↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
報復の航路【第二作 ルー・ブレス】7・8巻「真相編」  作者: セキユズル
第七章「……剣よりペンの方が強い。そうだった。これが……私の得意分野でした」
24/63

第七章④ 海賊同盟VSフランス海軍 第三回戦《砲撃〜白兵戦》

 夜明け前、空はまだ群青に沈んで海だけがかすかに青を帯びていた。沖合いで五十隻の影がブレストへと迫る。その最前列、波を切り裂くように進む数隻の海賊船が距離を詰めていく。甲板では誰も無駄口を叩かないでいると、遠くから声が届いた気がしてブレスト城の砲撃陣地から光が点滅するように火が吹いた


「……ッ!?」

「伏せろォッ!!」


 轟音が空気を裂いて叫びと同時に海面が爆ぜて水柱が立ち上がり、一瞬遅れて甲板が揺れる。


「撃ってきやがった!」

「距離はまだあるはずだろ!?」

「関係ねぇ、当てに来てる!」


 怒号が飛び交い、次の砲弾がすぐに飛来すると板をえぐって破片が散り、帆が裂ける。


「くそっ、前に出すぎた!」

「回頭だ! 右舷向けろ!」


 最前線の海賊船が舵を切り、大きく傾いて海を削るように向きを変える。


「砲門開けろ!」

「火薬詰めろ、急げ!!」


 兵たちが走って滑り、互いにぶつかる。砲門が一斉に開いて鉄の口が並ぶと誰かが揺れる視界の中で砲撃陣地との距離を測る。


「まだだ、引きつけろ……今だ!!」


 砲声が海を震わせ、砲撃の反動が海賊たちの腕を打ち抜く。海賊同盟の後方、リヴェンジ・クイーンの甲板の上ではニールとジャスパー、それからマテオとコリンが並んで最前線で立ち上る水柱と煙を眺めていた。砲声が遠くで鳴り続けている。


「……よし」

「まずは、しばらく待機だね」


 ニールは淡々とした声で言い、青い目は戦場を正確に捉えている。マテオが鼻を鳴らしてジャスパーは帽子を深く被り直した。


「前線、いい感じに削られてるな」

「……始まった」


 コリンが小さく笑う。


「うん。予定通り」

「行こうか」


 ニールが踵を返して言うと彼らは揃って船内への階段へ向かい、砲声を背に煙と血の匂いを残したまま黒船の甲板から姿を消した。戦いはまだ始まったばかりだ。



 一方、フランス海軍側。マクシミリアン隊が砲台へ駆け上がった時にはすでに海岸線は火と煙と破片に呑まれていた。海軍が先手を打ったことで前衛の海賊船は明らかに乱れ、舳先を砕かれ、帆柱を折られ、沈みゆく船すら出ていたが、海賊同盟は怯まなかった。

 海賊側は押し寄せる砲撃に対してすぐさま隊列を組み直し、前方の損耗など最初から織り込み済みであったかのように次の船がぬっと前へ出てくる。


 マクシムたちも砲撃に加わった。砲台の角度を調整し、砲弾を運び、火縄を握る。ペネロペの指摘で船底狙いへ切り替えると精密な射撃は覿面に効いた。波間を裂いて放たれた砲弾が海賊船の下腹を打ち抜き、船体は巨獣のように傾いて沈んでいく。グウェナエルの号令に合わせ、マクシミリアン隊は他部隊と呼吸を揃えて海岸線ぎりぎりまで砲台を押し出し、沈めて退けて、また次を狙った。それでも数が多すぎた。沈んだ船の後ろからまた別の船が出てくる。前線の海賊船を削っても削っても、海の向こうにはなお黒い帆と船体が幾重にも揺れていた。しかも、リヴェンジ・クイーンは動かない。あの不気味な巨艦だけは砲煙の向こうで一歩も前に出ず、じっとこちらを見ているようだ。


 そんな事態の中、砲撃陣地の後方から場違いなほど明るい声が飛んでくる。


「道を開けてくださーい! 新型兵器搬入しまーす!」


 砲撃の最中だというのに、どこか浮ついた調子の声だった。ブレストの士官たちが振り返れば、見知らぬ部隊員たちが荷車や担架のようなものに分解された機材を載せ、慌ただしく海岸線へ走ってきている。煤や火薬の匂いの中に、妙に整った工具箱や布で巻かれた金属部品が混じっていて、いかにも研究室上がりの匂いがした。胸を張ってそう名乗った第六隊員はどこか誇らしげだ。


「第六艦艇部隊です! トゥーロン司令部より増援に参りました! ずいぶん前にブレスト司令部から増援依頼が来てましてね! せっかくなので、リュウ・ヨシマサ殿監修の新型兵器二種も実戦投入できるよう急ぎ仕上げてきたんです!」

「せっかくなので、じゃねえだろ……」


 近くの海軍員が思わず引いた声を漏らすが、第六の面々は気にしない。砲撃が飛び交う中ですら彼らは目を輝かせ、荷を解いて図面を開き、砲台の据え付け場所をああでもないこうでもないと指差している。


「いやあ、間に合ってよかった! 震撃砲の初陣ですよ、初陣!」

「連結剣《スリングブレード》も持ってきてますけど、まずは砲の方ですね!」

「このために徹夜で薬室の圧縮率を再計算しまして——」


 リゼーヌは少し離れた場所から第六の隊員たちを眺めていた。彼女の目には呆れと懐かしさが混じっている。


「……相変わらずな人たち」

「知ってるの?」


 スザンヌが問うとリゼーヌは眉をひそめたまま頷く。


「前にいたの、第六。……技術屋っていうより半分趣味の人たち」


 実際、第六の隊員たちの手は早かった。困惑する前線兵を横に荷台から新型兵器を運び出し、配置し、照準の取り方や注意点を一気に説明していく。その勢いに押されるように、マクシムたちも自然と協力に回っていた。やがて、震撃砲が据えられる。異様な存在感だ、普通の砲とは違う。砲身は短く太く、機構の一部には見慣れない東洋式の留め具や薬室が仕込まれている。まるで兵器というより、猛獣の頭蓋でも組み上げたような不気味な重さがあった。


「……射撃に自信のある方はいませんか?」


 第六の隊員がそう言った時、ジョルジュが手を挙げた。


「ボクがやります」


 マクシムは彼の横顔を見た。砲煙と潮風に濡れた顔は若いのに目だけが妙に静かだった。発射の瞬間は一瞬すぎた。導火線が閃き、砲腔の奥が赤く膨れ上がったかと思えば空気そのものが殴りつけられたような轟音。弾丸というより見えない塊が海面を薙ぎ払って、海が裂ける。一直線に立ち上がった水飛沫の向こうで、海賊船の先頭が不自然に沈み込んだ。砲列がまとめて吹き飛び、甲板の上にいた海賊たちが何に打たれたのかも分からぬまま転げ落ち、帆桁は途中からへし折れ、舷側の木材は内側から破裂したように弾け飛んだ。


「な、何だ今のは!?」

「砲弾じゃねえ! 空気が……!」

「舷側が! 砲列が全部——」


 海賊船の上では一気に混乱が広がった。倒れた者たちは耳を押さえ、立ち上がろうとしてまた崩れる。船を直接撃ち抜かれたというより、見えない巨腕で横殴りにされたような有様だ。砲手たちは吹き飛ばされ、再装填どころではない。衝撃で転がった火薬樽が割れ、怒号が甲板を埋める。周囲の海賊船にもその動揺は伝染した。


「今のを見たか!?」

「黒船の奴らじゃねえぞ、海岸からだ!」

「そんな砲、聞いてねえ!」

「距離を取れ! いや、隊列を崩すな!」

「どっちだよ!」


 甲板上で命令が飛ぶが、海の上の混乱は陸よりも速く広がる。前方の船が一撃で半壊したことで、後続は進むべきか退くべきかの判断を奪われたのだ。船首同士が危うくぶつかりかけ、舵を切った船が隣の帆をかすめ、悲鳴と罵声が立て続けに上がる。ブレスト城側では第六の面々が一瞬だけ子供のように沸いた。


「やったぞ!」

「成功だ!」

「圧縮率、正解だった!」

「東洋式衝撃圧縮法、本物だあ!」


 だがその歓声はすぐに第二波の砲撃で掻き消された。


「まずい、来るぞ!」


 シャルルの叫びの直後、海賊側の反撃が降ってきた。砂と水飛沫と石片が一気に頭上から降り注ぎ、さっきまで浮かれていた第六の隊員たちも顔色を変えて兵器にしがみつく。以降の砲撃戦はさらに混沌を増した。震撃砲の再装填。通常砲台の運用。沈む船、前に出てくる船、崩れる砲台、退避する負傷兵。マクシミリアン隊と第六艦艇部隊は奇妙な即席連携を築きながら前線を支え続けた。リヴェンジ・クイーンだけはなお後方で沈黙し、前線の海賊船群だけが削られながら押し寄せてくる。それがかえって不気味だった。マクシムは望遠鏡を下ろして低く言う。


「……妙ですね。あれだけ攻撃を受けても一歩も動かないなんて」

「後方の連中も出てこない。……このままじゃ、こっちの方が先に持たないぞ」


 ダヴィットの声も重い。前線は限界に近かった。精密な射撃で何隻も沈め、新兵器で流れも変えたが、それでも海賊船の数はなお圧倒的だった。黒煙と火薬の匂いが重く漂い、後方へ担ぎ出される負傷兵の数も増えていく。その後の流れは息をつく間もなく加速した。ついに城門が開き、陸軍が到着する。瞬間、防衛線はようやく息を吹き返した。それと同時に砲撃の轟音の中に異質な変化が混じり始める。最初に気づいたのは耳、つい先ほどまで空気を裂くように連なっていた海賊側の砲声が間を空け始めている。


 ——火力が落ちている。


 マクシムは砲煙の向こうを睨んで無意識に息を止めた直後、ルソーからの伝令が風に乗って届いて陣地に波紋のように広がっていく。


「最前線指揮はルソー准将が執る! 全海軍員、造船所へ急行!」

「第一艦艇部隊の船に乗り込め! 敵船を奪取する!」


 伝令の叫びが、命令が砲煙の中を駆け抜ける。マクシムの胸の奥で何かが切り替わった。防衛ではない、攻めに転じる。マクシムは腰に帯びた双剣に触れた。冷たいはずの金属がなぜか熱を持っているように感じる。ここから先が本番だ。砲撃で削る戦いではない、船に乗り込んで斬り、奪い、終わらせる戦い。そして、その先にいるエドガーがいる。


 ……許さない。フランソワのためにも、自分自身のためにも、この戦争は終わらせなければならない。


 その時、ダヴィットの声でマクシムは現実に引き戻された。


「隊長、命令が来ています! 造船所へ!」


 マクシムは頷くと城壁を見上げた。自分でも理由は分かっている。戦場に出る前に確認しておきたかった。——彼女の姿を。


「……先に行っていてください」


 マクシムはダヴィットに告げると踵を返した。


「え、隊長?」

「すぐに追いつきます」


 ダヴィットもリラも何かを察したように黙り、マクシムは城内を駆けた。砲撃の振動が壁を伝い、石畳に靴音が反響し、煙と血の匂いが廊下にも流れ込んでいる。マクシムが医務室の扉を押し開けると別の戦場が広がっていた。ソフィーは手を動かして傷口を縫い、指示を飛ばしている。アニータが隣で彼女を支え、次の患者へと繋いでいく。あの二人もまた戦っている、この戦場で。マクシムが目に焼き付けるとソフィーが顔を上げて彼を見つけた。マクシムは息を整えながら二人に向かって告げる。


「僕たちはこれから、海賊船に乗り込みます。ここはお二人にお任せします」


 彼の言葉にアニータも顔を上げ、頬をわずかに緩める。


「いよいよね……!」


 ソフィーは包帯を結びながら息を呑んだ。


「……どうか、お気をつけて」


 マクシムは踵を返して再び廊下へ出ると、いつの間にか待機していた隊員たちが一斉に顔を上げた。


「マクシミリアン・ブーケ隊、造船所へ向かいます! 急ぎましょう!」


 石畳を蹴る音が重なり、隊は一つの流れとなって城外へと駆けていく。外では戦場の色が変わり始めていた。朝の淡い光はすでに強さを増し、煙の向こうに白く滲んでいる。造船所に着くとマクシムは走りながら再び双剣に触れた。



 その頃、海上では砲声がわずかに途切れた。完全に止んだわけではないが、先ほどまで海と空を埋め尽くしていた連続した轟音が、明らかに間を持ち始めている。波音が戻って風の音が聞こえる静けさに気づく者は限られていた。リヴェンジ・クイーンの船長室でエドガーは顔を上げて口の端を歪める。


「ほう」


 弾を吐かせたか。ニールの狙いを直感で理解する。前線は消耗しているが同時に海軍側もまた弾を使い切りつつある。焦って撃たせ、削らせて枯らす。エドガーは低く笑った。


「面白ぇ」


 エドガーが船長室を出ると周囲にいた海賊たちが無意識に道を開ける。エドガーの背後から影のようにニールたちが並ぶ。


「オレはここにいればいいんだな?」


 ニールはエドガーの横で口角を上げた。


「ああ。お目当ての人は、もうすぐ来るはずだよ」


 直接対決という言葉にエドガーは肩を揺らして豪快に笑った。戦場すら飲み込むような笑い声が甲板を満たした。エドガーが甲板に向かう後ろ姿をコリンは冷たい目で観察している。


「……そろそろだね」


 コリンは懐に忍ばせた白煙爆弾と夢蛇を取り出すとニールに差し出した。


「これ」

「ん?」

「使う時、ちゃんと息止めてね」


 ニールは夢蛇を受け取りながら微笑む。


「わかってるよ」


 そう言いながらニールは懐からハンカチを取り出し、何の躊躇もなく液体を染み込ませようとして即座にコリンが止めた。


「いやいやいや待って待って待って。今やんないで」


「え? 準備は早い方がいいでしょ」

「いやそういう問題じゃないから」


 マテオとジャスパーは甲板の端に移動し、ボートフォールに吊られた脱出用のボートと眼下の海面に揺れる小型ガレオン船を見下ろした。黒船のすぐ隣に位置する別の帆船との間に意図的に空けられた空間、そこにぴたりと収まる位置で戦線離脱用の船が待機している。マテオが目を細めた。


「距離は十分だ。ここから先は一つもミスできねえ」


 ジャスパーが肩をすくめた。


「……もっと他にやり方なかったの?」

「ニールに文句言え」

「聞こえてるよー」


 ジャスパーが振り返れば、ニールはハンカチに夢蛇を染み込ませようとしてまたコリンに止められているところだった。ジャスパーは呆れたように息を吐いた。


「……ほんとにこれでいくんだな」

「いくしかねえだろ」


 マテオが舌打ちした時、エドガーの声が甲板に響き渡った。


「お前たち、ここから先は白兵戦だ! 好きに暴れろ! 殺せ! 沈めろ! 好きなだけやれ! それと海軍共がこの船まで辿り着いたら、誰か怪物を引き摺り出せ」


 ニールは息を吐いて瞳から光を消した。


「……始まる」



 張り詰めた布が風を孕み、低く唸る音が甲板全体に震えとして伝わっていた。造船所から三隻の大型戦列艦に乗り込んだ海軍員たちが、甲板上で息を潜めて白兵戦に臨もうとしている。マクシムは舳先近くで前方を見据えていた。


 ——近い。


 海賊同盟の帆船たちとの距離は、すでに個々の船の輪郭がはっきりと識別できる距離まで迫っている。帆の裂け目、甲板を走る影、舷側に並ぶ砲門がこちらを見ていた。風の中で敵と味方の境界が消えかけ、その最前に立つルソーの声が甲板に響く。


「この感覚、久しぶりだな。派手に暴れてやるか」


 マクシムは無意識に腰の双剣へ指をかけるとルソーの声がさらに続く。


「皆の者! 本日ここに立つのは、祖国を守るためである!」


 緊張が覚悟へと変質する瞬間を、マクシムは肌で感じていたが、彼の視線はルソーではなくその先を捉えていた。海賊船団、前線の船だけではない。——奥だ。煙の向こう、黒い帆が動いている。前線船団の後ろに控えていたリヴェンジ・クイーンが砲撃で削られた隙間を埋めるように距離を詰めてきている。


 ——来る。


 マクシムの呼吸が深くなるもルソーの声は続いていた。


「白兵戦はただの戦闘ではない。魂と魂のぶつかり合いだ!」


 その言葉は正しいが……違う。マクシムの中では別の言葉に変換されていた。——殺し合いだ。単純で逃げ場のないもの。船体がきしんで波を叩き割る音が大きくなる。海賊船の甲板で何人かが動くのが見えた。鉤縄を準備しているらしい。同じだ、向こうも飛び込む気でいる。ルソーの声が最後に高らかに響く。


「共に進め! 恐怖を超え、力と勇気を敵に示せ! 勝利は我らのものだ!」


 次の瞬間、轟音と共にヴォルカニク号が加速し、マクシムの身体がわずかに引かれるが踏みとどまった。海賊船との距離が一気に縮まり、十数秒で風の匂いが変わって潮の匂いに混じる硝煙と血の予感を齎した。甲板のあちこちでロープが投げられて鉤が飛ぶ。木に食い込む音と引き寄せる力に船と船が繋がった瞬間、マクシムの中で何かが切り替わって思考が落ち、余計なものが削ぎ落とされる。残るのは距離と動きと殺意だけ。船体がぶつかる寸前、マクシムがヴォルカニク号の舳先を蹴った瞬間、視界が開けて海賊船の甲板が一気に迫り、着地と同時に双剣を抜刀した。


 ——遅い。


 マクシムは最初に突っ込んできた海賊の刃を左手の剣で弾き、右の刃は海賊の喉元へ滑り込ませた。血飛沫が上がるより早くマクシムは次の敵へ踏み込んでいく。甲板が軋んで靴底から波の揺れが伝わってきた。火薬の匂いが混ざり合う中で、彼の感覚だけが異様に澄み切っている。


 ——止まるな。


 マクシムが振り向きざまに斬り、踏み込みながら斬る。体勢を崩した敵の肩を蹴り飛ばし、勢いのまま次の敵の懐へ。双剣が弧を描くたび、刃と刃がぶつかって火花が散るが、防がせるつもりなど最初からない。左で受けさせ、右で殺す。


「な、なんだこいつ……!」


 海賊の声が震える瞬間には断ち切られていた。マクシムは足を止めない。甲板の端へ、一直線。視界の先はリヴェンジ・クイーン、マクシムは船から船へと渡っていく。リラが走り去るマクシムの背を置いながら舌打ち混じりに叫ぶ。


「……っ、隊長! また一人で突っ込んでる!」

「分かってる!」


 ダヴィットが応じながら目の前の海賊を蹴り飛ばし、重心を低く保って斬るとマクシムの背を追った。


「グウェナエル、見失うな!」

「見失うかよ!」


 グウェナエルは笑うように吐き捨て、次の船へ跳ぶと着地と同時に相手の剣を腕ごと叩き落とし、膝蹴りで体勢を崩し、喉元へ一撃を喰らわせた。荒いが速い、容赦がない。


「隊長、また見境なくなってるぞ……!」


 ダヴィットの言葉には呆れと焦りが混じっていた。マクシムの動きは明らかに速すぎる。あれは冷静な指揮官のそれじゃない。——狩りだ。獲物を一直線に追い詰める、獣の動き。マクシムは気づいていない、自分がどれだけ突出しているか。どれだけ危険な位置にいるか。ただ進んで斬っては跳ぶことだけが彼の中で正解だった。ダヴィットは思わず振り返った。後方の船で仲間が戦っている。分かっている、信じている。だから、もう振り返らない。マクシムは遠い距離を跳躍するとダヴィットがマクシムの動きを捉えながら低く呟く。


「……あれが目標か」


 リラが息を荒げながらも足を止めない。


「無茶しすぎよ……!」

「分かってる。だからこそ、ついてくしかねえだろ」


 グウェナエルが笑い、三人は一瞬だけ視線を交わすと次の海賊船へ跳んでいった。マクシムは双剣を振るいながら目を走らせた。黒船の手前に位置する一隻——舷側が分厚く砲門が密に並ぶ中型船、ここだ。マクシムは雑魚どもを無視して跳ぶと船尾楼へ最短で駆けた。横合いからの斬撃は低く沈んで躱し、銃声と共に頬を熱がかすめだが視線は一切逸れない。マクシムが階段を二段飛ばして上がる途中、一人を柄で顎を打ち上げて喉元へ突き込む。


 ——届く。


 船尾楼で操舵手と目が合うも即座に喉を裂き、血が舵輪に散る。マクシムは両手で操舵輪を掴むと全力で引いた。


「今だ!」


 木と金具が軋む音に船体が応え、グッと傾く。マクシムがさらに回すと舵輪が唸り、船が横滑りするように旋回を始めた。波が斜めに叩きつけ、甲板が一気に傾いて崩れる。足を取られた海賊たちが転がり、砲弾箱が滑って縄が弾ける。リラが着地した瞬間に船体がさらに傾き、足を取られ膝をついた。


「っ、隊長……!」

「何してるんですか……!」


 ダヴィットも飛び込んだ直後に体勢を崩し、片手で甲板を叩いて耐える。


「舵、切ってる……!?」


 グウェナエルは着地の衝撃を殺しきれず一歩よろけたが、即座に踏み直した。マクシムが舵輪を回し続ける間、リヴェンジ・クイーンの舳先付近にいたニールは異変に気づいた。波の動きが違う。前線の一隻が旋回して横を向き始めている。


「……は?」


 マクシムは舵輪から手を離した瞬間、再び抜刀した。崩れた体勢から立ち直った海賊が突っ込んできて迎え撃つ。低い軌道で足を払い、倒れたところへ短く一撃。ダヴィットが立ち直り、正確に一人を斬り伏せる。


「……やっぱり一人でやる動きじゃない!」


 リラが吐き捨てるように言いながら間合いに入った敵の刃をいなし、反撃。グウェナエルは踏み込んで正面から叩き斬る。一方、ニールが望遠鏡を引き上げて焦点を合わせると、揺れる甲板上に灰色の髪と双剣を捉えた。


「……来たよ!」


 ニールの声が思わず弾け、彼は踵を返すと甲板を蹴って全力で走り、船尾階段の段を時折飛ばしながら駆け上がると、船長室の扉を押し開けた勢いで室内に飛び込む。


「来た! 来たよ、エドガー! 灰色のやつ、もう目の前だ!」


 ニールが息を切らしながら叫んだ瞬間、エドガーは椅子を蹴り飛ばすように立ち上がって甲板から出てきた。エドガーの視界に飛び込んできたのは横向きにねじ曲がった一隻の海賊船、その異様な姿を一瞥しただけで彼はすべてを理解して喉の奥で笑う。


「……はっ。よし、お前ら。あの船にバウスプリットを突っ込め」

「……え?」


 エドガーのそばにいたジャスパーたちが一斉に間の抜けた声を漏らし、ニールは即座に顔色を変えてエドガーへ詰め寄る。


「ちょ、ちょっと待って! そんなことしたら脱出用の船と——」


 エドガーは振り返りもせず前を見据えたまま言い放つ。


「マクシミリアンを誘き出すんだろう? だったら、渡り易くしとこうぜ」


 操舵手が怒号とともに舵を切り、巨体が唸りを上げた。リヴェンジ・クイーンが前へと滑り出す。波を押し潰すように進む船体に水面が裂け、白波が左右へ弾け飛ぶ。そして船首——長く突き出したバウスプリットが狙いを定めた槍のように前方へ伸びる。横向きになった海賊船の甲板へと覆い被さるように。木と木がぶつかり合う鈍い衝撃にバウスプリットが甲板に食い込み、黒船の船首がぐっと乗り上げた。舳先の先端に据えられた女神像がまるで処刑台に歩み寄るようにマクシムのいる甲板へと迫る。灰色の髪が潮風に揺れ、マクシムの視線が真っ直ぐに黒船を射抜いた。


 ——道が開いた。ならば迷う理由などどこにもない。


 次の瞬間、マクシムは迫る海賊の刃を双剣で弾き飛ばし、勢いのまま喉を裂くと血飛沫が舞い、倒れ込む体を足場にもう一人、もう一人と進路を塞ぐものを斬り捨てる。やがて、マクシムは躊躇なく跳び上がって女神像の肩に手をかけてよじ登った。背後では海賊たちの怒号と銃声が混ざり合うが、マクシムは振り返らず登っていく。やがてバウスプリットに足をかけて立ち上がると黒船の甲板へ駆け抜けていった。マクシムが黒船の甲板に降り立った瞬間、空気が変わった。——静かすぎる。つい先ほどまで渦巻いていた怒号も刃の音も、遠くへ押しやられたように感じる。いや、違う。この場だけが異様に研ぎ澄まされている。


 マクシムは顔を上げて船尾楼に目を向けた。操舵輪の前にエドガーが立っている。エドガーは微動だにせず鎮座している。まるで、この船そのものが彼の玉座であるかのように。エドガーの口元が不敵な笑みを浮かべる背後でニールの低い声を漏らす。


「……こっから本番だよ」


 ジャスパーがちらりと海面を一瞥し、口角を上げる。


「脱出用の船、少し遠くなったけど問題ないさ。おれが小舟を操ればいい」


 コリンは指を鳴らし、乾いた音とともに指先に小さな炎が灯った。マテオが唸りながら言い放つ。


「お前ら、隠れるぞ」


 ジャスパーとニールが一方向へ、マテオとコリンは逆方向へ、船尾へ続く階段の脇に積まれた木箱の影へと滑り込んで背を預けた。


 マクシムが海賊たちを蹂躙している背後、女神像を伝って舳先を駆けてきたリラとダヴィット、グウェナエルが着地と同時に三人の刃が閃く。背後から迫った海賊の首が同時に跳ねるもマクシムは振り返らない。


「行きますよ」


 四人が同時に動いた。踏み込み、斬る、避ける、撃ち落とす。次から次へ、呼吸のように動きが繋がる。ダヴィットが前方の刃を弾き、リラが横から喉を裂き、グウェナエルが死角の敵を沈める。その間をマクシムが一直線に駆け抜け、双剣が弧を描くたびに道が開く。


「エドガー・ロジャース! これまでです、容赦はしません!」


 マクシムの甲板を裂くように走り、木箱の陰に隠れる四人の海賊が肩を強張らせた。ジャスパーが木箱から顔を出すと、灰色の影が甲板を突き抜けて迫ってくる。


「……来るぞ」


 マテオの指がわずかに強張り、ニールは無言でハンカチを握りしめる。コリンは呼吸を整えた。鼓動が速い。まだだ、まだ。マクシムは船尾階段を踏んで一段、二段飛ばし、さらに一段跳ぶと踏み込んでエドガーの元に辿り着いた。その笑みは、変わらない。木箱の裏、マクシムの横顔が見えて四人の呼吸が止まる。マクシムの視界はエドガーしか目に入っていないらしい。


「終わりだ!」


 マクシムが踏み込む瞬間、ニールの声が炸裂した。


「——今だぁっ!」


 ジャスパーとマテオが同時に木箱から飛び出すとマクシムの背後を取り、彼の腕を取って押さえ込む。ニールが夢蛇をハンカチに浸すと甘い匂いをマクシムの顔面へ押し付けた。


「——ッ」


 マクシムの身体が強張った瞬間、視界が揺れて足元が消えた。甘ったるい香りが意識を侵し、力が抜けて膝から崩れる。


「……よし」


 ジャスパーがすぐにマクシムを担ぎ上げるとニールはハンカチと小瓶をその場に捨て、マクシムの手から零れ落ちた双剣を拾い上げる。


「隊長!!」


 リラの叫びが彼らの耳に届く。リラとダヴィット、グウェナエルが迫ってきた。コリンが指先の炎を白煙爆弾の導火線に付けて投げると、白煙爆弾は着弾と同時に爆ぜ、彼らの視界を白に塗り潰した。


「ッ、なに……!」

「煙か……!?」

「クソッ、見えねえ!!」


 想定以上の量に濃い、重く絡みついて方向感覚が狂う中、マテオの声が先導する。


「こっちだ!」


 ボートフォールに吊るされたボートに向かって、エドガーとニール、ジャスパーとコリン、最後にマテオが飛び乗ると剣帯から銃を抜いて滑車に向けて撃った。轟音と共に装置が弾け、ボートが滑り落ちるように海面へ落下していく。ボートは白煙を切り裂いて抜けると、衝撃と同時に海面に着水した。ジャスパーが櫂を取ると小型ガレオン船へ進路を向ける。彼らの頭上ではまだ白煙が膨れ続け、ボートが進むたびに甲板の怒号と混乱、剣戟が遠ざかっていく。


「あれ、加減ミスってね?」


 ジャスパーが頭上の白煙を見上げながらぼそりと呟くと、コリンが肩をすくめる。


「うるさいなあ、文句はここを離れてからにして。とりあえず感謝してよー」


 リヴェンジ・クイーンの船尾では白煙が徐々に剥がれていき、リラたちが咳き込みながらも視界を取り戻していったが、そこにあるはずのものがなかった。エドガーの姿も五鬼衆の気配も、そしてマクシムの影も。


「……消えた!?」

「くそ、攫われたか……!」


 リラの声が張り詰めた甲板に響き、グウェナエルが歯を食いしばる。


「まずはこいつらを一掃してからだ! 片付けるぞ!」


 ダヴィットが叫び、三人が同時に前へ出た瞬間に再び戦場が牙を剥く。斧が振り下ろされ、銃声が裂ける。板が軋み、血が飛ぶ。リラは踏み込みながら剣で刃を弾き、反対の手で銃を奪うと間髪入れずに引き金を引いた。至近距離で撃ち抜かれた海賊が後方へ吹き飛ぶ。グウェナエルは低く身を沈め、滑るように間合いへ入る。刃が閃き、喉元を正確に裂く。次の敵の懐へ、もう踏み込んでいる。


「ここで止まるわけにはいかん!」


 煙を裂く彼の声に、遅れて乗り込んできた周囲の海軍員たちが応じる。ダヴィットは倒れた海兵を肩で支えつつ、足元の短銃を拾い上げて発砲。反動を利用して体を捻り、次の斬撃を避けながら前へ進む。リヴェンジ・クイーンの甲板中央では、第七艦艇部隊が突撃していた。


「左、押し返せ!」

「甲板を取るぞ、前へ!」


 怒号が飛び交い、火花が散る。海軍の刃が前線を押し上げていく陰であのカシリオが歯を剥いて部下に言い放つ。


「……おい、あいつを呼んでこい」


 部下二人が頷き、すぐに踵を返すと甲板の喧騒を背に階段を駆け下りていった。下へ、さらに下へ。湿った空気が濃くなる最下層にて、二人が重い扉の前で足を止めて鍵を差し込んで回した。


 ——軋む音と共に扉が開く瞬間、室内にいたルキフェルは瞳を獣のように光らせて踏み込んだ。彼は海賊の一人の懐へ飛び込むと腕を取って捻って崩す。太極拳の動きが流れるように決まる。力ではない、流れと重心だけで相手の体が宙を舞った。片方が廊下に叩きつけられて呼吸が止まると、ルキフェルはもう一人の喉元へ手刀を喰らわした。わずか数秒で制圧を終わせると、ルキフェルは肩を回して骨が鳴らした。牙を剥くように、彼の口元が歪む。



 その頃、小型ガレオン船が波を裂き、滑るように進む船上でマテオの声が飛ぶ。


「固定しろ、しっかりだ!」


 彼はニールと共に意識を失ったマクシムをマストへと縛り付けた。ロープが何重にも巻かれる。ジャスパーはすでに操舵輪を握っていた。風を読んで波を読み、船を滑らせる。旋回して抜けると海賊同盟の隙間を縫うように進めた。コリンは小型ガレオン船の船長室扉に目を向けた。さっきまで甲板に立っていたはずのエドガーはもう姿を消している。さっさと中へ引っ込んだらしい、外の戦いには一切興味がないとでも言うように。コリンは呆れたように呟く。


「……ほんと勝手だよね」


 一方、リヴェンジ・クイーンではまだ戦いが続いている。海軍と海賊がぶつかり合っている中、一人の海軍員が連結剣を振るっていた。


「……扱いづらっ」


 海軍員が舌打ちして連結剣を海へ放り投げた。重い金属が弧を描き、小型ガレオン船の船尾に鈍くデカい音を齎す。


 ガンッ!!


 操舵輪を握るジャスパーが思わず振り返るもすぐに視線を前へ戻す。


「……あとで確認しよ」


 今は違う。操舵輪を握るジャスパーの手に力がこもった。するりと。船は滑る。まるで海に許されたかのように海賊同盟の隙間を抜けていく。彼らの背後でまだ戦いは続いているが、この船だけは戦場から離脱していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。