②自立への焦り
私がこのひどく煤けた世界に転生してから、およそ三年という月日が流れた。
身体は順調に成長し、自分の足でしっかりと歩き、舌足らずながらも言葉を操ることができるようになっていた。
無論、前世の記憶と大人の知能を持つ私は、両親の前では「少し大人しいが、手のかからない都合の良い幼児」を完璧に演じ切っている。
なぜなら、このスラムにおいて「手のかかる子供」は、親に見捨てられて間引きされるか、あるいは最も過酷な労働へと早くから放り出されるリスクが高いからだ。
窓の外を見下ろせば、この時代の貧困層の子供たちがどのような運命を辿るかは一目瞭然だった。
向かいのアパートに住む七歳の少年は、毎朝夜明け前に巨大な紡績工場へと向かっていく。彼の仕事は「スカベンジャー」だ。高速で稼働する巨大な織機の下に四つん這いで潜り込み、床に落ちた綿のくずを拾い集めるという極めて危険な業務である。彼は1日14時間も働かされ、すでに機械に手を巻き込まれて左手の指を二本失っている。
また、路地裏をうろついている年端もゆかない子供たちは、汚水にまみれた通りを這いずり回り、皮革なめし工場に売るための犬の糞を素手で拾い集める「ピュア・ファインダー」として日銭を稼いでいた。彼らの肌は常に不衛生な汚物に触れているためひどい皮膚病に侵されており、常に感染症による死の危険に晒されている。
彼らは皆、親によってその地獄へと売り飛ばされたか、あるいは家族の負債を返すために自らストリートに立つことを強いられた子供たちだった。
翻って我が家はどうだろうか。
父アーサーと母メアリーは、相変わらず日々の黒パンすら満足に買えない極貧生活を送っている。父は工場で肺を悪くしそうな咳をしながら働き、母は富裕層の洗濯物を請け負って手がひび割れている。
彼らは、自分の食事を削ってでも私に食べ物を与えようとする。私が少しでも咳き込めば、血相を変えて心配し、ボロ布を何重にも巻いて温めようとする。
傍から見れば、それは涙ぐましい「親の愛」に他ならないだろう。
だが、合理主義者に毒されて、人間関係を損得勘定でしか測れない私からすれば、その行動の裏にある「打算」が透けて見えて仕方がなかった。
(彼らは、将来の確実な『リターン』のために、今、必死に『投資』をしているのだ)
私が病気で死んでしまえば、これまでの食費がすべて無駄になる。私が健康に育ってこそ、いずれ工場やストリートで働き、彼らに賃金を上納する優秀な労働力となる。だから今は、資産価値を落とさないために必死にメンテナンスをしているに過ぎないのだ。
前世の私がそうであったように、親というものは、いざ自分たちの首が回らなくなれば、掌を返して子供を搾取の道具にする。この極限の貧困状態において、その日が来るのは時間の問題だった。
(親に売られる前に、私自身の手で稼ぐ手段を確立しなければならない。誰にも依存しない、私だけの『自律』の基盤を)
私は固く決意した。資本主義社会において、絶対的な自由を保障するのは「自分の手で稼ぎ出した富」だけだ。




