第四章② 四人
ランデヴェネック。太陽はすでに頭上を越えて傾き始めていた。リヴェンジ・クイーンの甲板は慌ただしく、船員たちが行き交い、縄が引かれ、帆が調整される。戦いの前の落ち着かない騒めきの中でジャスパーとマテオ、ニールの三人がぽつんと取り残されたように立っていた。
「……で、これからどうするよ」
マテオが腕を組み、海の方を見たままぼやくように言う。
「次の戦いで決着つくと思うか?」
「いや無理。あれ、どっちかが全滅するまで続くだろ」
ジャスパーが間髪入れずに切り捨て、ニールがうんと伸びをする。
「この戦争……エドガーにとって何が大事なんだろう」
「そりゃ支配に決まってるだろ」
ジャスパーは肩をすくめて顎で周囲を示す。
「こいつら全部、道具だ。駒」
「だからといって続ける理由があるのか……」
ニールの問いが海に溶けるように消えかけた時、透き通るように澄んでいて明瞭な声が落ちる。
「——あいつはあくまで復讐のつもりだ」
「……あぁ?」
「ん?」
三人は反射的に顔を見合わせた。一瞬誰の声か理解できなかったが、三人が一斉に振り返ると忙しく動く船員たちの合間に一人の男が立っていた。長い前髪、顔の傷を隠すように垂れ下がる暗褐色の髪。だが、翡翠の瞳は死んでいない。ルキフェルは三人の顔を見渡して口を開く。
「お前ら、大きな戦を前に忘れたのか。あいつの言葉を——」
「ルカ! おいテメェ、なんで今——」
マテオが言い終わる前に動き出し、ジャスパーとニールもほぼ反射で動く。
「うわ生きてた!」
「お前ほんと何してたの!?」
「うおっ」
三人まとめてルキフェルにドンと突っ込み、バランスを崩してゴロゴロゴロと四人まとめて甲板を転がった。
「ちょ、待て! 重いって!! 離れろお前ら!!」
「引きこもってんじゃねーよ、バカ!!」
「普通に心配するよ!!」
「説明しろ!!」
わちゃわちゃと絡みつく三人に、ルキフェルは押し潰されながら眉を顰める。
「……おい、やめろ」
「やめねえ」
「やめるかよ」
「やめないです」
「……っ、てめえら……」
即答三連発にルキフェルは唸るが振り払えず、四人はしばらく転がり続けていた。……周囲の船員たちが冷ややかに目を向けながら四人を避けて通り過ぎていく。
「邪魔だなあ」
「今それやるか普通」
「どけよマジで」
冷ややかな声が飛ぶが四人は気にしない。ようやく四人の動きが止まり、ぐちゃぐちゃの状態で重なり合ったままルキフェルがため息を吐いた。
「……落ち着いたか」
「落ち着いてねえよ」
「全然」
「むしろ今からだよ」
再び即答三連発、ルキフェルは這い出るように三人の拘束から逃れると襟を正した。
「……悪かったな」
「それで済むと思うなよ」
「あとで全部吐かせるからな」
「順番に聞くからね」
マテオがぼそっと言い、ジャスパーがにやっと笑い、ニールが静かに釘を刺す。ルキフェルは思わず目を細めた。
「……面倒くせえ」
四人は起き上がると甲板の端に腰を落ち着けた。さっきまでの喧騒が嘘みたいに少しだけ静かな空間ができる。遠くで帆が鳴る音と船員たちの怒号の合間にぽつりと間が落ち、マテオが腕を組んで真正面からルキフェルを見据えた。
「……で? 引きこもりがなんで自分から出てきたんだ」
棘のある言い方だが、その裏にあるのは確認だ。ルキフェルはマテオから視線を逸らして返す。
「別に。ずっと籠るつもりだったが、船乗り共の話を聞いてな。出ざるを得なかった」
ルキフェルは三人を順番に見て目をギラつかせると声に圧を含んだ。
「——お前ら、コリンをどこにやった?」
「……は?」
誰かが、いや三人同時に間の抜けた声を漏らした。ルキフェルは視線だけで圧をかけ続ける。
「答えろ」
三人の背筋に冷たいものが走ると同時に同じ結論が浮かぶ。
——こいつ、コリンいなくなったから出てきたのか。
ジャスパーが乾いた笑いを漏らし、ニールも手を上げる。
「いや、ちょっと待て。落ち着け」
「順番に説明するから」
マテオはルキフェルをじっと見つめながら声を押し殺して言う。
「あいつは、オレたちが逃がした。無理やりだ」
「……は?」
ルキフェルの瞳がわずかに揺れる、今度はニールが続ける。
「このままだと巻き込まれる。だから、外に出した」
「放り出したって言った方が正確かもな」
ジャスパーが舌打ちし、ルキフェルの目が細くなった。
「……ふざけんな」
「ふざけてねえよ」
マテオがルキフェルを睨み返す。
「守るためだ」
「守る? 一人にしてか?」
ルキフェルの声が一段低くなり、ジャスパーの眉がぴくりと動く。
「一人じゃねえ。外に出しただけだ。状況から離したんだよ」
「……分かってねえな。守れる奴がそばに居ないと。あいつ、また独りになるだろう」
ルキフェルの掠れた声に三人の表情が一瞬止まるも、ルキフェルは三人を睨んだまま続ける。
「外に出すのが守ることだと思ってんのか。違うだろ、隣に居ることだろう」
「……じゃあどうすんだよ。このまま船に置いといて巻き込ませるのが正解か?」
ジャスパーが歯を食いしばり、マテオも被せるように吐き出す。
「ルカ、この状況分かってただろ。守りきれる保証なんてねえんだよ。だから選んだんだ、離すことを」
ルキフェルは三人から目を逸らして舌打ちする。
「……あいつの場所は」
「知らねえ」
マテオが答え、ジャスパーが続ける。
「でも、あいつのことだ。勝手に動いてる。生きてる可能性は高い」
ルキフェルは甲板の木目を視線でなぞり、目を閉じて唸る。
——心配は尽きないが、信じるしかない。
ルキフェルは深いため息を吐くと目を開けて三人を順番に見つめた。ニールが膝を抱え直して呟く。
「これからどうしよっか。僕、どうしたらいいのか分かんないよ」
ニールの少し潤んだ青目がルキフェルを捉えた。如何にも助言を求めている、仲間に対しても狡いやつ。ジャスパーが伸びをしながら言う。
「まったくだな。前進も後退もしてねえ」
「ルカ、お前がわざわざ出てきたってことはコリンのことだけじゃないだろ?」
マテオが不敵に笑うと、ルキフェルも釣られて口元を緩ませた。
——ここからだ、温めてきた次の一手へ行ける。
「ああ、それなら俺に考えがある。いいか、よく聞け」
四人が身を寄せ合ってゴニョゴニョと会話が続き、周囲の船員たちが作業を進めている中、一人の船員が船長室へと消えていった。
「……なるほど。良い演出プランだ」
ニールが締めた時、四人の間にすっと影が落ちた。誰かが来たというより割り込まれたような感覚にジャスパーが先に気づく。
「……あ?」
四人が視線を上げるとエドガーが見下ろしていた。どうやら、わざわざ船長室から出てきたらしい。
「ほう、お前が出てくるとはな。足は治ったか? あれだけ長いこと籠っていたのに、心はまだ死んでいないらしい」
エドガーの露骨な挑発にも動じず、ルキフェルは睨み上げる。
「勝手に決めるな。仲間が消えて居ても立っても居られないだけだ」
マテオたち三人が息を呑むも、エドガーは一瞬だけ目を細めて興味なさげに流した。
「あ、そう。それより、お前が止めたがっていた戦争が遂に始まったぞ。変なプライドで閉じこもっている間にな。もう、お前はオレを止められない。お前の自由は、今もオレの手の中だ」
エドガーが支配宣言をルキフェルに向けていったあと沈黙が落ちた。風の音だけがわずかに流れる中でルキフェルは立ち上がるとエドガーとの距離を詰めた。
「……お前の理屈で言うなら、俺はこの船じゃ“捕虜”ってことか? 他の四人は契約。俺だけ奴隷。目的のためなら何でも利用するお前が、なぜ俺だけを縛る? ……引きこもってる間、ずっと考えていた」
エドガーは眉間に皺を寄せるもルキフェルは続ける。
「俺が自分の自由を賭けた相手はフェルナンドだ。……あいつがお前に捧げたのも自分の勝利。そのフェルナンドも、今は海軍に捕まってるとか」
ルキフェルがくつ、と喉の奥で乾いた笑いを漏らした。
「エドガー、お前はバカじゃない。本当は気づいてるだろ? ……俺が怖いんだ。だから首輪をつける、この船に縛る。俺に自由を与えたら自分が噛みつかれることになるから」
エドガーの口元がわずかに歪む。笑っているのか違うのか、判別はできないがルキフェルは続ける。
「戦争は勝敗つかないかもしれない。けどな——お前はもう、負けてる。今は認めたくないだけだ」
あちこちで息を呑む声や騒めきが湧くもエドガーはふっと息を吐く。
「……面白いことを言う。ああ、そうだ」
エドガーが何かを思い出したように指を鳴らした。
「契約といえば……この船にいる連中は全員条件付きだ。船から離れるな、命令に従え。だが、ガキが一人消えた」
ルキフェルの目が細くなるもエドガーは四人に視線を巡らせながら楽しげに続ける。
「契約違反だ。つまり、あのガキはもう“外”の人間だ」
エドガーの言葉にマテオの肩がびくりと動き、ジャスパーの表情が固まり、ニールの瞳が鋭くなる。ルキフェルは顔を顰めて押し黙っているとエドガーは周囲の海賊たちに向けて蛮声を投げる。
「おい、ランデヴェネックを隈なく探せ。ガキ一人だ、すぐ見つかる。見つけたら連れてこい。生きていても、死んでいても構わん」
数人が反応し、ルキフェルはエドガーに向かって声を荒げる。
「やめろ」
「なんだ? 契約違反者の処理だ」
エドガーが当たり前のように言った瞬間、ルキフェルが一歩踏み出す。
「ふざけんなッ! ガキ一人にそこまでやるか普通! やりすぎだ」
カチャリという複数の金属音がし、いつの間にか数人の海賊が距離を詰めていて銃口や刃を四人に向けられる。ルキフェルは歯を食いしばっているとエドガーが嘲笑った。
「ほらな。ここに自由はない。お前の言う意志とやらもこの程度で止まる。……覚えとけ」
その時、タラップを駆け上がる軽い足音が二つ鳴り響き、張り詰めた空気の中であまりにも不釣り合いな声が落ちた。
「お邪魔しまーす」
明るい声音にその場にいた全員の視線が一斉にそちらへ向く。甲板に現れたのはアーシャとフェリスだった。第八船団の船長とクォーターマスターというあまりにも場違いな存在に海賊たちが一瞬戸惑うも、エドガーは彼女らを見て長く息を吐いて気だるげに言う。
「……なんだ、お前らか。なんの用だ」
アーシャは気にする様子もなく、ずかずかとエドガーに歩み寄る。
「偵察に行ってましたー。海軍のやつら、チョロいです」
「外海ばっか見てて、内陸側の港はガラ空きでした」
フェリスが横で小さく肩をすくめるとエドガーの目が露骨に光る。
「ほう?」
エドガーの反応を見て、アーシャはにやりと笑うとフェリスと目を合わせて懐から紙を取り出す。
「それでですねー、例の少年も探しながら港をぶらついてたら……これ、見つけちゃって」
アーシャとフェリスが五枚の紙——指名手配書を掲げて風に揺れた。
——元フランソワ海賊団、残党。凶悪な五人組海賊、“五鬼衆”。
五人の似顔絵、そこにいる四人と、この場にいない一人。甲板の空気が凍ってエドガーの眉が寄る。
「……は?」
エドガーは手配書とルキフェルたちを交互に見た。彼の視線が一度、二度、三度と往復して口を開いた。
「お前ら、海軍に把握されてるけど?」
ルキフェルは自分の手配書をじっと見つめていた。黄ばんだ紙に描かれた自分の顔、歪められた輪郭だが 、自分だと分かる線に息が詰まる。理解している、これが意味するものを。海軍内部だけの“影”だった存在が今、形を持った。外に出て広まり、狩られるという現実が一瞬で突きつけられる。マテオがルキフェルの背後で口を開く。
「……これ、もう回ってんのか」
「時間の問題、だね」
ニールが目を細め、ジャスパーは舌打ちした。ルキフェルはエドガーを見つめ、エドガーは彼の視線を受けてアーシャから手配書を引ったくってひらひらと揺らしながら言い放つ。
「面白いな。海軍も、ようやく追いついてきた。これで、お前らの逃げ場はどこにもない」
エドガーはアーシャとフェリスに好奇な目を向けた。
「お前ら。正直、侮っていたぞ。隠密が得意なんだな」
「まあ、それなりに」
アーシャが肩をすくめ、エドガーは二人を指差す。
「よし、任務だ。コリンとかいうガキを探せ。消えてから一日経ってる、もうランデヴェネックを出ている可能性もある。探し出して連れてこい」
「はーい」
アーシャとフェリスは顔を見合わせると踵を返した。二人は黒船からタラップを渡って桟橋に降り立って港の喧騒に姿を消し、人目が離れたところでアーシャの表情が険しくなる。
「……まずいことになったね」
「兄さんたち、また動けなくなった。緩和どころか……捕虜に逆戻り」
「急ごう」
「うん」
二人は再びブレストへ向かうため自船団の元へ港を駆け抜けた。一方、リヴェンジ・クイーンの甲板ではエドガーが指名手配書を眺めて鼻で笑うと一枚を指で弾いた。
「元フランソワ海賊団の部下たち。五鬼衆、か。変な名前だ」
エドガーの一言に周囲が騒めいてじわりと四人との距離を開けていく。
「海軍に恐れられてるってことか?」
「やっぱヤバい奴らなんじゃ……」
「悪魔だ……」
ルキフェルが口を開きかけると、彼の背後からマテオの声が飛んだ。
「あーあ、海軍にもバレちまったら仕方ねえ」
次の瞬間、ルキフェルの背に衝撃が走ると同時に視界が揺れ、身体が甲板に叩きつけられて間髪入れずにマテオに押さえ込まれた。周囲が騒めき、エドガーも一瞬思考停止するもすぐに周囲を睨みつける。
「騒ぐな」
エドガーの低い一声で騒めきを押さえ込む間、ルキフェルは頭を真っ白にさせていた。
「……なんで」
「悪いな、ルカ」
ルキフェルの耳にマテオの囁きが落ちた。
「エドガーを殺すには、あいつの復讐に乗るんだろ? 油断したところを殺す、オレたちが救い出す」
ニールとジャスパーがお互いに視線を交わし、ルキフェルは溜め息混じりに呟く。
「……今、実行すんのかよ。俺の作戦」
「今がチャンスだろ」
マテオが即座に返すと、周囲に聞こえるように声を張った。
「戦争の只中でマクシミリアン殺し、悪くねえな。オレたちはエドガーと契約を交わした仲だ。そう——オレたちこそ、あのフランソワ船長の元で動いていた者。この弔い合戦、オレたちも参加する。これは利害の一致だ」
エドガーが四人を振り返って満足げに口元を歪める。
「やっと分かってくれたか。フランソワを奪われた者同士、ともに手を携えて挑むぞ」
周囲が騒めき、四人を凝視しながら恐れ慄く空気へと移り変わっていく。
「こいつらが……元フランソワ海賊団?」
「本物かよ……」
「海軍も恐れる連中が……」
マテオは周囲の騒めきを意図的に利用し、ルキフェルを押さえ込んだまま顎で彼を示す。
「言っとくが……こいつ、誰よりも強えからな? 殺すのは勿体ねえ。閉じ込めといて、いざって時に放り出せばちゃんと暴れ回る。こいつにとっちゃ——人を殺すってのは呑んでた杯を机に置くのと同じなんだよ」
騒めきが阿鼻叫喚に変わる。恐れと興奮が混ざった空気の中で四人だけが異様に静かだった。ニールが騒ぎに紛れるように低く呟く。
「スケールのデカさに気を取られがちだけど、元々戦争自体が“復讐”なんだよね。……つい、忘れちゃう」
ジャスパーが鼻で笑う。
「忘れるかよ。その中での狙いは一つだろ? マクシミリアン・ブーケ。上手くいけば——ベルナルドを殺した“真意”も引っ張り出せる」
ルキフェルが息を詰まらせながら甲板の木目から顔を上げた。
「……もうしばらくの辛抱だ。お前ら、うまくやれ」
「うるせえぞ。あんま喋んな、囚人」
マテオが即座に被せ、ジャスパーがケタケタと笑う。
「ははっ、ほんとにな」
「……次、どうしようかな」
ニールは困ったように肩をすくめるが、頭の中ではすでに盤面が組まれている。エドガーとマクシミリアン、どこでどうぶつけるか。どうすれば“その場”を作れるか。甲板の中央、エドガーはすでに別の話をして声を張った。
「お前ら、二度目の襲撃は明日だ! 夜に動く。この第一船団は出ないが、準備は怠るな」
命令に疑いも迷いもない。あるのは——支配と復讐。エドガーの視線はもう四人を見ていなかった。次の戦い、次の破壊しか頭にない。エドガーの背中を四人は見ていた。彼らの想いは一つ。
——エドガーを殺す。そのために奴の計画に乗じる。奴の信頼を得るには……“仲間割れ”を演出する。




