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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】7・8巻「真相編」  作者: セキユズル
第四章「……違う、違う……オレは、あいつじゃない……!」
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第四章 サン・マロにて

 五人組海賊がメノルカを目指していた頃、遠く離れたサン・マロでは別の動きが始まっていた。王国海軍による奪還作戦がマクシミリアン・ブーケ隊に一任され、彼らは命令と同時に十分な準備もないまま任務へと向かうこととなる。通信は制限され、補給も最低限、作戦というより切り離しに近い処置。さらに海軍は裏でピエールと接触し、協力という名の圧力をかけ、マクシミリアン・ブーケ隊の処理を任せた。


 十二月二十九日、サン・マロ奪還作戦。夜明け前の旧市街にマクシミリアン・ブーケ隊が踏み込む。彼らは宿屋《ラ・プティット・トゥル》を拠点として市街の中枢へと潜り込み、カルロータとディッキーの協力で市民の避難を進ませ、隊は二手に分かれた。一方は市場に紛れ、市民を装って海賊どもを闇討ちにする。もう一方は港へ回り、火薬を用いて係留索を断ち切り、海賊船を沖へ流して退路を断った。奇襲は成功。海賊どもは混乱し、旧市街も港もマクシム隊の手に落ちつつあったが、それで終わりではなかった。


 海賊を掃討し、ようやく街の中心部が静まり始めた頃、今度はピエールと黒衣の集団が襲いかかってきた。マクシム隊は一瞬乱されたが、すぐに立て直して各々が持ち場を守り、連携し、散った影をひとつずつ仕留めていく。マクシムはピエールを前に双剣を構え直した。


「あなたが何者かわかりませんが、僕たちに楯突く以上は始末あるのみ」


 ピエールは冷ややかな笑みを浮かべ、血に濡れた剣を構え直す。


「……ふん、覚悟はできているようだな。ならば最後まで楽しませてもらおう」


 次の瞬間、剣と剣が激突し、金属音が広場の空気を裂く。二人が鋭い剣筋を繰り出す間、ロザリーは別の私兵を相手取りながら何度も視線を向けていた。おかしい。見たことがある。彼女は刃を受け流し、身を翻し、反撃しながらもピエールの顔が脳裏に引っかかり続けた。やがてロザリーが無理やり目の前の私兵を押さえ込んだ瞬間、マクシムの剣がピエール目掛けて大きく踏み込んだ。


「……これで終わりだ!」


 彼の言葉が耳に届いた瞬間、ロザリーの中で何かが鋭く繋がった。


「待って!!」


 彼女の甲高い声が戦場に響きわたり、マクシムの動きがわずかに揺らぐ。ロザリーが彼に駆け寄り必死に叫んだ。


「殺さずに……! 峰打ちをお願いします!!」


 マクシムは目を見開くも剣を返し、刃を峰にして軌道を変えた。


 ドッ──!


 重い衝撃がピエールの肩口に叩き込まれ、彼の身体が崩れ落ちて石畳に倒れ込む。


「ロザリー、どうして……?」


 マクシムが息を整えながら問うが、ロザリーは顔をこわばらせてピエールを凝視した。


「……この人の顔に……見覚えがあるんです。どうしてかは、まだ……わかりません。でも……殺すのは、駄目です」


 周囲では最後まで抵抗しようとした私兵たちがマクシム隊に次々と制圧されていった。広場に静寂が訪れ、煙と硝煙の匂いの中で隊員たちは互いに息を整え、互いの無事を確認する。リラが息をつきながらマクシムに視線を送る。


「……これで、本当に終わったのね」


 マクシムはまだ剣を握ったままピエールを見下ろすと、手元の剣を地面に置いて深く息を吐いた。

「……終わった……」


 シャルルは隊員たちの状況を確認し、冷静に指示を出す。


「残党はいませんね。市民への被害も最小限です。これで街は、ほぼ安全になりました」


 港側では爆破担当のグウェナエルやサミュエル、ペネロペ、ジョルジュが火薬の処理を終え、撤収の準備を整えている。アニータが宿屋から顔を出し、避難を終えた市民たちの安全を確認して報告する。


「市民のほとんどは街の外へ避難させたよ。これで安心して」


 アニータも笑顔を見せ、手を上げて隊員たちを迎えた。マクシムは頷き、隊員たちに目を向ける。


「皆さん、よくやりました。街も無事、市民も無事です」

「……でも、やっぱり海賊ども弱すぎない?」


 ペネロペが剣を鞘に収め、肩で息をつきながらも笑みを浮かべる。隊員たちは少し苦笑しながらも達成感に包まれた空気が広がり、マクシムはピエールの姿を一瞥して呟く。


「もう二度と、誰もこの街を脅かすことはない」


 隊がようやく呼吸を整え始めた頃、ソフィーもサン・マロへと辿り着いた。ロザリーは再びピエールを凝視していると、ロザリーの異変に気づいたシャルルが彼女の隣にそっと歩み寄る。


「どうしたんだい、ロザリー。……彼、何か気になるの?」


 ロザリーは息を呑み、微かに揺れる声で答える。


「この人……ただの刺客じゃないわ」

「……どういう意味だい?」


 シャルルの眉が跳ね上がり、ロザリーはピエールの顔を見つめて言う。


「ダラス家よ。それも、三男」


 以前、シルヴェストルと話していた時、あの場にふらりと現れた青年。間違いない、あのピエール本人だ。シャルルは目を見開き、一瞬呼吸を忘れたように言葉を失う。


「ダラス家、だと……?」


 王宮勤めの父と兄を持つ彼にとって、その名はただの貴族の一つではない。そんな家の三男が、こんな場所でこんな形で刺客を率いていた。シャルルの背筋がぞっとし、ロザリーは膝をついてピエールの顔を見つめながら呟く。


「どうして……ダラス家の人間が私たちを? わからない……」


 沈黙の中、ヤンが歩み寄ってきた。彼はピエールの左手首をつかみ、金の腕輪を鋭く見据える。


 ——イヴォン・ローランを襲った男だ。


「……なるほど」

「ヤン、何かわかったかい?」


 シャルルが不安そうに眉を寄せ、ヤンは立ち上がると落ち着いた声で告げた。


「この男は、わたしたち組織の方で預かりましょう。少し、調べたいことがあります」

「……ぼくも調べたいことがある」


 シャルルはピエールの左手にそっと触れ、金の腕輪を慎重に抜き取った。光の角度で紋様がうっすら浮き上がり、彼の表情にさらなる思考の影を落とす。これが何を示すものなのか。なぜ、この男だけがこれを身につけているのか。そして、なぜダラス家の三男がこんな戦場にいたのか。


「これだけ……預かっていても構わないかな?」


 ヤンは腕を組み、シャルルをじっと見つめたあと肩をすくめる


「まあ、いいでしょう。あなたが何を探りたいか……知りませんが」


 シャルルは皮肉を軽く流すように微笑んだが、目の奥だけは鋭く光ったままだった。その後、サン・マロに海軍旗が掲げられ、市民たちは街へ戻り、マクシム隊は補給船によってブレストへ帰還することとなる。マクシム隊を乗せた船が水平線へ溶けていき、ヤンは港から見送っていた。彼の隣でヘイロンが低く鼻を鳴らし、尾をゆるく揺らす。


「……さて」


 ヤンは踵を返すと、ピエールが全身を縄でぐるぐる巻きにされ、無造作に石畳の上へ転がされていた。彼の傍らで、ディッキーとカルロータが腕を組んで見下ろす。


「この人……どうするんですか?」


 ディッキーが首を傾げる。困ったような、それでいて少しだけ面白がっているような声だ。ヤンはヘイロンを見上げて答える。


「ひとまず、わたし達の隠れ家にでも運んじゃいましょうか。……ヘイロンに乗せて」

「荷運びね」


 カルロータが頷くとヘイロンが露骨に鼻息を荒くした。フンッと不満げに地面を蹴って、明らかに「またか」と言いたげな顔で。


「ほらほら、文句言わない」


 ヤンが軽く手を叩くとヘイロンは渋々といった様子で首を振り、どさりと音を立ててその場に膝を折った。大きな身体が地面に沈み、荷を載せる準備が整うとディッキーが吹き出す。


「なんか……めっちゃ嫌そう」

「気のせいよ」


 カルロータが即答するとヤンは縄で縛られたピエールを見下ろした。


「さて。起きたら、いろいろ聞かせてもらいましょう」


 三人と一頭は縄でぐるぐる巻きにされたピエールを担ぎ上げ、そのまま裏路地を抜けてリー・ウェンの隠れ家へと向かった。古びた扉を押し開けると、ひんやりとした空気が流れ込む。


「先に上がるよ」


 カルロータが階段を上っていき、二階に着くと作戦会議に使われる一室の扉を開けた。室内にはすでに人影があった。ニコラとティエンだ。どうやら、昨夜から明け方まで続いた戦闘について話していたらしい。


「ほら、言ったじゃん。外、やばい音してたから出ないほうがいいって」

「……うん。君の言う通りだったね」


 ティエンが肩をすくめ、ニコラは頷いた。二人のやり取りを横目にカルロータは部屋の中央へと足を進め、彼女の背後からドタドタと重い足音が近づいてきた。


「うお、重っ……!」

「落とさないでくださいよ!」


 ヤンとディッキーがピエールを抱えて階段を上がってくる。やがてドサリと鈍い音がして、ピエールは椅子へと縛りつけられた。ヤンが軽く手を払うようにして息を整え、周囲を見渡す。


「……他の皆さまは?」

「例の密輸港に向かった。また夢蛇が流れてないか確認するって。もしあれば持ち去るって話」


 ティエンが壁にもたれながら答え、ヤンは納得したように頷いた。


「なるほど……どうりで、うちの同僚が誰もいないわけですね」



 例の密輸港は航路から巧妙に外れた場所にあった。岩肌が入り組み、潮の流れも複雑で、知らぬ者が近づけば船を傷めかねない。そんな入江の奥、人目につかぬ陰に荷箱に収められた夢蛇が積み上げられている。


「妙っすね。夢蛇にも旬があるんですかい?」


 ポーランが膝を折って木箱の縁に指を滑らせると、指先にうっすらと灰色の粉が付着する。ワンはため息を吐いて首を振った。


「夢蛇自体が希少なだけ。東の密林の奥深くにある。見つけるまでがまず至難だし、本来なら現地でも神官しか触れられない代物だ。今まで流れすぎていたのがおかしい。……けど、今は関係ない。運ぶよ」


 東洋人たちが木箱を次々と持ち上げ、船へと運んでいく様子を甲板の上から三人が見下ろしていた。アラン、マルク、イヴォン。マルクが腕を組んで息を吐く。


「これでイヴォンの目的も達成したことだし、残りはアランとティエンが追ってる謎だけか」


 イヴォンがわずかに顔を傾け、アランを見た。


「フランソワの死の謎だったな」


 アランは沖を見つめていた。眼帯をしていない片目、琥珀色の瞳がかすかに光を帯びる。


「……フランソワだけじゃない。あの男が何を思い、何をして、何を託したのか。——ようやく、風が掴めるかもしれない」


 風が帆を揺らし、波が船腹を叩く。水平線の先にあるものを見据えるようにアランは目を細めた。



 組織リー・ウェンの面々がサン・マロへ帰還したのは、それから間もなくのこと。アランとマルクとイヴォン、そしてワンとポーラン。彼らはその足で隠れ家へと戻り、互いに情報を持ち寄る。夢蛇が再び持ち込まれていたこと、密輸港の現状。そして、ヤンがピエール本人を確保したという事実。短い報告の応酬の中、椅子に縛りつけられたピエールの瞼が持ち上がり、焦点の定まらない視線が揺れて状況を理解した瞬間、表情が歪んだ。


「っ……!」


 ピエールは身体をよじり、縄を引きちぎろうとするが、幾重にも巻かれた縄はびくともしない。軋む音だけが部屋に響き、ヤンがピエールを前に微笑んだ。


「ああ、お目覚めですね」


 ピエールは歯を食いしばり、視線を巡らせる。囲まれている。コツコツと乾いた音が床を叩き、イヴォンが杖を突きながら前に出て、彼の影がピエールの顔に落ちる。


「久しぶりだな。あの時、俺にやったように遊ばれたいか?」


 かつての第八部隊員特有の冷ややかな脅し文句に、ピエールの目がわずかに揺れる。彼の隙を逃さずヤンが首を傾げた。


「あ、夢蛇でしたら……わたし達の方で預かっています。それと……あなたの正体も近々海軍に知られると思いますよ」


 ピエールの舌が乾いた音を立てて歯の裏を打った。


「チッ。とっくに知られてるっての」


 ——しまった。


 空気がぴんと張り詰め、アランの光を受けた琥珀の瞳がピエールを射抜いた。


「……だったら、今なら何でも話せるよな?」


 ピエールは荒く息を吐き、歯を食いしばって周囲を睨み返す。


「なんでも話すとは言ってねえ。上が黙ってない。……殺される」


 ティエンがやれやれと両手を上げた。


「上って……君のお兄さんでしょ? 安心しな、帰しはしないから」


 ピエールの思考が一瞬止まり、ティエンの顔をまじまじと見た。


 ……ブルボン本家の長男……? いや、似てるだけかもしれん。そう、只のそっくりさんだ。


「さて、本題に入りましょうか。ダラス家がなぜ夢蛇を密輸しているのか。……お聞かせください」


 ヤンが顔を覗き込むように言い、ピエールは舌打ちして顔を背けた。


「……オレは命令を受けてるだけ」

「その“命令”で戦争まで起きたんだろうが。あの戦争も貴様らが仕組んでたんだよな? 誤魔化すな」


 マルクが唸るように言い放つと、ピエールの肩がわずかに揺れた。そこへ、アランが口を開く。


「お前たちの目的が国家転覆だとは分かっている」


 逃げ道を一つずつ潰すような淡々とした断定にピエールの喉が鳴った。彼の背後でワンが呟き、ポーランが肩をすくめる。


「五鬼衆とかいう五人の海賊がいなければ、我々はダラス家の存在に辿り着けなかったな」

「っすね。特にニールさんには頭が上がらないっす」


 ピエールは荒い呼吸のまま縛られた両手をわずかに動かし、縄の感触を確かめるように背凭れの向こうで手首を擦る。


「……貴様らに話すくらいなら……」


 ピエールは吐き捨てるように言いながら指先をわずかに滑らせたが、指先に触れるはずの冷たい感触がなかった。


「……?」


 妙に軽い。空気が触れているような頼りない感覚にピエールの動きが止まった。


「……なんだ?」


 もう一度、確かめて手首をこすり、指でなぞる。

 

 ——ない。


 ピエールは反射的に背凭れの向こうへ腕を引き、無理やり振り返った。自分の左手首を捉える。金の腕輪が、決して外さなかった腕輪が消えている。


「……は?」


 ……誰が触った。


 ピエールの呼吸が急激に浅くなり、心臓が胸を内側から叩きつけるように暴れ始める。


「おい……どこだ、どこにやった、……返せ、返せよ……! 返せッ!!」


 ピエールが怒号を上げて身体をよじる様を見て、ニコラとティエンが部屋の隅で身を寄せ、マルクとイヴォンも思わず顔を見合わせた。東洋組とアランはあまりの怒声に目を細めるのみ。


「……ない、あれがない、じゃあオレは——」


 ピエールの喉の奥で何かが引きつる。彼の脳裏に浮かぶのは、もう一人の影。同じ顔、同じ血、何も与えられなかった方。


「……違う、違う……オレは、あいつじゃない……!」


 アランたちは言葉もなく見ていた。さっきまでの男とは別人だ。冷静で計算高く、余裕すら見せていた男の影はどこにもない、取り乱した人間だ。


「……なんだこいつ」


 マルクが呟くと、カルロータがしゃがみ込んでピエールの顔を覗き込んだ。


「なんか、辛そうだね」


 アランたちの視線が一斉に彼女へ向くが、カルロータは気にも留めず赤子をあやすように続ける。


「この際さ、洗いざらい話しちゃえば? ……楽になると思うよ」


 ——何を言ってるんだ、こいつは。


 アランの中で疑問が広がるも、ピエールの動きがピタリと止まった。荒かった呼吸がわずかに緩む。


「……楽に……?」


 ピエールの肩の力が抜けて椅子に沈み込むが、焦点の定まらないスレートグレーの瞳が空虚を掴む。


「いや、兄上に……」


 ピエールの口から意味を成さない断片が途切れ途切れに溢れ出し、アランが顔を顰める。


「……おい、これ……」

「想像以上ですね」


 ヤンがため息を吐き、カルロータだけが声音を和らげて語りかける。


「ほら……大丈夫、大丈夫。ちゃんと話せば、楽になるから」


 ディッキーはひょいと前に出るとピエールの前にしゃがみ込む。


「ねえ、返してって……なにを? 夢蛇?」


 ピエールの身体がびくりと震えて弱々しく呟く。


「……金の……腕輪……」

「……金、ね」


 ディッキーがゴソゴソと懐を探り始め、周囲が一瞬ざわつく。


 ——何をしている?


 ディッキーは淡く光を宿した琥珀の首飾りをひょいと持ち上げ、ピエールの目の前に掲げる。


「これ、どう?」


 ピエールは一瞬、目を瞬かせたが、その色を見た瞬間、脳裏に何かがよぎる。アンバーの瞳、こちらを見下ろす赤髪のジャスパー。


「……嫌だ」


 ピエールが顔を顰めると、ディッキーは首飾りを下ろして冷ややかな目線を向け、再び懐を探ると次に取り出したのはシトリンの指輪だった。ディッキーが黄金色の光を柔らかく反射する指輪を同じように差し出す。


「じゃあ、これは?」


 ピエールが吸い寄せられるように指輪を凝視し、ディッキーはため息を吐いて囁く。


「ちゃんとお話しできたらあげる」


 ピエールの顔に安堵の色が差すとアランは思わず呼吸をやめた。


 ……それでいいのか。いや、通用するのかそれ。


 カルロータが深いため息を吐いた。


「あんたねえ……性懲りもなく宝石持ち歩くなって言ってんの」

「えへへ。つい、お守りとしてね」

「お守りは一個でいいでしょ」


 ディッキーが無邪気に笑い、カルロータは眉を寄せた。二人のやり取りを前にニコラがぽつりと呟く。


「……やっぱり、トルチュ島で暮らしてた人は違うなあ」


 ディッキーが窓辺の机で指輪を磨く間に、ヤンがピエールの前に立ちはだかった。


「……それで、なぜ夢蛇を?」

「待て貴様。穏やかなツラしてあまり急かすな」


 アランが横入りしながらピエールの様子を一瞥する。二人の視線を受けながらピエールは掠れた声を凝らす。


「……あれは、うちの稼業だ」

「稼業……?」


 ヤンが低く繰り返し、ピエールは視線を落としたまま続ける。


「と言っても、夢蛇自体は……ここ一年くらいに仕入れてきたもの。資金集めのために……裏でやってきたビジネスだ。それまでは……オレたちは、裏社会で出稼ぎしてた。兄上……シルヴェストルが東方から夢蛇を仕入れてくるまで」


 ピエールの意識が過去へと沈む。



 薄暗い室内で香が焚かれ、甘くどこか腐ったような匂いが漂っている。テーブルの上に置かれた小さな容器、中で淡く揺れる液体をピエールとドミニクが凝視していると、シルヴェストルが口を開く。


「試してみろ」

「へえ……これが?」


 ドミニクが口に運ぶと笑みが歪んで視線が揺れる。笑っているのに、目が笑っていない。どこか遠くを見ている。自分が薄れていく感覚に気づき始めていた。


「……はは、なんだこれ……」


 ピエールも口にした瞬間、視界が歪んで金色の光が蛇のように蠢き、耳元で誰でもない声が命令を囁く。


 ——従え。役割を果たせ。


 腕輪が焼けるように熱を帯びた気がしてピエールは歯を食いしばるが、耳元に落ちる声は止まらず、内側から押し付けてくる。シルヴェストルは自分では口にせず、天に昇る煙を見つめていた。アイスグレーの瞳の奥が煌めいて弟たちを見下ろす。


「この薬は、貴族にとっての“真実の鏡”になる。秘密を吐かせ、弱みを握り、支配する。……最高の装置だ」



 意識がサン・マロの密室へと引き戻され、ピエールは浅く息を吐いた。


「……それからだ。オレたちは夢蛇を密輸して……社交界に香として流した」

「なるほど。数ヶ月前に貴族社会で香水ブームが巻き起こったきっかけか」


 ワンが呟くと重苦しい沈黙が室内に沈み、この空気を裂くようにマルクが低い声で発する。


「夢蛇も戦争も、なぜそこまでして国家転覆を狙う」


 ピエールは俯いたまま笑う。


「すべては一族の使命のため。父上が育ててくれた。長男には政治、次男には営業、オレには影の仕事を。それがダラス家の秩序だ」

「……父親。ずいぶんと歪な奴だな」


 アランが眉を顰めるとピエールの目つきが鋭く歪んだ。


「父上を愚弄するな。オレたちは……そう生きるしかなかった。一族の誇りと使命が生き甲斐だ」


 その瞬間、ピエールの脳裏に鱗の肌が浮かんだ。イヴォンがアランへ視線を向ける。


「満足か?」


 アランは険しい表情で視線を落とし、顔を上げて掠れた声を漏らす。


「……まだある」

「……え?」


 マルクが思わず間の抜けた声を発し、ティエンも反射的に顔を上げる。


「まだ!?」


 アランはピエールを睨んで呟く。


「明らかになっていないことが二つある」

「ちょっと待って……」

「こわいこわいこわい」


 カルロータが肩をすくめ、ディッキーもぶんぶんと首を振る。ヤンが目を細めてピエールへと目を向けた。


「たしかに点と点は繋がっていますが……この男の口から真実として聞きたいですねえ」


 ワンが頷き、ポーランも「っすね」と同意する。彼らを順に見たアランがわずかに目を細めた。


「やはり、リー・ウェンとしても聞き逃せない事案があるか。……率直に聞こう。黒辰封儀教団とは今も絡んでいるか」


 アランの視線がピエールに突き刺さる。ピエールは一瞬だけ沈黙し、次いで乾いた笑みを漏らした。


「絡んでるなんてもんじゃねえ、役割分担だ。攫うのはこっち、教団は選別と利用。予言だの星だの、くだらねえ理由つけてな。報酬はきっちり貰ってたらしいぜ。ガキ一人につき、な」


 ヤンが懐から手帳を取り出して開く。


「黒辰封儀教団。貴族の子どもを自らの支配下に置き、教育する組織。目的は予言の星の制御。星に値しそうな子供を事前に囲い込み、暴走を防ぐ。……あるいは利用する。エドガー・ロジャースもかつて選別対象だった。……違いますか?」


 ピエールは鼻で笑った。


「そこまで掴んでるなら、話が早い。そうだ、あいつはエラー品。……で、オレの私兵たちも元はそっちの余り物。選別から漏れた連中、使い道のねえガキを引き取って再利用してただけだ。……あのマクシミリアン・ブーケ隊とやらに全部、潰されたがな」


 ピエールが歯を食いしばる瞬間、アランが眉を顰めた。


「私兵の話はいい。今の教団はどうしてる」

「今の教団? ああ……権威はガタ落ちだよ。というのも、ゼフィランサスのせいで商品が来なくなった。子供の流通が止まれば、教団はただの空っぽの器だ。結果、父上が導師を務めたのをきっかけに、教団はダラス家の配下に入った。今は次男、ドミニクが導師を務めてる」


 息苦しいほどの静寂の中でニコラが震える声で口にする。


「……ゼフィランサス」


 伝説、あるいは災厄。彼の指先が震えているのを見て、ティエンが彼の肩にそっと手を置いた。


「……大丈夫」


 イヴォンが息を吐いて低く唸る。


「まさか、その男の名が出るとはな」


 ティエンはアランの背を見つめながら問いかける。


「……もう一つは?」


 アランは瞼を下ろして意識を沈めた。アルマ、ゼフィランサスの妻。それにダラスの兄弟はジャスパーを知っている。いや、違う。ゼフィランサスの息子であると知っている。もっと探る必要はあるが、ここでは聞けない。そして、アランの脳裏に別の光景が浮かんだ。


 ——血に塗れた少年。あの日、ゼフィランサスが船に連れ帰ってきたルキフェル。あの時は分からなかった。なぜ、あの男があの少年を連れてきたのか。だが、今なら分かる。ルキフェルは、ダラス家によるビジネスの被害者だ。


 ——あの夜。ゼフィールは、人攫いからルキフェルを奪い返した。


 アランは目を開けてピエールに冷ややかな視線を向ける。


「……この場は相応しくない」


 アランは仲間たちへと視線を巡らせて声を張った。


「船を出す。今回は……だいぶ遠出になるぞ」

「あ、え?」

「うそん」


 ニコラとティエンがほぼ同時に声を上げると、ヤンがアランを流し目に問いかける。


「どちらへ?」


 アランの眉間を皺が解けると、琥珀色の片目が澄んだ。


「——エル・イエロ島だ。多民族集団、ゼフィランサスの故郷。そこで会わなければならない奴がいる」


 仲間たちの視線が一瞬交錯するが、イヴォンとマルクが肩をすくめる。


「……はぁ」

「とんでもない遠征だな」


 カルロータとディッキーは顔を見合わせて震えている。


「こわいこわいこわい……」

「でも、行くんだよねこれ……」


 ワンとポーランは無言で頷き、ヤンは目を細めて笑みを浮かべた。


「なるほど。面白くなってきましたねえ」


 ここから先はもう引き返せない。アランは窓の外、遠くに見える水平線を見つめた。

 長らく帰ってない孤島、西の果てを頭の中で思い描きながら。

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