第六章① 四人とヤン
翌朝、冷えた空気の中でエドガーは四人に命じた。
「ブレストを探ってこい。ダラス家の連中を探せ」
——人任せか。
四人は互いに視線を交わした。エドガーはすでに彼らを信用しているらしい、利害の一致——復讐という一点において。利用できるものはすべて使うという意思か、もはや理性の輪郭すら曖昧になっているのか。いずれにせよ、四人にとっても都合はよかった。利用する価値があるうちは使えばいい。エドガーはランデヴェネックへ帰還するため直ちに出発した。四人は第八船団をフォール・デュ・コルボーに残し、小舟を一隻借り受けるとブレストへ向かう。……もう一つの影を伴って。
櫂が水面を裂く音が控えめに鳴り、ジャスパーは先頭付近に目を向けて眉を寄せる。
「……で、なんであんたがいるの?」
ヤンはコリンの隣に腰を下ろしている。彼はジャスパーに目を向けた。
「わたしはマクシミリアン隊の元へ向かいます。マクシムさんから依頼されていた調査結果の報告のために」
コリンが怪訝な顔でヤンを指で差す。
「この人、マクシミリアンに頼まれて海賊の拠点調査してたんだよ」
「……だから、ランデヴェネックに来ていたんだ」
ニールが納得したように呟く横で、マテオが鼻で笑う。
「情報屋組織って本気出したら怖いよな」
コリンは一瞬だけヤンを見やり、すぐに視線を外した。
「いや、たぶん……この人が特殊なだけだと思う」
ヤンは穏やかに笑って目を細めた。櫂を一定の間隔で水面を叩きながら、ジャスパーが前方を見たまま口を開く。
「着くまでに、計画のおさらいをしとくか」
ニールが頷いて淡々と切り出す。
「まず針路はブレスト港。ソフィーを通して、ダラス家が戦争に絡んでいることを海軍に流す。それから、戦の渦中でダラス家が姿を見せる可能性があるから城内の警戒を引き上げさせる。うまくいけば、あの三男が海軍に捕まるはずだよ」
マテオが鼻を鳴らす。
「……まだ街にいれば、の前提だけどな」
「そこは賭けだね」
ニールは肩をすくめて言葉を繋ぐ。
「ソフィーと無事に接触できたら、すぐに港を離脱。その後、アランたちと合流してダラス家を追う」
ニールの視線がコリンに向けられる。
「合流地点の港は、コリンが案内するんだったね?」
「うん。ぼく、分かるよー。あと、ルキフェルが言っていたんだ。次は直接、直接でなければ戦いは終わらないって」
コリンは軽く手を振り、ヤンが顎に手を添えて口を開く。
「つまり、エドガーに従っているように見せかけて海軍へ情報を流すということですか」
ジャスパーが海を見据えたまま舌打ち混じりに呟く。
「なんかさ……エドガーの頭、鈍ってる気がするんだよな。人任せするタイプじゃなかっただろ、あいつ」
櫂の音が続く中、ヤンが穏やかな声でぽつりと落とした。
「人の欲というものは底がありませんから。特に、権力や支配欲となれば尚更です。手に入れれば入れるほど足りないものが増えていく。満たされることはなく、やがて判断を曇らせる。それが最も厄介な点です」
小舟はブレスト港の端に辿り着いた。潮の匂いだけがやけに濃く、人の気配はない。係留された船も波に揺れる音をかすかに立てるだけで港全体が息を潜めているようだった。——誰かを悼んでいるかのような、異様な静けさ。やがて、小舟が軋む音を立てて接岸する。最初に動いたのはヤンだった。彼は立ち上がって足場を確かめるように桟橋へ踏み出す。
「では、わたしは宿舎へ向かいます。ついでにソフィーさんを呼んできますよ」
「ああ、頼む」
「気をつけてねー」
マテオが軽く応じ、コリンは船の縁に肘をついてひらひらと手を振る。ヤンはすぐに踵を返した。石畳を踏む足音がやけに乾いて響く。向かう先はキール通りの宿舎。ヤンの歩みは一定で、静まり返ったブレスト港の中へと溶けるように消えていった。
「仕事人だねえ」
「プロ中のプロだからね」
コリンとニールが桟橋を歩き、二人の背後でマテオが伸びをしながら小舟から桟橋へ渡るも目つきは鋭く周囲を目線で把握している。ジャスパーが縄で係留すると立ち上がって桟橋へ踏み出し、初めて目にするブレスト港を隈なく見渡した。敵情視察というより、劇場の下見に来た興行主のように。
ヤンは宿舎を目にした瞬間、足を止めた。港の静けさとは違う、ここにあるのは沈黙そのものだ。ヤンが視線をゆっくりと巡らせると、少し離れた港の桟橋の方角に、二人の女性——スザンヌとリゼーヌが寄り添うように座っている背中が見えた。ヤンが再び宿舎に目を走らせると塀の上にジョルジュが座っていた。ジョルジュは背を丸め、肘を膝に乗せて顔を伏せている。普段の軽口も落ち着きのなさもない、そこに残っているだけの姿だ。ヤンは息を吐くと塀に歩み寄った。
「ジョルジュさん。お久しぶりです」
ヤンが声をかけると、ジョルジュはゆっくりと顔を上げて焦点の合わない視線でヤンを捉える。
「……あなたか。その節はどうも」
ジョルジュは目をを逸らしてぼそりと続ける。
「ちょっと今は……あんまお客さんを歓迎できそうになくて……」
「……そうですか。ですが、お願いがあって参りました。マクシムさんとソフィーさんに用があって」
ヤンが用件を告げると、ジョルジュは息を吐いた。
「ああ、それなら……門の前で待ってて」
ジョルジュはヤンに背を向けて塀から飛び降りた。ヤンは視線を周囲へ滑らせる。静かすぎる。泣き声すらないからこそ、痛みが濃い。一方、宿舎の敷地ではジョルジュが玄関口のペネロペに声をかけている。
「お客さんだ。東洋人のリー・ウェンが来てる。門の外で待たせてるから、ソフィー呼んできて」
ペネロペは一瞬だけ顔を上げ、無言で頷くと宿舎の中へ消えた。ジョルジュが再び塀の上に登った時、ヤンはすでに門前へ向かっていた。
門の外、陽光の中にひとり立つヤンは微動だにせず宿舎の方を見ていた。白い衣は昼の光を受けて淡く輝き、影は足元に落ちている。ヤンの佇まいは静かで一点の隙もなかった。やがて、門の内側からソフィーが現れる。相変わらず凛としている。歩みも姿勢も、視線も崩れていない。軍医としての矜持がそのまま形になったような女だが、少し削れているな。淡い青目の奥に明確な疲労が見えた。隠しているつもりなのだろうが、隠しきれていない。昨夜の戦闘の激しさがそのまま残って、それでも立っている。
——演じている、か。
ヤンはそう判断するとソフィーの方から切り出した。
「何の用ですか?」
「わたしはマクシムさんに用があります。ですが、あなたに会いたいと言っている人がいるので伝えに来ました」
ヤンは簡潔に告げながら港の方へと指を向けた。昼の光に照らされた小さな港。海が穏やかで青く広がっている光景をソフィーは一瞬だけ見つめた。
「わかった。知らせてくれてありがとう」
ソフィーが礼を告げるとヤンの脇を通り過ぎて港へ向かった。
——ああいう人間は折れない。折れたとしても、折れたまま進む。
ヤンは彼女の背を数秒だけ見送り、視線を切った。やるべきことは別にある。ヤンが宿舎の敷地に足を踏み入れて歩みを進めていると、宿舎から出てきたアルフォンスとすれ違った。若いが、纏っている空気は明らかに一般兵ではない。制服の質、歩き方、視線の置き方。
——上層部か。
ヤンは軽く会釈してアルフォンスとすれ違うと、アルフォンスは足を止めて振り返る。
「……この人は……?」
アルフォンスの視線がヤンの背を捉える。珍しそうな目だ。まあ、そうだろうな。東洋人が軍の宿舎を出入りしている。警戒というより、単純な違和感。ヤンは特に応じることもなく歩みを進めた。気にする必要はない。目的はひとつ、マクシミリアン・ブーケのもとへ。
ヤンが執務室に入った瞬間、空気の質が変わった。静かだが、張り詰めている。マクシムは机越しにこちらを見ていた。視線は鋭いが、どこか沈んでいる。
——なるほど。
外の様子と一致する。この宿舎全体が、今は正常ではない。ヤンは一歩間合いを測るように踏み出し、商人としての表情を捨てて、視線を上げて情報屋としての顔を持った。
「ご依頼のあった、エドガー海賊団の拠点調査について報告いたします。報告までにもっと時間がかかるかと思いましたが、不思議な縁の巡り合わせにより、確信を持ってこの場に臨むことができました」
マクシムの目が細くなった。警戒と興味、いい反応だとヤンは内心で思いながら続ける。
「わたしはラド・ド・ブレストを一望できる場所から海岸線沿いに聞き込みを進めました。そして、エドガー海賊団達の隠れ家をつきとめました。その地は、ランデヴェネックです」
空気が一瞬だけ沈むも、マクシムは淡々と口にする。
「それだけではないようですね?」
理解が早い、ヤンはわずかに口元を緩めた。
「周囲の村人たちも、ただの住民ではありません。海賊たちは彼らに金を握らせ、口を閉ざさせているのです」
「君もかなり踏み込んだ動きをしているようだ」
マクシムの評価とも警戒とも取れる言葉に、ヤンは肩をすくめる。
「貴族社会に顔が利く商人を、どうか侮らぬように。さて、エドガー海賊団との接触も果たしました。そこで、思わぬ再会が。五人組の海賊のことはご存知でしょう? ……と言っても、お会いできたのはそのうちの四人だけですが」
マクシムは目を丸くするもすぐに伏せた。
「どこに行っても彼らは現れる。……まさか、君も関わっているとは」
「わたしと五人組の関係が露見するのも時間の問題でしたな。しかし、おかげであなた方が求めるような情報を、手に入れることができました。情報交換という名目でね」
「いったい何を?」
「エドガー海賊団の協力者についてです。実は、彼らの依頼は『旧ブルボン派の動向の調査』でした」
マクシムの瞳が揺れ、理解が追いつき始めてきた。ヤンは後ろ手に組んで脳裏にコリンの顔を思い浮かべながら言葉を紡ぐ。
「その報告書は、今あなたたち海軍に渡っている」
「つまり、彼らは自らの動きを漏らしながら、我々に情報を流していたのか」
「そういうことです。そして、この事実こそがこれからの戦局を大きく動かす鍵となるでしょう」
マクシムが机に両肘をつけて指を組むも、ヤンは熟考する暇も与えずに言葉を投げる。
「実はここへ来る途中、しばらく彼らと同行しておりました」
「なんと?」
「彼らにも別の用事があったようで。同行中、彼らがこんなことを口にしていました。『次は直接対決でなければならない。直接でなければ、この戦いは終わらない』と」
マクシムが考え込む沈黙の中で、ヤンは彼を観察していた。思考の速度は速いが、迷いもある。やがて、マクシムは顔を上げてヤンを見据えた。
「その話を、ここで報告書としてまとめていただけませんか? あくまで『エドガー海賊団と接触した』という建前で」
「ええ、構いませんよ。マクシムさんは特別な得意先ですから」
合理的だとヤンは微笑すると懐から紙を取り出し、羽ペンを拝借して走らせる。
拠点調査報告書。
海賊同盟の拠点はランデヴェネック。周囲の住民たちは金を握られている。さらに、ランデヴェネックに集結した船の数はおよそ五十隻。
商人を装い、一部の海賊たちと接触を果たす。そして、次戦についても情報を入手。エドガー・ロジャースの総動員号令に応じ、次の戦闘は総力戦となった点は夜戦中に決定事項としてエドガー本人の口から明らかとなった、と港に蔓延る海賊たちが他船団に周知していた。そこで、エドガー直管轄船で働いているという海賊の一人と接触。次は直接対決でなければならない、という発言を入手した。準備に数日ほど時間がかかる模様。
ここに、貴殿に調査結果のご報告申し上げる。
ヤンが数分もかからず書き終えるとマクシムに紙を差し出した。
「出来上がりました。こちらになります」
「仕事が早すぎませんか?」
マクシムが目を見開くもヤンは淡々と返す。
「取引はスピーディーに行うのが鉄則ですから。では、私はこれで失礼します。また何かあれば、いつでも使ってください」
ヤンは一礼して踵を返すと執務室を出た。扉が閉まる直前、ヤンは一瞬だけ思った。この男はまだ折れていない。だからこそ、使える。そして、あの五人組もまた同じ。戦局はまだ動く。




