第六章① アランたち
海上を進む帆船。帆が風を孕み、一定のリズムで軋む音が甲板に響いていた。サミュエルとロザリー、ペネロペの三人は甲板の隅で手すりに寄りかかり、束の間の休息を取っている。
「……にしても静かね」
「嵐の後だと余計にそう感じる」
ロザリーが海を眺めながら呟き、サミュエルが目を瞑って答える。ペネロペはぼんやりと水平線を睨んでいた時、低い声が割り込んだ。
「お前ら」
三人が同時に振り返ると無骨な体躯に無造作な立ち姿、マルクが腕を組んで三人を見下ろしている。
「喋ってる暇あったら手伝え」
マルクがぶっきらぼうに言い放った瞬間、ペネロペの動きが止まった。
「……は?」
次の瞬間、ペネロペは一歩踏み出してマルクの胸ぐらを掴んだ。
「あんた、斧のマルクじゃないか!! このやろおおおおお!!」
「ちょっ!?」
サミュエルが慌てて飛びついて小柄なペネロペを後ろから引き剥がす。
「落ち着け、ペネロペ!!」
「離して!! こいつ!」
サミュエルが暴れるペネロペを押さえ込んでいる間に、マルクは一歩よろけながら体勢を立て直した。
「ガキがなんてことしやがる」
「ガキじゃないわ! エドガー海賊団の傘下野郎、その前は私掠船団長、さらに前は地中海の海賊団下っ端!!」
ペネロペの言葉に棘が混じる。いや棘では足りない、剥き出しの怒りを重ねて吐き捨てている。ロザリーがペネロペとマルクに視線を往復させて形の良い眉を歪ませる。
「……えっと、何のことか説明してちょうだい?」
ペネロペはサミュエルに押さえられたまま、マルクを睨みつけて指を突きつける。
「こいつ。あたしがいた海賊団を襲ったライバル船団の下っ端!!」
「え?」
サミュエルとロザリーの声が重なって驚愕が遅れて広がる。サミュエルがパッと手を離すと、ペネロペはマルクにズカズカと歩み寄って腰に手を当てる。
「去年死んだと思ってたら、まだ馬鹿でかい斧なんて担いでたの?」
「死んでねえ、こうして生きてるだろ。マジで誰だよ……」
マルクが頭を掻いて舌打ちした。こうして甲板の隅で因縁がギャアギャアと声になって犇めき合ってる中、ロザリーはメインマスト付近に目を向けた。ピエールが根元に縛られて腰を下ろしている。この船がブレストを旅立って、自分たちが最初に度肝を抜いたのがこの男の存在だ。厳密には捕縛だが、この船のリーダー——アランとヤンからは「気にするな」と言われても無理な話だ。ロザリーはマルクをチラ見し、次に甲板そのものを見渡した。東洋人たちと流離の旅人たち。それとダラス家の三男と処分予定の夢蛇。エル・イエロ島に着く前に彼らの繋がりを詳しく聞かなくては。ロザリーが思わず溜め息を吐いている一方、ピエールはうとうとと居眠りをしていたところに影が落ちた。
「……ん?」
ピエールがうっすらと目を開けると、ニコラが瞳を揺らして見下ろしていた。
「なんだ」
ピエールが掠れた声で問うと、ニコラが恐る恐る口を開く。
「……フランソワ船長と、仲間たちのことで聞きたいことが……」
「まずお前誰だ」
「……ボク? フランソワ海賊団の船員だった」
ニコラが目つきを鋭くさせ、毅然とした態度で背筋を伸ばす。
——アランさんから可能性として告げられた、仲間たちの死の裏。真実は目の前、直接聞けばいい。
ニコラが拳を握ると、ピエールは彼の手の震えを一瞥してからせせら笑った。
「ああ。お前、生き残りか。……仕留め損なった」
ピエールが虚ろな目で見上げるとニコラと目が合った。ニコラが眉間の皺をさらに寄せるもピエールは構わず続ける。
「あー、そうだよ。まず傘下の奴ら、あれオレがやった。ナイフと夢蛇でバタバタと倒れたよ。それとフランソワ直属の残党も。暴れさせてからトゥーロンで処刑送りにした。まんまと嵌って爽快だねえ」
ニコラが瞋恚の目で見つめているとピエールは最後に冷笑を浮かべて語る。
「そして大海賊フランソワ。——あいつもまんまと引っかかってくれた。ダラス家に抗う奴は、ああでなくちゃ」
次の瞬間、ペネロペの騒々しい声に混じって空中で何かが炸裂した。アランとヤンが甲板へ上がる階段を踏み締めていると、ニコラが逆光を背に木板の悲鳴を上げながら降りてきた。アランはすれ違いざま、ニコラの二の腕を掴んで制させる。
「どうした」
アランが片目を鋭くさせて伺うも、ニコラは彼の腕を払って通り過ぎていった。仄暗い階段上で雫が散ってすぐ消滅する。アランとヤンはニコラの背を見送った後、再び歩みを進めた。彼らの背後でティエンの懇ろにもてなすような声と悲泣の声がする。アランが外に出ると潮風を顔面に浴びて思わず首を振り、メインマストに目を向けた。ピエールが赤や紫のマーブル模様を頬に浮かべて目を細め、口に溜まった血を吐いている。よく見れば唇も切れて赤い筋がだらしなく伝っていた。
「いってえな、あの野郎……」
アランは彼の呟きも無視して前に立ちはだかって見下ろすと口を開く。
「尋問の時間だ。場所を変える」
ヤンが直ちに縄を解きにかかった。二人でピエールを船長室に移送し、椅子に縛り付ける。ピエールは目の前に座る二人を睨み、アランは腕を組んで冷たい視線を落とした。
「話してもらおうか。なぜ貴様らがジャスパーを知っているか。……本人から聞いている、貴様らに目をつけられていると」
アランの隣でヤンが手帳に鉛筆を走らせ、カリカリと乾いた音が部屋に響く。ピエールはしばらく黙っていたが、やがて鼻で笑うと堰を切ったように言葉が溢れ出した。
「はっ。なんだ、その程度の話か。いいぜ、教えてやるよ。全部、父上から聞いた話だ。ゼフィランサス、あの化け物の息子がジャスパー。使える道具だったんだよ」
アランの眉がわずかに動いてヤンの鉛筆が一瞬止まるも、ピエールは構わず続ける。
「父上の生業は人身売買だった。教団との取引の一環さ。けど十九年前、売買ルートの一部が潰された。商品を扱っていた海賊団と陸の人攫いの拠点を、ゼフィランサス一人に殲滅された。場所は皮肉にもサン・マロ。ルートは崩壊、物流も資金も狂って父上のビジネスは終わった」
ヤンが鉛筆の先を彷徨わせている横で、アランはかつて聞いたエドガーの報告——傘下船団が裏で関与していた——を思い返しながら冷然と言い渡す。
「……それで? ジャスパーの存在はいつ知った」
「人身売買のルート上だ。父上が取引条件として『妻と子の誘拐』を提示したら、あいつの傘下船団が見事に攫ってきた。ゼフィランサスは知らねえまま海を彷徨って全部奪われてんだ。攫った妻子だが、最初は教団が囲ってた。連れ合いは長くなかったらしい、報告を聞いた父上が迎えに行くもガキはどっかへ行った。親父はどんどん壊れて狂って衰弱して、みっともねえ死に方したよ。……で、残されたのがオレたちだ。ゼフィランサスの影、ジャスパーのせいで全部ぶっ壊れた。だから、オレたちは父上の遺言通りにジャスパーを殺したいし、恨んでるし、憎んでる……」
感情がぐちゃぐちゃに混ざり、最後にピエールは怒り心頭に発する。
「分かるかよ。オレたちがジャスパーをどう思ってるか。ゼフィランサスを怨んでも、あいつはもう死んでて、復讐は……終わっていた。何も残らなかった。喜びは一滴も湧かず……空っぽになった。長男は理想に縋って国家をあるべき姿に戻すと。次男は快楽と支配に沈んだ。オレは、命令が存在理由になった。命令がなければ何も残らない。……今のオレたちは、復讐しているわけじゃない。怒りはもう燃え尽きた。残っているのは、一族の使命と義務、父上の大望だけ。——王国を理想の形に戻す。ゼフィランサスは……もう敵じゃない。——ただの教訓、遺骸だ」
しばしの沈黙のあと、ヤンが手を止めて押し黙る横でアランが天井を見上げて口を開く。
「……さっき言っていたな。ゼフィランサスは知らないままだったと」
「ああ、それがどうした」
ピエールが舌打ちするもアランは表情を変えず声を落とす。
「どうだろうな。遅かれ早かれ、お前の父親の悪事はバレていたぞ」
「……は? 何を根拠に——」
ピエールの虚ろな瞳に光が宿って鋭さを帯びるも、アランは冷淡な態度で遮る。
「運が良かっただけ。表に出なかった、それだけの話。ゼフィランサスと最期に言葉を交わした時、あいつは言っていた。——ダラス家に気をつけろ、と」
「……っ」
ピエールが思わず息を詰めるとアランは声に苛立ちと悔しさを滲ませて続ける。
「あいつがどうやって探っていたのかは知らん。今となっては分からない。多くの謎を抱えたまま、死んでいきやがった。……おかげで、すっかりグチャグチャだな」
ピエールは歯を食いしばり、ヤンは再び鉛筆を走らせた。カリカリと淡々とした音が、歪んだ過去をなぞるように響いていく。




