第十章③ 五人組
サン・マロ。冬の風が凍てつく中、かつてフランソワ海賊団が根城としていた入江にはアーシャとフェリス率いる第八船団改めアーシャ海賊団の小型ガレオン船が停泊していた。波は低く、規則的に岸を叩いている。桟橋の上で五人組は思い思いの姿勢で海を眺めていた。戦いの熱も怒号もすでに遠いものになっているが、余韻だけが身体の奥に残って離れなかった。マテオが足元の小石を拾い、無造作に水面へ投げると石は一度も跳ねることなく沈んだ。
「……で、どうするよ」
「さあ」
ジャスパーがどこか投げやりに言い、ニールが短く答える。答えになっていない返事だったが、それ以上の言葉は出てこない。
「オレたちは指名手配されて、すっかり悪者だ。……腹立つ」
吐き捨てるように言ったマテオの声も、怒りというよりは疲労に近かった。ルキフェルとコリンは少し離れた場所で桟橋に腰を下ろし、足を投げ出していた。波の動きに合わせて木板がかすかに軋む。やがて、ルキフェルが重々しく口を開く。
「……あれが正しかったとしても、結局俺はベルナルドを奪われたって建前でまた暴れた。今回も……怒りに溺れて。俺は生き延びるために……守るために強くなったはずだったのに」
ルキフェルの言葉の最後は波音に溶け、拳が太ももの上で強く握られる。
「心に潜んでいるんだ。……獣が。フランソワが死んでから、ずっといる」
コリンは空を見上げた。冬の空は高く、雲はほとんどない。
「向き合っていくしかないんだろうね」
ルキフェルはコリンの一言を受けて俯いた。波が光もせずに揺蕩っている。見ているだけでどこかに吸い込まれそうだ。その時、ルキフェルの背後からマテオが不貞腐れたように声を投げてくる。
「で、これからどうするんだよ」
「……知らん」
ルキフェルがぶっきらぼうに返すと、ニールが指を一本立てて声を張った。
「じゃあ、また再開しようか? ——記憶探し」
ルキフェルは思わず顔を上げ、水平線の向こうに朧げな記憶を探すように目を向けた。
「……いいな」
ルキフェルが口元を緩めた時、コリンが「あっ」と声を上げて彼を見上げた。
「アランさんの話!」
「アラン? あの人がどうした」
ルキフェルがコリンに目を向けると、コリンは目つきを鋭くさせた。
「あの人、ゼフィランサス海賊団の一員だった!」
冬の空気が一段と冷え、ジャスパー達が宇宙の真理に触れた猫のような顔をしている中でルキフェルは溜め息を吐いた。
「……やっぱり、そうなるよな」
記憶にある名付け親、ゼフィランサス本人が船長だったならアランも自ずとあの船の一員だと察知できる。その事実自体は以前から頭の片隅にはあったが、フランソワとリュウと同様にどこかで認めたくなくて知らんふりしていた。ルキフェルはコリンをチラ見して恐る恐る口を開く。
「アラン、昔のこと何か言っていたか」
コリンは目を伏せてから首を横に振った。
「フランソワ船団のこと。でも……ゼフィランサスについては教えてくれなかった」
「……そうか」
ルキフェルが目を伏せるとコリンはすぐさま目を輝かせて声を張りあげる。
「でもあの人、絶対何か知ってる。ルキフェルのこと何か隠してるんだよ、間違いない!」
ジャスパーが肩をすくめながら二人の間から覗き込む。
「アランさん、探すか?」
「いやあ、無理でしょ。あの人、口硬いよ」
ニールが穏やかな口調で言い、桟橋の端に腰を下ろした。マテオが腕を組んで言い放つ。
「ったく、ゼフィランサスが怪しいのかルカが怪しいのか、分かんねえな」
「おい、冗談に聞こえないぞ」
ルキフェルが噛み付くように声を荒げて振り返るも、マテオは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。コリンが桟橋に寝転がって空を見上げる。
「困ったなあ、アランさんが喋ってくれれば即解決できそうなのに」
ニールはルキフェルの横顔をじっと見つめながら口を開く。
「……会ってみる?」
ルキフェルは再び海面に目を落とすと、不意にマクシムの言葉——双星の海戦という言葉が蘇った。あの戦争の光景とどこか重なる。この広い海の上では大きな戦いが幾つも繰り広げられた。あのブレストでの戦争はもちろん、双星の海戦も。ゼフィランサスは死んで、アランは生き延びた。自ら生を掴んだのか、生かされたのかまではわからない。
「……全てを話す気になれないんだろう。——古傷は、時々痛むから」
ルキフェルの独り言に仲間達は思わず口を閉ざし、ルキフェルは凍空を見上げて目を細くした。昼間なのに厚い雪雲が空を覆って一日を暗くし、あの雲の下で鳥の群れが颯爽と横断していく。
人は地上での役目を終えると天に昇ると聞いた。果たして海賊も同じだろうか。この国にとって海賊は罪人だ。もし魂が解放されたら、断罪の法律や理念も超えるのだろうか。海賊だった者も鎖から放たれて自由の翼を得て無限に飛べるのか。それとも、船とともに海の底へと沈んでいくか。
……そういえば、ゼフィランサスの船でも寂しい時はこうして空を見上げていた。
心に空虚が生じた時、隣でいつも誰かが声をかけてくれた。フランソワだったり、リュウだったり。ある時は——。ルキフェルは思わず目を見開いて水平線に目を向けた。アランと過ごした、あのクォーターマスターの部屋での記憶が鮮烈に蘇る。アランが手にした帳簿と契約書、それから彼の言葉。
この海には……まだ沈んでいない者がいる。
ルキフェルが突如として立ち上がって仲間達を見回した。彼の真剣を帯びた瞳を見て、ジャスパーが首を傾げる。
「どうしたの」
コリンが身を起こし、ニールとマテオが言葉を待っているとルキフェルは一度目を伏せてから切り出す。
「——エル・イエロ島に行こう。確かめたいことがある」
ニールが弾かれたように立ち上がり、ジャスパーはルキフェルの両肩を掴んだ。
「待て待て、フランスを離れるってことか?」
マテオが水色の瞳を鋭くさせてルキフェルを見据える。
「ルカ、お前忘れたか? お前は島出身ですらない可能性があるんだぞ。なんでわざわざ赴く必要がある」
「覚えているさ。さっき、皆でおさらいしたんだから」
ルキフェルがため息混じりに言うと、ニールが顔を顰める。
「だったらどうして……」
コリンがのそりと立ち上がる横でルキフェルは仲間を順番に見ながら語る。
「会いたい人がいるんだ。その人は船医で、俺を治療してくれた。アランが語れないなら、その人に会いにいけばいい。『エル・イエロ島に着くまで』が契約だってアランが言ったんだ。……エル・イエロ島に、今も生きているなら絶対そこにいる」
ルキフェルが熱っぽく語り終えると、四人の間にしばし沈黙が落ちた。やがて、ジャスパーが鼻を鳴らして切り出す。
「……そこまで言うなら、おれたちはついていくだけだ」
マテオとコリンも頷くと、ルキフェルはニールに目を向けた。
「ゼフィランサスの羅針盤はどこだ?」
「セドリックの元にある。場所は、マルセイユだよ」
「だったら、決まりだ。マルセイユへ向かおう」
ルキフェルは振り返って水平線に目を凝らした。
——レオン。今、そっちに行く。
彼の背後で、仲間はもう動き出していた。マテオは桟橋を踏みしめながら肩を回す。
「んで、いつだって問題は“今”だろ。この先、逃亡生活が待ってるわけだしな」
ルキフェルは答えず、ただ水平線を見つめた。マクシムとの約束、あいつと再び相まみえる前に。少なくとも、二月十八日まで生き延びなければならない。ベルナルドへの筋は通したはずだ。ならば、今度は自分の番。ルキフェルは頭の中でフランス全土とイベリア半島の地図を思い描いた後、仲間達を振り返って声を張りあげる。
「もう一つ、立ち寄りたいところがある」
「ん、なになにー?」
ジャスパーが気軽に言いながら振り返ると、マテオとコリンとニールも足を止めた。ルキフェルはしばし俯いて沈黙した後、躊躇いがちに口を開いた。
「——メノルカ。地中海に浮かぶ島だ。ゼフィランサス海賊団を降りた後……フランソワと剣の師匠でしばらく暮らしていた場所なんだ。そこに行けば……また何か思い出すかもしれない」
ニールが目を輝かせて頷く。
「なるほど。思い出の土地を巡るわけだね」
「おもしれえじゃん。またやろうぜ、記憶探し」
ジャスパーが笑い、マテオが拳を鳴らした。
「じゃ、早速準備だな」
ルキフェルは腰に巻いたサッシュを靡かせながら歩き出すとコリンと肩を並べた。
「記憶探しというより、自分探しだよね」
「ああ。今度こそ、誰にも邪魔はさせない」
ルキフェルは最後にもう一度海を見た。揺れる水平線の向こう、まだ見ぬ記憶とまだ終わらない因縁が待っている。ルキフェルは胸に手を当てると瞼を閉じた。瞼の裏、胸の奥では狼のようなものの気配が寝息を立てている。
「獣になんか負けない。——今度こそ、俺でいられるように」
五人は桟橋を後にし、空っ風が彼らの背を押すように吹き抜けた。
長き戦争の果てに、彼らは旅する者として歩き出す。
——どんな結末へと続く道であろうとも、この航路は見失わせない。
——物語は、第八巻へと続く。




