第三百五十六話 秋晴れの実践鍛錬
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
十月の朝。
館の庭には、澄んだ秋の空気が満ちていた。
木々の葉は少しずつ色づき始め
朝露をまとった草が朝日を受けて輝いている。
祐兵と豊久は、朝餉を済ませると庭に出た。
今日はいつもの素振りとは少し違う鍛錬を行うつもりだった。
「祐兵殿、今日は何をなさるおつもりですか」
豊久が木刀を手に尋ねた。
「ただ振るだけではなく、実際に相手と向き合った時の動きを確かめようと思う。受ける、かわす、間合いを詰める。そうした動きを組み合わせてみたい」
「なるほど。実践を想定した鍛錬ですな」
「ああ。もちろん、互いに怪我をしないよう、木刀で加減しながら行おう」
二人は庭の中央に向かい合った。
小春と黒猫は、少し離れた縁側に並んで座っている。
二匹とも、これから始まる鍛錬に興味があるようだった。
「まずは、構えからだな」
祐兵は木刀を両手で握り、静かに構えた。
豊久も木刀を構える。
互いの足の位置、肩の力、木刀の先の向きを確かめる。
わずかな姿勢の違いが、動きやすさに影響する。
「では、私から参ります」
豊久が一歩踏み込んだ。
木刀が祐兵の肩口へ向かって伸びる。
祐兵は慌てずに木刀を傾け、相手の一撃を受け流した。
そのまま半歩横へ動き、豊久の正面から外れる。
「今の動きはよかったですな」
「受け止めるだけでは、次の動きが遅れる。相手の力を流すことを意識した」
「では、次は少し動きを変えてみましょう」
豊久は今度、正面から打ち込むと見せかけ、途中で動きを止めた。
祐兵が受けの構えを取ったところで、豊久は横へ踏み出す。
しかし、祐兵も相手の動きをよく見ていた。
身体の向きを変え、木刀を構え直す。
「なるほど。打ち込むと見せて、こちらの反応を誘ったのか」
「はい。相手が動いた後に、次の手を考える鍛錬です」
「これは面白いな」
二人は何度も構えを変えながら、互いの動きを確かめた。
しばらくすると、豊久が少し離れた場所へ下がった。
「今度は、間合いを測る鍛錬をいたしましょう」
「よかろう」
二人は木刀を構えたまま、ゆっくりと円を描くように動いた。
近づきすぎれば相手の攻撃を受けやすくなる。
離れすぎればこちらの攻撃も届かない。
互いの足の運びを見ながら、少しずつ距離を変えていく。
豊久が一歩踏み込む。
祐兵は半歩下がり、相手の木刀が届く寸前で間合いを外した。
「今のは見事ですな。あと少し踏み込んでいれば、届いていたでしょう」
「豊久殿の足の運びを見ていた。踏み込む前に、わずかに重心が前へ移ったからな」
「よく見ておられますな」
「相手の動きを見ることも、鍛錬の一つだ」
次は祐兵が仕掛ける番だった。
正面からゆっくり近づき、豊久が構えを変えたところで、横へ踏み出す。
豊久はすぐに向きを変えたが
祐兵の木刀が肩口に触れる寸前で止まった。
「一本ですな」
豊久が笑った。
「今のは、豊久殿の構えが少し正面に寄っていたからだ」
「なるほど。相手の動きを見て、隙を探すわけですな」
「ああ。ただし、無理に打ち込む必要はない。隙を見つけても、確実に動ける時だけ仕掛ければよい」
二人はその後も、攻めと守りを交互に繰り返した。
時には相手の打ち込みを受け流し、時には一歩下がってかわす。
足を止めず、相手の動きに合わせて身体を動かす。
いつもの素振りとは違い、互いの呼吸や目線まで意識する必要があった。
「実際に向き合うと、考えることが多いですな」
豊久が額の汗を拭った。
「一人で木刀を振っているだけでは分からないこともある。相手がいるからこそ、気づくことも多い」
「もう一度、今度は少し速くしてみませんか」
「よし。ただし、打ち込む寸前で必ず止めること。無理は禁物だ」
二人は再び向かい合った。
今度は動きが少し速くなった。
豊久が踏み込み、祐兵が受け流す。
祐兵が横へ動けば、豊久もすぐに向きを変える。
互いに相手の隙を探しながら、木刀を交わした。
木と木が触れ合う音が、秋の庭に響く。
やがて、二人は同時に一歩下がり、構えを解いた。
「よい鍛錬になりましたな」
「ああ。普段の素振りとは違い、頭も使う。思った以上に疲れるものだ」
「しかし、楽しいですな。相手の動きを読み、次の一手を考える。まるで将棋にも似ております」
「確かに。先を読むという点では通じるものがあるな」
縁側では、小春が二人の様子を見つめていた。
黒猫はその隣で、前足を揃えて座っている。
「小春殿たちも、長いこと待たせてしまったな」
祐兵が声をかけると
小春は縁側から降りて二人のところへ歩いてきた。
黒猫もすぐ後ろについてくる。
「そろそろ終わりにしましょう。私も喉が渇きました」
「そうだな。今日はここまでにしよう」
二人は木刀を片づけ、縁側に腰を下ろした。
侍女が温かな麦湯を運んでくる。
祐兵と豊久は湯呑みを手に取り
ゆっくりと喉を潤した。
小春と黒猫も二人のそばでくつろいでいる。
「次は、今日の動きをさらに工夫してみたいですな」
「そうだな。攻め方だけでなく、守り方にもまだ工夫の余地がある」
「また二人で試してみましょう」
「ああ。互いに学べることは多い」
庭を吹き抜ける秋風が、色づき始めた木々の葉を揺らした。
ただ木刀を振るだけでは得られない学びがある。
相手と向き合い、考え、動き、また考える。
十月の澄んだ朝、二人は実践を想定した鍛錬を通じて
また一つ新たな手応えを得たのだった。




