↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/63

第四章① ティエン

 キール通りの石畳を打つ蹄の音が乾いた空気を切り裂いていく。


 ティエンは手綱を軽く操りながら前方の景色へ目を向けていた。通りの幅と人の流れ、それに建物の配置を一瞥で拾い上げながら進んでいき、やがて道筋の脇にある一角を通り過ぎた。


 マクシミリアン隊宿舎、二階の窓際でスザンヌは呆然と外を眺めていた。彼女の視線の先にはラド・ド・ブレストの海。穏やかな水面の奥にあるものは静かな日常ではない。その時、スザンヌの視界の下端で白が横切って思わず声を漏らした。


「……あれ」


 通りを駆け抜けていく白馬、その上にいる青年。従兄弟の顔が脳裏をよぎってスザンヌは一瞬息を呑んだ。エティエンヌに似ている……が、スザンヌはすぐに首を振った。


「……まさか」


 そんなはずがない、ここはブレストだ。いくらあの男が自由奔放とはいえ、戦の最前線に来る理由がない。スザンヌは目を伏せると海に視線を戻した。


「気のせいよね」


 風がカーテンを揺らす。迫り来る戦乱の中で、彼女の心は自分が果たすべき役割へと向いていた。白馬のことなど、もう頭にない。一方、ティエンは城の近くで馬を止めると人気の少ない路地に繋ぎ、白馬の首元を軽く叩いた。


「ここで待ってろ」


 白馬は鼻を鳴らすもティエンは背を向けて歩き出した。彼の視線はブレスト城の高い外壁と見張り台、巡回の動きと出入りの流れを捉えていた。


「よく出来てるな」


 力任せでは崩せない構造だが、それだけに外にいる人間の動きが鍵になる。ティエンは暫く歩きながら周囲を見渡した。城を視界に入れ続けられる場所、人の出入りがあり、なおかつ長居しても不自然ではない場所。やがて、彼は一軒のカフェに目を留めて扉を押し開けると鈴の音が控えめに鳴った。店内は落ち着いていた。客はまばら、通りに面した席も空いている。

 ティエンは窓ガラスを前にする出入り口付近の席に腰を下ろすと、近寄ってきた店主に「紅茶」と注文した。ティエンは窓から通りや城門へ続く動線に目を光らせ、やがてカップが置かれて湯気が立ち上った。


 店の奥まったテーブル席ではドミニクが紅茶を口に運びながら顔を上げた。彼の視線の先、窓際に座る青年を見つけて一瞬だけ眉が寄る。見覚えがある。いや、似ている。記憶の底に引っかかる輪郭を救おうとしたが、すぐに思考を打ち消すようにカップをソーサーに置き、口の端だけで笑って声を二段階くらい落とす。


「……いや。我らが崇拝してやまない王家の血を継ぐ長男がこんな街に来るわけない」


 ドミニクの向かいに座るピエールは湯気を顔面に浴びながら紅茶をちびちびと飲んでいる。ドミニクはくすりと小さく笑って再びカップを持ち上げた。


「気のせいか」


 仄かな甘い香りが二人の間に広がる。一方、当のティエンはカップに手をつけることもなく通りを眺め続けていた。紅茶から湯気を立たなくなった頃、店の奥で二人分の椅子が引かれる音がしてティエンはほんの僅かにだけ視線を滑らせた。黒衣の男と、その彼の隣にいるもう一人の男がティエンの側を通り過ぎて会話もなく店を出ていっき、扉の鈴が小さく鳴った。ティエンは数秒遅れて呟いた。


「……なんだ今の」


 違和感。はっきりとは掴めないが、何か引っかかっている。ティエンは視線を外に向けて記憶をなぞった。黒衣の方はいい、ああいうのは普通にいる。珍しくない。むしろ、分かりやすい。問題はもう一人、服装は簡素で高価には見えない。庶民っぽいのに、どこにでもいるような格好だが——。


「動きが妙に綺麗だったなぁ。歩幅と重心が揃っていたし、無駄がない。いや、癖がない? 歩き方が浮いてた。……それに」


 ティエンは鼻を啜って目を細めた。あまり香りもしたが、ただ甘いだけじゃない。少しだけ頭がぼやけるようなもの。


「……なんだあれ」


 どこかで嗅いだことがある。ティエンは頬杖をついて記憶を遡ると声を漏らした。


「……あ、あれか」


 リー・ウェンたちが何かを隠していた場所。あの時、漂っていた香り。


「夢蛇だっけか。なんか、やばいやつ……でも香水、か?」


 曖昧な認識のまま結論だけが残り、ティエンは椅子に深く背を預けた。今の街の空気を思い出す。貴族たちの間で香りが流行っているという話、異国の香料と珍しい匂い、高価な嗜好品。


「ああいうの、混ざっててもおかしくないよな。ってことは……今の人、被害者か。密輸品、掴まされてるやつ」

ティエンは欠伸を噛み殺しながら再び外を見渡した。


 「まあいいか。気にするほどでもない」


 まさか、こんな賢い若者でもニアミスした相手が首謀者側で夢蛇をばら撒いた張本人且つ中毒者という事実に追いつけなかったとは。そうして、ティエンは犯人を取り逃がして再び観る側へと戻る。やがて、昼になってカフェを出たティエンは繋いでいた白馬の手綱を取り、並んで歩き出した。彼らの背後にはブレスト城、石の壁が変わらずそこにあるが、昼の光の中で見る城は朝とはまた違う圧を持っていた。海風が吹き荒れ、ティエンの外套の裾が揺れて白馬が軽く鼻を鳴らした。


「……もう少し歩くか」


 一人と一頭は海岸沿いを進んでいった。潮の匂いと波の音、遠くで軋む船の音を堪能しながらキール通りに差し掛かった時、彼らの前方で奇妙な光景が目に入った。若い女と黒い馬が向かい合っている。


「……なんだあれ」


 ティエンは思わず足を止めた。黒い馬は荷を積まれているが、その場から動こうとしない。というより、動く気がない。女の方も困ったように腕を組んでいる。女が振り返ってティエンと隣の白馬を見る。


「あ、白馬だ。可愛いー」


 彼女のぱっと顔を明るくなり、黒い馬がブフンと鼻息を荒くした。明らかに白馬を見て睨んでいる、と言ってもいい。ティエンは一瞬黙るも状況を理解して軽く一礼した。


「どうも、マドモアゼル。何かお困りですか?」


 女——メリッサは少しだけ苦笑して黒馬をちらりと見る。


「いやぁ……この子のお世話係さんが走って逃げちゃって」

「……逃げた?」

「はい。この子、気性が荒めなのでその人にしか心を開かないんです」


 黒馬がブフッともう一度鼻を鳴らす。タイミングが絶妙すぎてティエンは少しだけ目を細めた。


「……なるほど」

「荷物もありますし、このまま放っておくわけにもいかなくて」

「……まあ、そうですよね」


 ティエンは頷くと少しだけ考えて白馬の手綱を持ち替える。


「じゃあ、手伝いますよ」


 メリッサがぱっと顔を上げる。


「え、いいんですか?」

「ええ。ちょうど暇してるので」


 ティエンは軽く笑うと黒馬の方へ歩み寄って距離を詰めた。黒馬がぐっと首を上げ、ティエンは手を上げる。


「……はいはい、別に取って食ったりしないって。強気だな」


 ティエンは黒馬の手綱に手をかけると、黒馬が身を引こうとするがティエンはすぐ引いた。


「大丈夫だって」


 ティエンが白馬の手綱も引くと、白馬が少しだけ前へ出て黒と白の二頭が並んだ。黒馬がもう一度鼻を鳴らすが、ティエンは両手にそれぞれ手綱を握って歩き出す。


「ほら、行きますよ」


 メリッサが慌てて彼らの後ろをついてくる。


「ありがとうございます……!」

「いえいえ」


 メリッサの案内のもと、ティエンはキール通りを抜けて宿舎の門を通り過ぎ、中へ入った。


「この辺りです」


 メリッサは黒い馬がよく繋がれている場所を指差した。杭、縄、蹄の跡。ティエンは黒馬をそこへ導くと手際よく繋いだ。


「よし、終わり」


 黒馬がようやく落ち着いてブフッと一度鼻を鳴らすと、ティエンは手を離して白馬の方へ戻った。メリッサが深く頭を下げる。


「本当に助かりました」

「気にしないでください。馬、好きなんで」


 ティエンは白馬と共に踵を返し、門を出ると再び通りへ出た。


「……なんだかんだで時間食ったな」


 だが、悪い気はしない。ティエンはそのまま白い馬と共にブレスト港へ足を向けた。港は想像通り静かだ。昨日の戦闘の余波か、ここも人の数は少ない。荷を運ぶ音と縄を引く音、低く抑えた声があちこちに散っている。ティエンは白馬の手綱を引いたまま何気ない顔で歩き、耳だけで周囲の音を拾っていった。


「聞いたか、あの件」

「どれだ」

「ほら、例の……五人組」


 ティエンの足が止まりかけるが、止めずに進んでいく。


「海軍がやけに警戒してるやつか」

「ああ。なんでも、かなり厄介らしい」

「……たった五人でか?」

「さあな。ただ、上が騒いでるってことは普通じゃないんだろ」


 ティエンは何も知らないふりで通り過ぎていくが、頭の中では線が繋がる。


 ——五人組、海軍が警戒。……コリンたちのことか。確証はない、まだ影のまま。


「ちょっと君」


 突然低く落ち着いた声がかかり、ティエンが振り返ると紺色の軍服の男——ダヴィットが仁王立ちしていた。右目にかかるように縦へ走る一本の切創跡が、ただでさえ強面なのに見る者に対して一層圧をかけてくる。


「あまり外を出歩かない方がいい。またいつ海賊が襲ってくるか分からん。海の近くには寄るな」


 ティエンは目を瞬かせて民間人の顔を装った。


「え、あれ……霧の中の戦いって海賊の仕業だったんですか?」


 ダヴィットの顔が固まって肩が強張った。


 ……しまった。


 彼は咳払いしてから呟く。


「……あんま周りの奴らに言うなよ」


 ティエンは一歩だけダヴィットに踏み込んだ。


「無理です。お願いです、軍人さん。せめてオレだけにでも教えてください。軍人さんがどんな相手してるか、分かるだけでも安心するところあるんで」


 ダヴィットはしばらく考えたあと息を吐いた。


「まあ、簡単にいえば大物だな。君も知ってしまったからには少し協力してもらいたい」


 ダヴィットが懐に手を入れると折り畳まれた紙が数枚、取り出された。


「これはまだ公には出てないが……そのうち街中にも回る」


 ティエンはダヴィットから受け取って紙を開くと、紙面の見出しには「通称・五鬼衆」と大々的に記され、文字の下に似顔絵が並んでいた。


 ニール、コリン、マテオ、ジャスパー、ルキフェル。全部、知っている顔だが、描かれ方が違う。


「美しい毒草、油断できん、狡猾で強い、カモフラージュ、超危険人物」


 ティエンは一枚一枚目を通しながら読んでいるとダヴィットが踵を返した。


「この顔にピンときたら連絡しろ。酒場の壁にでも貼っとけ」


 重く硬い足音が遠ざかり、ティエンは額にじわりと汗を滲ませた。


「……まずい」


 ティエンは紙を折って丁寧に懐にしまうと顔を上げた。さっきまでと同じ港のはずなのに景色が違って見える。影だったものに名前がついて、顔がついた。そして、狩られる側になった。


「……急ぐか」


 ティエンは白馬に飛び乗って手綱を引くと港を駆け抜けた。向かう先は酒場、あの少年に知らせなければならない。もう“知られている”事実を。



 硝子器具の中で揺れていた煙がふっと収まると、コリンはフラスコを傾けて慎重に中身を別の容器へと移した。トンと小さな音とともに机の上に並べ、コリンは隠しきれない高揚を呟きに滲ませる。


「できた」


 彼は指先を軽く鳴らすと炎が灯り、並べた小瓶を照らして見下ろすとうっとりと目を細めた。


「いいね。今度こそ、ちゃんと使えるやつ」


 コリンが恍惚とした表情でひとつ手に取り、まるで宝物でも眺めるように呟いた瞬間、扉が開く音とともにティエンの声が差し込んだ。


「おーい」


 コリンはティエンにチラリと視線だけ向けた。


「おかえり」

「ただいまって、お前……なんかやばい顔してんな」

「普通だけど」

「いや普通じゃねえよ。それより、これ」


 ティエンは苦笑しながら店の中へ入ると懐から紙の束を取り出すと、パサリとカウンターの上に広げた。コリンの視線が一枚ずつ視線でなぞる。ニール、自分、マテオ、ジャスパー。そして、ルキフェル。しばしの沈黙、やがてコリンは心底どうでもよさそうな声をあげる。


「……だっさ」


 ティエンが思わず吹き出しかける。


「第一声それ?」

「いや、だってさ」


 コリンは自分の似顔絵をつまみ上げ、じっと見つめる。


「五鬼衆ってなに? もっと他にネーミングなかったのかな」

「そこ気にする?」

「気にするでしょ普通」


 コリンはさらっと言いながら紙をぱらぱらとめくるが、目は遊ばず情報として読み取っている。ティエンが腕を組んだ


「で。どうする?」


 コリンは少しだけ視線を上げて天井を見つめると声を漏らして口元を歪める。


「あ、じゃあこれも利用させてもらお」

「は?」


 ティエンが片眉を上げるとコリンは紙をひらひらと揺らしながら楽しげに言う。


「今、第八って港にいるよね」

「ああ」

「これさ、エドガーのとこに持っていかせよう」

「……なんで?」


 コリンはにやりと笑った。


「これ、ぼくたち海軍に恐れられてるってことだよね?」

「まあ……そうだな」

「じゃあさ」


 コリンは椅子に浅く腰掛け、足を軽く揺らす。


「海賊たちにも見せればいいじゃん。 『あいつらヤバいぞ』って。そうすれば、仲間が酷い目に遭うことも減るでしょ。ついでに第八の評価も上がるし」


 ティエンはふっと笑うと一枚紙を持ち上げた。


「なるほど、悪くねえ」

「でしょ」


 コリンはもう興味を失ったように再び小瓶へ視線を戻した。


「てことで、よろしく」

「はいはい」

「じゃ、行ってくるわ」

「いってらっしゃい」


 ティエンが酒場から出ていくとコリンは小瓶を手に取って炎を灯した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。