第10話 売上アップ作戦
「コスプレデー、次はいつですか?」
この一週間で、同じ質問を隼人は二十回は受けた。
佐伯が撮った隼人の犬耳写真は、SNSで思いがけずバズったのだ。「尻尾が動くコスプレの店」として、見知らぬ人たちの間で話題になり、予約サイトへのアクセスはいまだに落ちていない。新規の予約も、先月の倍に増えている。
「次は未定なんです」
隼人は、その質問に毎回そう答えるしかなかった。
あの薬を、もう一度飲むつもりはない。それに、薬の効き目が切れるまで、猫たちは半日以上も隼人に近づかなかった。店長が犬になるたびに店の子たちを怯えさせるわけにはいかない。
それでも、せっかく集まった注目を逃す手はなかった。
◇
閉店後の事務所で、隼人はホワイトボードに向かった。
「コスプレデーで初めて来てくれた人たちに、もう一回来てもらいたいんです。そのために、うちのデートプランを一覧にして、予約サイトのトップに載せようと思って」
ホワイトボードには、これまでに作ってきたプランが並んでいる。指名争いのあとに組み直したゆきとみかんのプランと、とわのために考えた屋内のプラン。
〈ゆき:予約の取れないお嬢様デート。月四回限定〉
〈みかん:商店街の食べ歩きデート〉
〈とわ:ボルダリングと屋内アスレチック〉
〈くるみ:〉
くるみの欄だけが、空白だった。くるみに合うプランだけは、まだ考えられていなかった。
「くるみさんは、何がいいと思います?」
事務所の入口で腕を組んでいた鈴に、隼人は振り返って聞いた。
みかんが猫に戻れなくなった、あの夜から、鈴は少しずつ、事務所に入ってくれるようになっていた。目を合わせてくれる時間も少しだけ長くなった。
「……静かなところです。人の少ない静かなところ」
「図書館とか?」
「古本屋さんの方がいいと思います。くるみ、紙の匂いが好きなので」
「それだ!」
隼人は、くるみの欄に書き込んだ。
〈くるみ:古書店めぐりと、静かな読書デート〉
予約サイトのトップに、プランの一覧を載せると驚くほど当たった。コスプレデーで店を知った客たちが、今度は、それぞれの子のプランを目当てに戻ってきたのだ。
ゆきの「予約の取れないお嬢様デート」は、毎月一日の夜九時に受付を始めることにした。
最初の月、隼人は事務所のパソコンの前で、時計の針が九時を指すのを見守ってみた。九時ちょうどに受付画面を開く。九時一分、一枠目が埋まった。九時三分、二枠目と三枠目。九時五分、最後の一枠が消えて、画面に「受付終了」の文字が出た。
受付に間に合わなかった久保田からは、「来月こそは」と、ずいぶん悔しそうなメールが届いた。
ゆきは棚の上でその話を聞くと、ふん、と鼻を鳴らして、それから、いつもより念入りに毛づくろいを始めた。
みかんの食べ歩きデートは、駅の裏の商店街を一軒ずつ回るコースだった。
コロッケの肉屋、焼き鳥の屋台、たい焼きの店。三週目には、肉屋の主人が、みかんの顔を見るなり揚げたてのコロッケを紙に包んで待っているようになった。「お嬢ちゃん、今日も来たね」。たい焼き屋のおばあさんは、みかんのためだけに、しっぽまであんこを詰めた特製のたい焼きを焼いてくれる。
みかんと一緒に回った客たちは、食べ歩きよりも、店主たちとのやりとりの方を楽しみにしているようだ。
とわのボルダリングデートは、一覧に載せた一枚の写真が決め手になった。常連の佐伯が撮った、天井近くの壁を駆け上がっていく、とわの後ろ姿の写真だ。
とわは、壁のいちばん難しい課題を、手足だけでするすると登りきってしまう。ジムに通う小学生たちは、とわを見かけると、すぐにまわりに集まってくる。
「とわ姉ちゃん、今のどうやったの!」
「なんとなく」
「なんとなくで登れるわけないじゃん!」
とわは、子どもたちの前で何度でも同じ壁を登ってみせた。土曜の午後には、ジムの壁の前に、とわを待つ子どもたちの列ができるようになった。ジムの店長からは、隼人の会社に、子ども向けのシューズを追加で発注したいと連絡が来た。
そして、嬉しいことに、くるみの読書デートにも、予約が殺到した。
◇
「くるみさんの出勤、週に二回から四回に増やせませんか」
翌週、隼人は予約表を手に鈴に相談した。
「くるみさんの読書デート、キャンセル待ちが十人もいるんです。せっかく来てくれる人たちを待たせっぱなしにするのはもったいないと思って」
「だめです」
即答だった。
「くるみは一日一件が限界です。週二回でも多いくらいです」
「でも、くるみさん、最近だいぶ慣れてきたじゃないですか。この前なんて俺の隣に――」
「慣れてきたのは店長にだけです」
鈴の声が少し強くなる。
「くるみは、もとは外で暮らしていた子です。人間が怖いんです。デートのあとは、毎回段ボール箱の中で、しばらく震えてるんですよ。知りませんでしたか」
それを聞いて言葉を失った。
知らなかった。デートから帰ってきたくるみは、いつも黙って控え室に戻っていく。隼人は、それを「無口な子だから」としか思っていなかった。
その日の夕方、読書デートから帰ってきたくるみのあとを、隼人はそっとついていった。控え室に入ったくるみは、人間の姿のまま段ボール箱の中に体を押し込んだ。それから、膝を抱えて小さく、小さく丸まった。
肩が、震えている。
隼人は、部屋の入口で立ち止まった。くるみは、怖いのを我慢して、仕事をしていたのだ。客に喜んでもらうために。この店にいるために。キャンセル待ちが十人いる。売上が伸びる。そんな数字のことしか見ていなかった自分に猛烈に腹が立った。
「……ごめん、くるみさん」
隼人は誰にも聞こえない声でつぶやいた。
翌日、隼人はくるみの予約の仕組みを変えた。
出勤は週二回のまま。そのかわり予約は抽選制。当選した客には、くるみが人見知りであることを前もって丁寧に説明する。大きな声を出さない。急に近づかない。くるみが話し出すのを、ゆっくり待つ。
抽選の倍率は、かえって跳ね上がった。
◇
月末の夜。閉店後の事務所で、隼人と鈴は、ひと月分の売上を数えていた。
電卓を叩き終えた隼人は、思わず声を上げた。
「先月の、一・八倍です!」
「……すごいですね」
帳簿をのぞき込んで、鈴が感嘆するように息をついた。
「店長、本当に商売が上手なんですね」
「営業の仕事が長いので。それに、昔、自分で会社をやってたこともあるんです」
言ってから、少しだけ迷った。この話を誰かにするのは久しぶりだ。だけど、鈴になら話してもいい気がした。
「大学のときに友達と二人で始めたんです。部活とかサークル向けに、スポーツ用品を安く貸し出す仕組みを作って」
「レンタルですか」
「はい。レンタルです。レンタル業と縁があるのかもしれないですね」
隼人はくすっと笑った。
「最初は、二人で夜通し語り合ってました。こうしたら学生が喜ぶ、ああしたら全国に広げられるって。あいつ口癖みたいに言ってたんです。『お前と組めてよかった。一生、一緒にやろうな』って。いい仲間でした。……でも、会社が大きくなって、投資してくれる人が増えたら、だんだん、あいつと意見が合わなくなって」
電卓の上で指を組む。
「最後は、株の過半数を持ってたあいつが、ほかの株主と組んで、俺を経営から外しました。鍵を返しに行った日、オフィスは空っぽでした。机もホワイトボードも全部運び出されてて」
事務所に、しばらく沈黙が落ちた。壁の時計の秒針だけが、やけに大きく聞こえる。
「……恨んで、ないんですか」
「恨んでも会社は戻ってこないので。それに、『一生一緒にやろう』って言ったとき、あいつは本気だったと思うんです。最後がどうなっても、あのときの言葉まで嘘になるわけじゃない」
隼人はホワイトボードに残った四つのデートプランを見上げた。
「だから俺、もう一度誰かと組んで仕事をしたいんです。一人で全部やるより誰かと一緒に作る方が、ずっと楽しいので」
「……また、いなくなるかもしれないのに?」
急に責めるような口調になった鈴を見て、隼人は笑顔を作りかけたまま固まった。
「言ったときは本気だった、なんて。いなくなったら同じです。残された方には、一生一緒にって言葉だけが残るんです」
帳簿の上に置かれた鈴の手が、ぎゅっと握りしめられていた。まるで、自分の話をしているみたいに。
「すみません。店長の話なのに」
小さく首を振ってから、ほとんど聞き取れないくらいの声が続いた。
「……私、だめなんです。そういう言葉。特に、男の人の『一生』の約束って、信じられないんです」
目は帳簿に落ちたままだった。何かを言いかけて、やめて、唇を噛んでいる。
なぜ、と聞きたかった。誰かに何かをされたのか。でも、聞けなかった。聞いたら、また事務所から出ていってしまいそうだから。
「……そうですか」
それだけ言って、電卓を帳簿の上にそっと置いた。
◇
終電に揺られながら、隼人は鈴の言葉を何度も思い返していた。
男の人の「一生」の約束って、信じられない。
信じられない、ということは。一度は信じたことがあるということだ。
吊り革を握る手に、思わず力をこめた。誰かが鈴さんに言ったのだ。一生、と。そして、その約束を破って、いなくなった。前の飼い主だろうか。それとも、店に来た客の誰かだろうか。自分が毎週土曜に通い始めるよりも前に、鈴さんを指名していた誰か。
鈴さんは、その男の言葉を、本気で信じたのだ。胸の奥が凍りつくような気がする。
自分が知っている鈴さんは、日なたで眠る横顔と、ほんの少しだけ緩む口元くらいだ。三か月かけて、やっとそこまでたどり着いた。なのに、その先の顔を、とっくに見ていた男がいたのかもしれない。
車内アナウンスが、降りるはずの駅の名前を告げていた。それに気づいたのは、ドアが閉まって、ホームの明かりが窓の外を流れていったあとだった。




