第三章② 五人組とダミアン
セドリックの自室。ダミアンは椅子に縛りつけられていた。両腕を後ろに回され、逃げ場はない。目の前にルキフェルの影が落ちる。
「さて、話してもらおうか」
ダミアンは息を呑んで視線を巡らせた。右、左、後ろ、前。——五人、指名手配書で見た顔、あの五鬼衆の冷たい視線が四方から突き刺さる。
……無理、無理無理無理無理。兄上たちの方が怖い。
ダミアンの喉がひりつき、心臓が嫌な音を立てている。逃げたいが、逃げられない。それ以上にドミニクの顔が脳裏に浮かぶ。
「……しょうがないなあ、ピエールの演技をして潜り込め」
命令は絶対、すべては最初から決まっていた。自分がピエールと間違われることも、こうして捕まることも、その上で演じろと。
……でも、どうやって……?
ダミアンの喉が小さく鳴り、スレートグレーより淡く色素の薄い瞳が揺れる。
……無理だよ。ボク、外の人と……。
手は縛られている、目の前には五人、背後には命令。どちらも逃げられない。それでも、やるしかない。ダミアンが顔を上げた途端、ジャスパーが彼の足元に置かれている手提げカバンに手を伸ばし、遠慮なくゴソゴソと漁る。
「ちょっと失礼っと」
「おい」
ルキフェルが一応声をかけるが、ジャスパーが革張りの書物を引き抜くと掲げる。
「これ、なに?」
……え、そこ聞くの?
ダミアンは目を丸くしたまま凍りついた。想定していない、尋問されるならもっと別のことじゃないか。名前とか目的とか所属とか、なのにいきなりそれ。答えが用意されていない、どうしよう。ダミアンが額から汗を流すとジャスパーが肩をすくめてぱらぱらとページをめくる。
「……反応なしか。使えねえな、これ。読めねえし。うーん……」
ジャスパーは知らない文字と見たこともない形を眺めていたが、すぐに興味を失うと雑に閉じて元のカバンへ戻した。
「はい、いらね」
ダミアンの心臓がドクリと鳴っ他。さっきとは別の意味で怖い。この人たち、何を聞いてくるのか分からない。読めない、予測できない。今度はニールが落ち着いた声で口を開く。
「じゃあ、僕から。君、なんでこの街にいるのかな」
「……っ」
ダミアンの肩がびくりと揺れる。こっちだ、これは想定内。答えなきゃいけないやつ。
「め、命令……受けただけ……」
「……なんの?」
ダミアンが声を震わせると、すぐさまルキフェルが重ねてくる。
「それ、は——」
ダミアンが慌てて言葉を探した瞬間、マテオが口を挟んできだ。
「あのな。オレたち、他に用があんの。ここに時間かけられるほど暇じゃねえんだわ。舐めんなよ」
「……っ」
ダミアンの息が詰まって言葉が引っ込んだ。彼らの様子を少し離れたところから見ていたコリンは首を傾げた。
……あれ? こんな人だったっけ。こんな感じだった気もするけど……なんかブレブレだなあ。
以前見たピエールの印象と、目の前にいるピエール。似ているが、どこか違う。態度も目も声も揺れている。コリンは思わず眉を顰めると、ジャスパーがわざとらしく肩をすくめる。
「あれあれー? 戦時中はあんな強気だったのに、ずいぶん塩らしいじゃん。てか泣きそーになってる?」
ジャスパーがケタケタと笑い声を漏らし、ダミアンは額からダラダラと汗を流した。セドリックは手にしていた手紙から顔を上げ、ダミアンをまっすぐに見据える。
「誤魔化しは通用せんぞ。お前たちの動きは海軍も把握している」
「……!」
ダミアンはもちろん、五人の視線が一斉にセドリックに向く。セドリックは机の上に手を伸ばし、無造作に放り出されていた紙束の中から一枚を抜き取り、ダミアンの前へと突き出す。
「これを見ろ」
海軍の正式な調査書類、ベルリオーズから送られてきたもの。そこに描かれているのは自分と同じ顔——ピエールの似顔絵だった。ダミアンの呼吸が止まり、五人も調査書類を覗き込むとコリンが口を開く。
「……ちゃんと調べてんじゃん、海軍」
「ダラス家の関与まで突き止めてる……」
ニールが低く呟いた瞬間、ジャスパーが軽く言った。
「え、じゃあ話早いじゃん。こいつ、引き渡そうぜ」
「……指名手配犯が?」
ルキフェルの声にジャスパーが固まる。
「あ。……はい」
セドリックは彼らのやり取りにため息を漏らし、再びダミアンへと視線を戻して観察する。
「……金の腕輪はしていないな。顔は似顔絵の通り」
ダミアンの表情が強張り、セドリックは目を細めた。
「貴族社会じゃ、遊び呆けてる三男……まさか国家転覆のために暗躍していたとはな」
ダミアンの頭の中ではすっかり迷路が張り巡らされていた。
……ダラス家の存在が、海軍に知られてる? 知らなかった。そんな話は聞いていない。兄上たちも想定してなかったんじゃ……。それにピエールの顔も割れてる。任務としては好都合だけど、この先どうすれば……。
ダミアンの中で混乱が膨らんで呼吸が浅くなる。ルキフェルは彼を振り返るなり目を細めた。乱れている、焦っている。嘘をつく余裕がない。ルキフェルが顔を顰める横で、セドリックが口を開く。
「それと、俺からも聞きたいことがある。フランソワが死んだ時のことだ」
「……っ」
ダミアンの肩がびくりと揺れ、セドリックは一度ルキフェルへ視線を向けた。
「アランから手紙が届いたぞ。君たちが過去にダラス家と接触したと聞いている」
セドリックは再びダミアンへ視線を戻す。
「そのあと、フランソワは死んだ。表向きは海軍との戦闘の末に追い詰められた、と。けど、あいつが簡単に負けるわけがない。無謀な戦いを選ぶ男でもない。……仕向けたのは、お前たちか?」
セドリックの問いが鋭く突き刺さり、ダミアンの喉がひゅっと鳴る。
「……フランソワの件……あれは、誘導された結果です」
ダミアンが絞り出すように言うと、六人の視線が一斉に強くなる。ダミアンは順序がぐちゃグチャのまま言葉を繋ぐ。
「……あの人、たぶん……強いですよね。兄上たちは……賢いけど、正面からいく人たちじゃないから……ボク、これ以上言うと……」
ダミアンの言葉が途切れて沈黙が落ち、セドリックが囁くように言った。
「……やっぱりな、あいつは負けたんじゃない。——嵌められた」
ルキフェルの指先がわずかに震えて拳が握られる。
……こいつ、今すぐぶん殴りたい。叩き潰したい。全部、吐かせたい。
理解と同時に感情が噴き上がり、衝動が喉元までせり上がって内側で獣が腰を上げた時、彼の脳裏に夜の海とリュウの声が過る。
——力は調和してこそ意味がある。
「……っ」
ルキフェルはゆっくりと息を吸って吐き、もう一度深く潜ると拳の力を緩めて衝動を押し殺す。——今は違う。ルキフェルが瞼をギュッと閉じて恐る恐る開くと、透き通った翡翠の瞳があの日の波と同じく穏やかさを湛えていた。コリンが仲間たちを見渡しながら躊躇いがちに口を開く。
「この人……なんか、ぼくたちの知ってるピエールじゃない気がする」
「……うん、それは思った。もっとこう……狡猾な男だった気がするんだけど」
ニールの視線がダミアンに向く。
「演技だろ。油断ならねえぞ、こいつは」
マテオが即座に切り捨て、ジャスパーも俯いてため息を吐く。
「そうそう。この場を乗り切ろうって算段だろ。それに……まだ、なんかある気がする」
ルキフェルがジャスパーをチラ見して問う。
「……なんでだ」
「勘だ」
「……じゃあ、そうなんだろうな」
「お前らのそれ、久々に見たぜ」
マテオが鼻で笑い、ルキフェルは咳払いをした。ジャスパーが「え、採用されんの?」と言いながら瞬きをしていると、セドリックはすでに机に向かって羽ペンを取り、紙に何かを書き始めてた。コリンが彼の隣に並んで覗き込む。
「どうしたの?」
「息子への報告だ。海軍がピエール・ダラスを探してる、情報がほしいって手紙が来てな」
「……あっ。ここへ来る途中、カラスが運んできたやつか」
コリンが思い出したように言うとセドリックが頷く。ルキフェルがやれやれといった具合に息を吐く。
「それにしても海軍もやるじゃないか。今回ばかりはやたら動きが早い」
「遠回しにディスってるよね、それ」
ニールがぼそりと突っ込むとマテオがセドリックに目を向けた。
「悪いけどさ。手紙送るの、やめてくんねえか?」
セドリックの手が止めると即座に立ち上がって感情を一気に噴き出した。
「息子が毒殺未遂されたんだぞ!? 黙ってられるか!」
ルキフェルとジャスパーが互いに顔を見合わせる。
……出たよ、親バカ。
マテオは一歩も引かずダミアンを一瞥する。
「オレたちの獲物だぞ。こいつから聞きたいことは山ほどある。海軍に明け渡すわけにはいかねえ」
……黒辰封儀教団。ダラス家とどう繋がっているのか聞き出さねえと。
マテオの脳裏にあの連中が浮かぶ。今どうなっているのか、個人的な焦りがわずかに滲む。ニールがダミアンへと視線を落とした。生まれたての子山羊みたいに震えている。
「……たしかに。今ここで全部聞き出せる状況じゃないみたい」
ニールの現実的な判断に場の熱を少しだけ落とす。五人の視線がじっとセドリックに集まると、セドリックは黒い羽ペンの羽毛部分を口元に当てた。
「……しょうがないな。そんなに見られたら折れちゃうよ。今この場で本当に折ってもいいけど」
セドリックは羽ペンを指先で回してインク壺に戻すと机の書類に手を伸ばす。
「そうそう、エドガーの司法解剖記録も同封されてた。それと……手紙にはタトゥーについても聞かれてたな」
セドリックが一枚の紙をひらりと掲げる。紙面に記されていたのは左腕に黒い星のタトゥーあり、という記述。
「あ、黒辰封儀教団の所有物の証だ。エドガーから聞いた」
ルキフェルが目を細め、セドリックは考え込むように口を噤むと苦笑した。
「……そうかい。それも、もう知ってたのか」
ルキフェルはダミアンを振り返った。
「ダラス家と教団の関係も、まだよく分かってないままだ。こいつから全部吐かせる」
セドリックが目を細めて両手を上げた。
「わかった、わかった。じゃあ君たちが連れていけ。教団については俺の方で調べる。国家からの依頼だからなあ……君たちは気をつけて、次の旅に行ってこい」
ルキフェルはセドリックに向き直った。
「……助かった」
セドリックがニヤリと笑う。
「礼は言わないのかと思った」
「言っただろ、今」
「それ一言だけかよ」
「十分だろ」
ルキフェルが顔を顰めるも、一度俯いて息を吐いてからセドリックに笑みを見せた。
「……じゃあな」
「ああ」
マテオは二人のやり取りから目を逸らして顔を曇らせた。
……海軍が教団を調べる。簡単に触れていいもんじゃねえ。下手に動けば、どうなるか。——この件は、まだ終わっていない。
モンレザール家の屋敷を出ると、五人組と捕虜となったダミアンは人の少ない道を選んで港へと戻った。街はすっかり寝静まっている。誰もがこれから向かう場所のことを考えていた。そして、まだ見えていない何かのことも。やがて、停泊しているアーシャ海賊団の船影を発見する。補給はまだ終わっていないらしい、甲板には人影と灯りがまばらだ。
「しばらく、ここで身を隠すことになるね」
「ああ」
ニールがぽつりと呟き、ルキフェルは手短に答えた。彼の視線はすでに海の向こうへ向けられている。
——エル・イエロ島、レオンがそこで生きているかもしれない。
ダミアンは縄に繋がれたままついていった。逃げる気力もすっかり失せた。
夜の海はどこまでも穏やかで、だからこそ不気味だった。




