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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】7・8巻「真相編」  作者: セキユズル
第六章「……お前ら、指名手配されてるのに?」
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第六章② 四人とソフィー

 冬の港は音が少なかった。風が鳴って帆布が軋み、波が砕ける。マテオはぼんやりと海面を見ていた。


 ——来る。


 誰よりも先に気配で分かった。マテオが目を向けるとソフィーがこちらへ向かって歩いてくる。ジャスパーとニール、コリンが遅れて反応する傍で、マテオはソフィーとの距離を詰めていった。


「よお、久しぶりだな」


 マテオが手を上げた瞬間、乾いた音が頬で弾けて視界が揺れた。何が起きたのか一瞬分からず熱だけがジンジンと残る。


 ——殴られた? 違う、叩かれた。ソフィーに。


 マテオは頬に手を当てたまま彼女を見て、彼女の眉間に電光を走らせた顔を見た瞬間、理解した。これは、ただ事じゃない。マテオの背後で空気が止まる。ジャスパーが息を詰める音、ニールが言葉を失う気配、コリンが一歩踏み出しかけて止まるとソフィーが口を開いた。


「……いつ、殺すの?」


 ソフィーの低い声は刃のように鋭かった。マテオの胸の奥に突き刺さり、思考が一瞬で白くなる。


 ——何を言えばいい? 言葉が見つからない。いや、違う。言えることがない。


 マテオが胸倉を掴まれる瞬間、ソフィーの拳が叩き込まれた。鈍い衝撃にマテオは息を詰まらせるが、避けずに受けていく。


「自分たちでエドガーを殺すって言ったよね……! いつ果たすの!? あんたたちが早くやらないから、仲間が一人……!」


 また拳、言葉と拳が同時に来てマテオの脳裏に記憶を引きずり出す。止めるはずだった。この戦争をもっと早く、もっと確実に。そう思って動いてきたが、止められなかった。積み重ねた判断、選んできた手段が結果として間に合わなかった。


「海賊に殺されたのよ! エドガー一人殺せないなんて……! ……あんたたち四人は、ルキフェルが、あの男がいないと動けないの!?」


 マテオの胸の奥が軋み、ソフィーの言葉で決定的に崩れた。来た、最悪の形で。想定していた最悪だが、どこかで避けられると思っていた。甘かった。ソフィーの拳が落ち、マテオは歯を食いしばった。


 ルキフェル。——違う。違う、と言いたかった。あいつがいなくても、自分たちは動いている。動いてきたが、言えない。言葉にした瞬間、全てが軽くなる気がした。自分たちのやってきたことが、積み上げてきたものが。何より、今この瞬間に起きた結果が軽くなることを許せなかった。


 マテオの背後で、ジャスパーは血が滲むほど拳を握った。止めるべきか。分かっているが、動けない。動いた瞬間、彼女の感情を遮ることになる。それができない。ニールは息を止めていた。思考は回っているが、答えが出ない。いや、出ているからこそ何も言えない。コリンは唇を噛みしめる。一歩出たいが、止める資格が自分にあるのかという問いが足を縫い止めている。マテオはソフィーを真正面から見下ろしていた。


 ——分かる。その怒りも、その悲しみも。分かるからこそ何も言えない。


 風が吹き抜け、冬の港に響くのは拳の音と荒い呼吸だけ。やがてソフィーの拳が止まり、マテオの胸元に置かれたままの手がかすかに震えて力が抜けていくのが分かった。マテオはソフィーの荒い呼吸と上下する肩を見つめていると彼女の目に涙が滲んで零れた。


「……もう、たくさん……誰かを失うのはもう嫌……仲間を救えなかった自分が悔しい。でも……私以上に悔しい想いをしてる人がいると思うと……泣くわけにはいかない。せめて、自分だけは彼らを慰めて、励まして、強くあろうとした……」


 ソフィーの声が崩れていく、マテオは視線を逸らさない。逸らしたら逃げになる。


「……それでも、こうして立ってるだけでやっと……もう、疲れた……この先、どうしていいか……わからない……」


 ソフィーが顔を上げるとマテオと視線がぶつかった。泣くのを堪えるのに全力を注いでいる。見ていて胸が痛くなる。


「……だったら、一人で背負うな」


 マテオは一歩距離を積めると生身の腕を伸ばしてソフィーの肩にそっと触れた。ソフィーの肩が一瞬強張るも、マテオは逃げられる前に力強く抱き寄せて自分の胸元に導いた。


「……でも今は、遠慮なく泣けよ。我慢してた分、洗いざらい放てばいい」


 マテオがソフィーの耳元で囁くと、ソフィーは彼の胸元に顔を埋めて震えた瞬間、堰を切ったように嗚咽を溢れさせた。子どもみたいに、声を殺すこともできずに。ソフィーの手が縋るようにマテオのシャツを掴んだ。マテオは義手の腕を彷徨わせて一瞬躊躇うも彼女の腰に腕を回して支えると、生身の腕で彼女の背を摩った。ジャスパーは二人をじっと見つめていたが石畳に視線を落とした。


 見ていられなかった。いや、目を逸らすことすら逃げのように思えた。みんな、戦ってる。ニールは頭を使ってる。マテオは命張ってる。コリンは繋いでる。ソフィーはあんな状態でも、誰かを支えようとしてる。なのに、自分は何をしている。

 ——何もしていない。今もただ突っ立ってるだけ、胸の奥が鈍く痛むだけだった。

 ジャスパーが拳を握ると手の甲に筋が立った。


 ニールは二人に目を向けたまま息を詰めている。遅かった、全部。いくら考えても、いくら手を打っても、失ってからでは意味がない。今回もそうだ。また一つ、遅れた。このまま進めば、どうなるか。エドガーを殺すために、どれだけの人間を踏み台にするのか。何人死ねば終わるのか、それでもやるのか。結論が出ないまま、ニールの胸の奥に重たいものが沈み続ける。


 コリンは二人に一歩だけ近づいた。昨日はあんなに凛としてたのに、今日は崩れている。その差が痛いほど分かった。争いは何も生まず、ただ削って奪って悲しみを増やすだけだ。彼女は人を救う側なのに、それでも救えない命がある。その現実に潰されかけている。コリンは自分の手を見つめた。自分は何も埋められない。何も治せない、何も戻せない。それでも側にいることはできる。


 マテオは腕の中の重みを感じていた。震えと呼吸、嗚咽が全部伝わってくる。彼の胸の奥で何かが引っかかった。


 ——似てる、死んだ弟に。泣き方も耐え方も全部。だから、放っておけない。理由なんて、それで十分だったが、これでいいのか? 気の利いたことも言えない。ルカみたいに救える言葉も持ってない。ただ受け止めることしかできない。情けねえな。


 マテオは奥歯を噛みしめるも腕の力は緩めなかった。


 ——これが、今のオレの全部だ。正解かどうかはどうでもいい。これだけは曲げない。


 冬の港に泣き声が響く。冷たい風が吹き抜けてもその声は消えなかった。やがて、ソフィーがゆっくりとマテオから身を離していく。マテオの胸元から抜けた温もりが急に冷えた空気に晒され、ソフィーは息を整えて震えの残る手を後ろ手に回して背中で擦りながら目を伏せた。さっきまでの崩れた姿が嘘みたいに、いや無理やり戻しているだけだと誰の目にも分かった。


「それで十分か?」


 マテオが問いかけるとソフィーは無理に形を作ったような笑みを浮かべる。


「うん、ごめんなさい……醜いところ見せちゃったね」


 コリンが一歩だけ近づいて首を横に振り、ソフィーはコリンを見て深く息を吐く。


「でも私、落ち込む仲間には『復讐の連鎖は止めなくては』と言いつつ、あなたたちに暴力を振るった。最高に醜い」


 ——復讐の連鎖という言葉が四人の胸に重く落ちる。ニールの思考が一瞬止まり、ジャスパーは視線をわずかに逸らした。復讐という言葉はここにいる全員にとって軽くない。誰もが何かを失って、ここにいる。止めるなんて簡単な話じゃないが、彼女は真っ直ぐに口にした。コリンは息を吐いた。この人は止めようとしている。壊れながらでも、それがどれだけ難しいことか分かっているはずなのに口にする。だから、先ほどああやって崩れた。マテオは口元を歪めてソフィーを見つめた。


「オレは暴力などと思わねえよ。可愛いもんだ。ただな、いつでも受け止めてやる」


 ニールが肩の力を抜くように笑う。


「まあマテオが一身に受けてくれるならありがたいね」

「おい」


 マテオは怪訝な顔をするもニールはソフィーを見ながら続ける。


「でも、お仲間を失わせてしまったこと、本当に申し訳ない。謝って済むことじゃないのはわかってる」


 ソフィーが灰色の冬空を見上げる。


「いいのよ。その気持ちだけで、天に召されていった彼女の魂も、きっと和らぐ」


 ——彼女。


 ジャスパーの眉がわずかに動いた。あの嵐の日を思い出す。嵐の中、甲板では刃がぶつかる音、視界の端で揺れていた髪と軽やかな足取り、男とは違う体格。


 ——あの中にいたのか。


 ニールもまた記憶を辿っていた。マクシミリアンの部隊は女が妙に多かった。戦場に不釣り合いな存在だが弱くはなかった。むしろ容赦がなかった。その中の誰かがもういない。コリンは視線を落とした。名前も知らない、顔も曖昧だ。それでもそこにいた命。そして、それを奪ったのは海賊。マテオは海の方を見た。波の音だけが響く。誰もが同じ場所に立っているわけじゃない、それでも今は同じ重さを感じていた。冷たい風が吹き抜ける中、ソフィーの視線がゆっくりと四人に向けられる。彼女の目の奥には残る疲労と削られた気配が隠しきれていない。


「今日はどんな用事?」


 ソフィーの言葉にニールは息を詰めた。彼の喉まで出かかった言葉が胸の奥で引っかかる。


「ソフィー、僕ら……」


 ——言わなきゃ。ダラス家が戦争の裏で動いている。もう一つの火種を言えばいい。ここで言えば、海軍は動く。


 ニールが言葉にしようとした瞬間、彼の横からジャスパーが割り込んだ。


「おれが言う」


 ニールは思わず言葉を飲み込んだ。


「……え?」


 ジャスパーは赤髪を風に揺らしてソフィーの真正面に立って見つめた。


「詳しいことは話せない。話せないが、これだけは伝えておきたい。次の戦闘、フェルナンドの動向に注意しろ。彼についていって、そこでおれたちのやることを見届けてほしいんだ」


 ニールの眉がわずかに動き、マテオもコリンも同じように違和感を覚えた。


 ……それだけ? いや、待て。なんでだ。言うべきことはそれじゃないはずだ。


 ソフィーが首を傾げてジャスパーを見上げる。


「フェルナンド? それに、あんたたちがやることって?」


 ジャスパーはわずかに口元を歪めた。


「悪い、話せなくなった。……あんたに見届けてほしいのは、おれたちの活躍を誰も見てくれないのが寂しいから」

「なにそれ」


 ソフィーが思わず吹き出した瞬間、ジャスパーの視線が横に流れてマテオとニール、そしてコリンを順に見やった。


 ——戻るぞ。


 ジャスパーが顎で小舟を示すと、ニールは一瞬だけ戸惑いながらもすぐに表情を整えた。


「とにかく! フェルナンドに注意しててよね」

「次も長い戦いになる。覚悟しておけ」


 マテオが続き、コリンがこくりと頷く。


「気をつけてね」


 四人は小舟へと向かった。背中に感じる視線を振り返ることなく、板を踏む音が乾いた港に響く。ジャスパーがオールを握って水面を押し、小舟がゆっくりと離れていく。港との距離が少しだけ開いた頃、ニールが声を落とした。


「……なんで、どうしたの」


 ジャスパーはオールが水を切る音を響かせながら言う。


「だってさ、可哀想だろ。……あの状態で全部話すなんて無理だよ」


 ニールが言葉を失い、マテオは何も言わず海面に視線を落としてコリンだけは頷いた。ジャスパーは声を和らげて続ける。


「海軍にとって、敵は海賊だって分かればそれで十分だろ。それでもさ……やっぱソフィーには、裏側をちょっとでも知っててほしいんだよな」


 ジャスパーはふっと口元を歪めてオールを引く手に力を込める。


「それにエドガーとダラス家は、おれたちの獲物だ」


 ニールがすぐに顔を上げた。


「は?」

「……出たな、それ」


 マテオがせせら笑い、コリンが首を傾げる。


「それ、独占って言うんじゃない?」

「海軍の手で裁かれるなんて勿体無いだろ」


 ジャスパーは肩をすくめ、ニールが呆れたように息を吐く。


「いやいやいや、そこは協力とかそういう発想ないの?」

「ねえよ」


 ジャスパが即答するとマテオがくつくつと笑い、コリンも釣られて笑う。


「相変わらずだな、お前」

「でも、ちょっとわかるかも」

「いや分かるなよ!? ややこしくなるって!」


 ニールが頭を抱える中、小舟は冬の水面をゆっくりと滑っていた。さっきまでのやり取りの余韻がまだどこかに残っているが、さっきよりは少しだけ呼吸がしやすい。


「いやだからさ、君のその発想が——」

「だからニールが——」


 ニールとジャスパーが言い合い、マテオが適当に流してコリンが笑っている。いつもの調子に戻りかけた空気の中で風に乗って凛とした声が届いた。


「——マテオ! ごめん、言い忘れてたことがあるの!」


 四人の動きがピタリと止まって振り返る。遠く港の桟橋、小さく見える影が手を振っている。声はかすかだが、不思議とよく通る。


「この間の戦闘、あなたがエドガーの船にいて本当にびっくりしたけど、あの時は助けてくれてありがとう!」



 風がソフィーの言葉を運んでくる。マテオは彼女から目を背けて口元を緩ませた。


「……ったく」


 ——全部言わなくても分かってるって。


「はいはい」


 マテオが照れ隠しみたいに鼻で笑って呟くと義手の左腕をひょいと持ち上げた。すると陽光が金属ガードに反射してキラリと一条の光が走り、マテオが腕を下ろすとジャスパーが食いついてくる。


「えー、なになに何の話ー?」

「気になる」


 コリンも身を乗り出すとニールが「ああ、それね」と思い出したように口を開く。


「えっと、たしかマクシミリアンに宛てて情報横流しした時に——」

「言うんじゃねえよ。フェルナンド撃った時の話だ」


 即座にマテオが遮ると三人が同時に顔を上げた。


「いやそれほとんど自分から言ってるじゃんか」


 ジャスパーがケタケタ笑い、コリンとニールは顔を見合わせた。


「ニールが説明する暇もなかったね」

「むしろ詳しくなっているよ」

「うるせえな」


 マテオが舌打ちするが、顔はどこか機嫌が良く口角が上がっている。


「なかなかの傑作だぞ? 語って聞かせようか」

「いや、やっぱ聞くのやめた」

「判断早いな!?」


 ジャスパーが即撤回してマテオが声を荒げると、ニールが爽やかに笑ってのける。


「はいはい、柄に似合わないことしないでね」

「誰のせいだと思ってんだ」

「いや完全に自発的でしょ」


 マテオとニールがやり取りする横で、コリンがパンッと手を叩く。


「よーし、こっからはぼくがナビゲートするよー」

「おし、頼むぞ」

「えっとぉ、どこ向かうんだっけ?」


 ジャスパーの問いにニールが呆れながら言う。


「だからさっき言ったじゃん——」

「聞いてなかった」

「おい」


 ニールの顔から笑みが消えて低い声が落ちると、小舟の上にいつもの空気が戻ってきた。さっきまでの重さは消えないまま、それでも抱えたままでも進むことはできる。水面を切る音が一定のリズムで響く。マテオが振り返れば、ブレスト港はもう遠いところにあった。それでも、あの声と光はまだ胸のどこかに残っている。冬の海を小舟が緩やかに進んでいく。

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