥で獣が目を覚まして爆ぜた。
「ふざけんなよ、俺のためとか言いながら! 俺から何もかも奪うのは、耐えられねえんだよ!」
ルキフェルは叫びと同時にアランのコートを掴んで強く引き寄せた。アランは思わず息を詰まらせたが、目を逸らさずルキフェルを見つめた。息が荒い、ルキフェルの目がギラついて真正面から睨みつける。
「あんたがやってることは、ただの自己満足か罪滅ぼしだ。俺の目はもう誤魔化せない。真実を吐くまで、俺は諦めない。俺から自由を奪うな!」
アランは言葉を失っていた。今まで一度も見せたことのない反抗、その腕の力、そして翡翠の瞳に宿る覚悟を感じていた。アランは重々しく息を吐く。
「……過去は、もう振り返らないって言ったんじゃないのか。前を向くって言ったろ」
ルキフェルはコートを掴む力を込めると、手の甲に筋が浮いた。
「いつの話だよ。俺はもうガキじゃない、あの頃と一緒にすんな」
その時、二人の間に影が落ちてルキフェルの腕が掴まれた。
「っ……!」
ルキフェルが思わず呻いて振り向くと、サミュエルが見下ろしていた。マクシム隊の男が、鬼の形相でルキフェルの腕を捻り上げている。
「驚いた。まさか、この島で見知った顔に会うとは」
サミュエルの手にさらに力が入って、ルキフェルの腕の骨が軋む。
「おい、なんでお前が……ルカを離せ!」
マテオが叫ぶと同時に影が二つ滑り込み、マテオたちの前へ躍り出た。サーベルを構えた女が二人、ロザリーとペネロペの刃先がまっすぐに向けられる。標的は——ルキフェルたちだ。
桟橋に残された小舟の底では、ピエールが猿轡越し呻きながら縄を解かんと転げ回っている。




