第七章① マクシム隊
キール通りの宿舎。夜になっても執務室の灯は落ちなかった。静まり返った室内にペン先の音が幾つも重なって響く。羊皮紙を擦る乾いた音が、絶え間なく続いていた。
マクシムは一度ペンを置いて指をほぐしてから軽く伸びをし、肩に溜まった疲労を吐き出すように息をついて室内を見回した。リラとシャルル、スザンヌがそれぞれの机に向かい、黙々とペンを走らせている。彼らはマクシムと共にヤンから渡された即席の報告書を複写していた。走り書きの情報を読みやすく正確に、一字一句落とさぬように、今日中に仕上がれば明日の会議に間に合う。エリオットをはじめとした上層部に直接乗り込んで報告できる……が、現実はあまりに厳しい。机の上に積み上がる未完の紙束がその見込みの薄さを物語っていた。
「……はあ」
マクシムは眉間を押さえて息を吐くと、コンコンと扉が叩かれた。
「失礼します」
現れたのはグウェナエルだった。いつも通りの無表情のまま鞄を肩から外して「追加の紙、買ってきました」と言いながら羊皮紙の束を机の上にどさりと置く。
「隊長」
シャルルが顔を上げた。爆風で壊れた片眼鏡はすでに失われ、露わになった素顔は意外なほど整っていて鋭い。まるで獲物を射抜く隼のような視線がまっすぐにマクシムを捉えていた。
「なんですか」
マクシムが応じるとシャルルは控えめに言う。
「これを渡したところで、上層部は的確に動けるのでしょうか」
一瞬、ペン先の走る音が止まった。マクシムは口をもごもごさせて呟く。
「……大元帥たちを信じる他なくないですか?」
「どうでしょうね。一回目も、二回目も上は受け身でしたから、埒があきません」
シャルルは椅子にもたれて天井を仰いだ。新しい髪飾り——歪んだ片眼鏡のフレームをソフィーとリゼーヌが工夫して再利用したもの——で結い上げられたオレンジの髪と左右非対称に流した前髪がふわりと揺れる。状況に似つかわしくないほど優雅な彼の仕草にマクシムは顔を顰め、グウェナエルは無言のまま指の骨をポキポキと鳴らしていた。……いつでも殴れるように。シャルルは複写した書類を一枚めくってザッと目を走らせる。
「それにしても……海賊船の数はおよそ五十隻ですか。ペネロペの言う通りですね。海賊はやると決めたらとことんやる。ぼくたちは、彼らの結束力を今まで誤認していた」
リラがペンを動かしたまま応じる。
「脅威でしかありませんね。……今残っている戦力で太刀打ちできるのでしょうか」
スザンヌは顔も上げずにひたすら羽ペンを走らせている。あの男を思い出さないために、あの男の名を呼べばもう戻れなくなる気がしていた。マクシムは深く息を吐いた。
「……何もかもが遅かった。なのに……延々と前を向かされる。急かされる。……僕たちは、あの夜戦で勝利を収めた。その代償が……メリッサを失うことになるとは」
執務室に静寂が落ち、紙の擦れる音もインクの匂いも、すべてが遠のいたように。それぞれの脳裏に浮かんでいるのは同じ顔。笑っていた時の、あの無邪気な表情。メリッサの名を口にすれば崩れるから誰も口を開かない。静寂が重く沈む中でグウェナエルの掠れた声が落ちた。
「……それでも……それでも、俺たちは進まなければならない。ソフィーが言っていた。——悲しみや憎しみを糧にして、救いや希望を掴む力にする……未来を切り開く力に変わることを、信じてほしいと」
グウェナエルは一瞬言葉を詰まらせるも言い聞かせるように続ける。
「……だから、戦い続けるしかない。今までと同じではなく、今度こそ違う形で」
何かを押し殺した声にマクシムは顔を上げてグウェナエルの横顔を見上げた。彼の群青の瞳には、決意だけではない個人的な、切り捨てきれない何かを言葉にしないまま抱え込んでいる。ソフィーの名がマクシム脳裏をよぎるが、それ以上は踏み込まずに頷いた。共感だった。スザンヌの羽ペンが紙の上を走り始め、リラが顔を上げてグウェナエルを見る。
「……例えば?」
グウェナエルはわずかに視線を落とし、低く言った。
「準備段階からずっと考えていたんだ。……このまま防衛に徹しても終わらないだろうと」
——五鬼衆も似たことを言っていた。
マクシムは机の上の報告書へと手を伸ばしてパラリと紙をめくると、そこに書かれていた一文に指先を沿わせた。
——直接でなければ、この戦争は終わらない。
「……次の戦闘は総力戦になる。準備に数日ほどかかるだろう」
マクシムがぽつりと呟くと、シャルルが興味深そうに口を開いた。
「さすがリー・ウェン。報告書の内容もなかなか刺激的ですね。つまり、この五十隻の大軍がブレストに押し寄せるわけですか。今の海軍の戦力だけでは……圧倒的勝利は望めない」
シャルルは口では平然を装っていたが、マクシムとグウェナエル、それからリラが三人で盛り上がり始めるとシャルルは彼らの輪から外れるように俯いて拳を固く握った。
——昨夜の光景が頭から離れない。
ペンフェルド川沿いの造船所、勝利に酔っていた矢先に積荷の裏から海賊が飛び出した。二つの銃口がマクシムとグウェナエルに向けられる。
「危ないっ!!」
シャルルの視界に鋭い叫びと共に何か閃光が横切った。シャルルが声を上げる前に二発の銃声が造船所を破った、マクシムの横顔が強張ってグウェナエルが顔を顰めて片手を押さえかけるも、ふらりと揺れる影を受け止めた。
「——メリッサッ!!」
ペネロペが搾り出すような悲痛の声を上げ、シャルルの背後ではサミュエルの声が降ってくる。
「医務室だ、今すぐ!」
グウェナエルが即座にメリッサを横抱きすると、マクシムが先陣切って走り出して「開けてください!!」と前方に向かって声を張り上げた。グウェナエルとペネロペが彼のあとに続き、ダヴィットは呆然と突っ立っているリラの手を取って駆け出した。サミュエルとジョルジュも触発されたように地を蹴り、少し遅れてロザリーがスザンヌとリゼーヌを連れ出すように走り出す。グウェナエルの腕の中でメリッサは唇を震わせ、彼女の青白い額が夜気に晒されるとシャルルは思わず息を詰めた。海賊服に身を窶した集団が人混みに紛れると、造船所が一気に騒がしくなった。シャルルが数歩歩いたところで背後から乾いた笑いが落ちる。
「はは、やったぞ……これで、仇取れたぁ……」
刹那、シャルルは剣帯からレイピアを即座に抜いて海賊を振り返った。彼の隼の目が血走って松明の火が瞳に宿ると地を蹴り、橙色の閃光が海賊に飛びかかって倒してレイピアの剣先で海賊の胸を貫いた。海賊の口から掠れた声が漏れる。シャルルはレイピアを逆手に握り直して押し込み、斜めに引き裂く途中で刀身が固いものに触れると勢いでレイピアの持ち手を引くあまり刀身が半分折れた。海賊がピクリとも動かなくなると造船所の石床に赤い池が広がり、シャルルは折れたレイピアを片手に海賊の骸から距離を取って息を荒くしながら睨みつけていると、造船所の入り口からアルフォンスが現れた。
「……報告しなさい。何があったのですか?」
シャルルは骸から目を離すと、海賊から一歩離れるように足元を揺らしてアルフォンスを振り返った。
「……報告? そんなもの、見るまでもないでしょう。こいつは仲間を仇討ちの道具に利用したんですよ」
シャルルが吐き捨てると造船所に重苦しい空気が落ち、アルフォンスは固唾を飲んで海賊の骸に目を向けた。——池に落ちてなお二丁の短銃がまだ握られている。アルフォンスはシャルルに視線を移して声を押し殺すように低く告げる。
「仲間の元に行きなさい。今すぐ」
処遇はあとで考える、とでも言いたげな若造の瞳を受け、シャルルは骸に一瞥もせずにおぼつかない足取りで歩み出した。アルフォンスの脇を通り抜ける際、シャルルは彼の顔も見ず半分折れたレイピアを押し付け、造船所の向こうに広がる人混みと暗闇に視野を狭めて進んでいった。誰もが橙色の彼に道を開ける中、海賊に突き刺さった刃からドクドクと赤黒いものが溢れ続けている。
——結局、お咎めなしか。
次戦に集中するあまりか、上層部からも見放されたような気になってシャルルは唇を噛んだ。後味が悪すぎる、復讐心に身を任せた結果がこれか。誰にも裁かれないまま、仲間を失って流した涙が心の空洞を埋め尽くしていく。だからこそソフィーの言葉が痛い、痛すぎるが……抱えたまま進むしかない。シャルルは視線をあげて執務室内を見渡した。マクシムとグウェナエル、リラは作業を進めながらまだ議論していた。
「各司令部への増援要請はすでに出しているはずよね?」
「それでも足りないだろうな」
リラが首を傾げて訊ね、グウェナエルが即座に首を振る。皆、淡々とした声音だが明らかに焦燥が滲んでいた。マクシムがついに羽ペンを放り出し、顔を覆って天井を仰いだ。
——彼は利口だが、策士ではない。優秀な部隊長には、同等以上に頭が回る参謀が必要だ。
シャルルだけが三人から視線を逸らすとスザンヌの姿が目に入った。スザンヌは机に向かい、相変わらず黙々とペンを走らせている。乱れのない筆致に迷いのない彼女の手元を見てシャルルは思わずほくそ笑んだ。
——この子も自分なりに戦っている。軍人として、戦場外でも役割を見つけて。
それにしても、とシャルルは隣でマクシムと言葉を交わすリラの横顔をチラ見した。彼女もまた臆せず自分なりに意見をしている様を見て、シャルルは思わず机に視線を落とした。自分は戦では参謀ながら戦線に参加する。というのも、この部隊は女性が多く日和見を決め込むわけにいかないからで、武器を取って戦うのが好きなわけではない。
——メリッサ。あの子もまた強い子だった。
今頃、故郷のイタリアへ向かっているだろう。イタリア貴族でありながら、フランスの海で戦った異色な彼女。彼女が自分に残してくれたものを次に繋げるため、今度こそ正しい形で仲間を守らねば。さて、今の海軍に残された道はないだろうか。いや、やっぱり厳しいな。そもそも海軍内で解決できる範囲を逸脱している。それなら、外部に目を向けてみるか。力になれる勢力はいないのか。シャルルが首を傾げて唸るとアシンメトリーな前髪が揺れた。
「……シャルルが頭を悩ませてる」
リラがぽつりと呟くとグウェナエルが床に落ちた羽ペンを拾いながら言う。
「どうせまた奇策だ。碌でもないぞ」
グウェナエルが拾った羽ペンをマクシムの執務机に戻し、マクシムはまだ天井を見上げていた。シャルルは「うるさいなぁ」と緩やかに笑って傾けていた首を戻した時、スザンヌが羽ペンをインク壺に差して伸びをしたのが視界に入る。
……剣よりペンの方が強いって言ってたな、そういや。
スザンヌ・ブルボン。ブルボンの血を引く分家、現王朝の支持者。海軍内でも王宮に近い位置にある家系。ここまで頭が巡った時、シャルルの思考が電流のように繋がって瞳が見開かれると、彼はすっと立ち上がった。椅子の音がやけに大きく響き、シャルルは一直線にスザンヌの机へ向かうと呼びかける。
「スザンヌ」
スザンヌは瞬時に背筋を伸ばしてシャルルを見上げると、シャルルは神妙な面持ちで口を開く。
「……ご実家に手紙を書いていただけませんか?」
「……はい?」
スザンヌがきょとんとした声を上げると、今度はシャルルの声が弾けた。
「え、今“はい”って言ってくれました!? いやぁ助かります! 内容はこちらで考えてありますので、今ここで書いていただければ——」
「おい」
「待て待て待て」
「ちょっと待ちなさい」
三方向から同時に声が飛び、グウェナエルとマクシム、リラが揃ってシャルルを睨みつける。スザンヌは困ったように眉を下げた。
「……私、まだ何も言ってません」
シャルルは「あ」と小さく声を漏らし、すぐに軽く咳払いをした。
「失礼しました。説明が必要ですよね」
背後から突き刺さる三人分の無言の圧をまるで気にも留めず、シャルルはにこやかに続ける。
「ほら、今の海軍だけでは戦力が足りませんから。そこで王宮を通して陸軍を導入したいな、と。そのためには、貴女のご実家の力が必要なのです」
「おい」
グウェナエルの低い声が即座に割り込んでくる。
「お前、軽々しく言っていい話かそれは」
「軽々しくはありませんよ。むしろ極めて現実的な案です」
シャルルがさらりと返すとリラが額に手を当てる。
「現実的かどうかの前に、順序ってものがあるでしょう……」
「順序なら今こうして踏んでいる最中ですよ」
「踏んでないのよ、それは」
呆れたようなやり取りが続く中、スザンヌはぽかんとしたままシャルルを見上げていた。
……よくわかりませんが……今、私……頼りにされています?
状況は飲み込めていないがスザンヌの胸の奥にふっと火が灯ると、彼女は勢いよく立ち上がってバンと机に手をついた。
「わかりました! よくわかりませんが……私、書きます!」
「えっ」
今度はマクシムが間の抜けた声を出す番だった。スザンヌはシャルルへと身を乗り出すと、シャルルが満面の笑みで頷く。
「素晴らしい」
「なんて書けばいいですか?」
「では、こう書きましょう。——今の海軍はこれまでにない危機に陥っています。あの大元帥の力をもってしても、海賊同盟はしぶとく戦を仕掛けてくるのです。このままでは全滅の恐れがあり、民を守ることができません。ゆえに、とにかく多くの助力が必要です。たとえば……陸軍とか」
「雑すぎるだろうが!」
グウェナエルの怒声が飛び、シャルルは眉を顰めて彼を振り返る。
「雑ではありませんよ。要点は押さえています」
「押さえ方の問題です!」
マクシムも思わず声を荒げ、リラが顔を覆い始めて指の隙間からシャルルを見た。
「たとえば陸軍とかって何よそれ……!」
そんな彼らのやり取りをよそにスザンヌはこくりと頷く。
「それでは……今仰ったこと、私なりの言葉にして書きますね。少し席を外してきます」
スザンヌは燭台を持って執務室の扉に向かう背後でマクシムがシャルルに詰め寄っていた。
「だから順序って言ってるでしょう!」
「隊長、結果が出れば過程は些細な問題ですよ」
「些細じゃないってば!」
騒がしい声が室内に響く中、スザンヌは執務室を出ていった。その後、スザンヌは自室に戻ると燭台の灯りを頼りに机の引き出しを漁った。取り出したのは、厚手の封筒と印章。王家に連なる家の者として日常的に使い慣れた物たちを手に取ると部屋を出て、執務室へ向かって入室する。マクシムがシャルルの胸ぐらを掴んでいる様を背景に、彼女は再び椅子に腰を下ろすと新しい紙を引き寄せ、羽ペンを手に取ったが、少しだけ眉を寄せて難しい顔で紙面を見つめた。
……ええと、どう書けば……。
グウェナエルは少し離れた位置からスザンヌを見ていた。羽ペンを握ったまま、悩みながらも必死に言葉を探している姿、渋々ながらも眼差しは真剣だった。
「……無茶、させてんな」
グウェナエルがぽつりと呟いて眉を顰めた。真っ白な紙を前に羽ペンを持ったまま、スザンヌは小さく唸る。
「……うぅん……」
どう書けばいいのか。何から書けばいいのか。頭の中で言葉が絡まって、うまく形にならない時、ふいに遠い日の記憶が胸の奥から浮かび上がった。
——十四の頃。ルキフェルと喧嘩別れをしたあの日から、もう一度会うために海軍へ行くと決めた日々。剣を握り、何度も振るい続けていた。
「なあ、スザンヌ」
休憩中、スザンヌが汗を拭っているところに声をかけてきたのは兄ヴィクトルだった。自分と同じ色の髪が風に揺れている。
「その……何があって海軍に行きたくなったか、詳しく聞く気はないけどさ。無理に強くなる必要はないと思うんだ」
スザンヌは首を傾げるとヴィクトルは少しだけ笑った。
「ほら、スザンヌは……剣より、ペンの方が強いだろ」
「……え?」
スザンヌがきょとんとすると、ヴィクトルは肩をすくめる。
「口下手だけどさ。詩を書く時も、お話を書く時も、手紙も……紙の上の言葉の方がずっと素直だ。想いが、そのまま伝わってくる」
ヴィクトルの目がスザンヌの持つ木剣に向けられる。
「さっきの剣も同じだ。軌道に想いがそのまま乗ってる」
——だから。
言外に続く言葉を、あの時の自分はうまく理解できなかった。だが、今ならわかる。
スザンヌは息を吐いて呟いた。
「……剣よりペンの方が強い。そうだった。これが……私の得意分野でした」
彼女の中で迷いがすっと消え、真っ白だった紙の上に言葉が浮かび上がってくる。シャルルの言葉ではない、自分の言葉として。彼女の手に握られた羽ペンが氷上を滑るように走り出した。
親愛なる父上、そしてヴィクトル兄様へ。
突然のお手紙、どうかお許しください。
私は今、王国海軍の一員として任務に就いておりますが、その最中、これまでにない深刻な事態に直面しております。
現在、海賊同盟はかつてない規模で勢力を拡大し、我々に対して執拗な攻勢を続けております。海軍は全力を尽くしてこれに応じておりますが、その力をもってしてもなお、状況は予断を許しません。このままでは、我々のみならず、守るべき民にまで被害が及ぶ可能性がございます。ゆえに、どうかお願い申し上げます。王宮を通じ、陸軍のご助力を賜ることは叶いませんでしょうか。
海と陸が力を合わせることで、初めてこの戦局を打開できると私は信じております。
突然のお願いであること、重々承知しております。それでもなお、このまま手をこまねいているわけには参りません。どうか、一人でも多くの命を守るためにお力をお貸しください。末筆ながら、皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。
敬具 スザンヌ・ブルボン
ペン先を払うと、スザンヌは深い息を吐いた。書き上げられた文字は真っ直ぐ、机の横でまだ続いている言い争いの声が遠くに聞こえた。羽ペンを置いたスザンヌは書き上げた手紙をそっと持ち上げ、紙面を一度だけ見返すと手紙を丁寧に折り、封筒へと差し入れる。指先で縁を整え、次に蝋を用意する。細い蝋燭に火を移し、ゆっくりと傾けるとトロリと赤い雫が落ち、封の上に溜まっていく。やがて、十分な量が溜まるとスザンヌは印章を手に取って呼吸を整え、グッと真上から押さえつけた。印章を離した時、紋章がくっきりと刻まれていた。スザンヌは紋章を見つめて頷くと声を上げた。
「できました!」
スザンヌが明るい声で封筒をシャルルへと差し出すと、リラとグウェナエルの時間が止まった。
「……は?」
「……早すぎない?」
二人の口から呆然とした声がほぼ同時に漏れ、マクシムに関しては宇宙の真理に触れた猫のような顔になっていた。マクシムの手から逃れたシャルルはパッと顔を輝かせる。
「素晴らしい……! ありがとうございます! これで戦局が少しでも変わる!」
シャルルは勢いよくスザンヌの手を取った。
「貴女は今、一つの戦いに勝ちましたよ」
「えっ、あ、いえ、そんな……!」
戸惑いながらもスザンヌの頬がわずかに紅潮し、マクシムは疲れたような顔で眺めてぽつりと呟く。
「……スザンヌがやったんだ。僕もやるしかない。……では、ただちに送りましょう」
マクシムがシャルルへと向き直るもリラがすぐに口を挟んだ。
「ちょっと待ちなさい。もう夜遅いのよ。明日になってから連絡船を通して——」
マクシムは即座に首を横に振って語気を強める。
「いや。この際、緊急ですから……正規のルートでなくても構いませんよね」
マクシムの言い方にグウェナエルが眉を顰めた。
「……と言うと?」
マクシムは窓の外の暗闇に目を向けた。彼の脳裏に浮かんでいたのは、あの東洋人の顔だ。




