第三百四十九話 秋朝の鍛錬
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
秋の朝。
館の庭には、ひんやりとした秋の空気が満ちていた。
東の空から朝日が昇り始め、庭の草には細かな露が残っている。
伊東祐兵は縁側に立ち、ゆっくりと庭を見渡した。
少し前まで体調を崩していたとは思えないほど、体は軽い。
昨日は山へ栗を拾いに行き、城下町まで歩いた時と同じように
疲れもほとんど残っていなかった。
「今日は、もう少し動いてみるか」
祐兵が言うと
庭に出ていた島津豊久が振り返った。
「鍛錬ですか」
「ああ。薬師殿からも、軽いものならよいと言われている。そろそろ普段の鍛錬へ戻していきたい」
「それなら、無理のない程度にいたしましょう」
「そうしよう」
二人が木刀を手に取る。
小春と黒猫も庭へ出てきた。
二匹はいつものように一緒に行動し、庭の端に並んで座った。
「小春殿も黒猫も、見物ですな」
豊久が笑う。
小春は返事をするように小さく鳴いた。
祐兵も笑い、木刀を構えた。
まずは体をほぐす。
肩を回し、腕を伸ばし、足をゆっくり動かす。
以前ならすぐに木刀を振っていたが
今日は体の様子を確かめながら、丁寧に準備をする。
「体はどうですか」
「問題ない。腹も痛くない」
「それならよいですな」
豊久も木刀を構える。
二人は向かい合った。
朝の庭に、木刀が風を切る音が響く。
祐兵はゆっくりと振り下ろす。
一度。
二度。
三度。
無理に力を入れず、動きを確かめるように振っていく。
豊久も同じように木刀を振る。
「だいぶ戻ってきましたな」
「そうだな。体が以前の動きを思い出してきたようだ」
「ですが、焦ってはいけませんぞ」
「ああ。分かっている」
祐兵は笑った。
小春と黒猫は二人の動きを眺めている。
小春が少し前へ出ると、黒猫もその隣へ移動する。
二匹は並んだまま、静かに鍛錬を見守っていた。
しばらく木刀を振ったところで、祐兵は一度手を止めた。
「今日はここまでにしておこう」
豊久が頷く。
「ちょうどよい頃合いですな」
二人は木刀を置いた。
祐兵は深く息を吐く。
少し汗ばんではいるが、苦しさはない。
腹の調子にも問題はなかった。
「うむ。これなら大丈夫そうだ」
「顔色もよいですな」
「ありがとう」
祐兵は庭を見渡した。
朝の光が庭を照らしている。
昨日拾った栗が置かれている縁側のそばには
小春と黒猫が並んで座っていた。
「昨日は栗拾いで、今日は鍛錬か」
「秋はやることが多いですな」
「そうだな」
二人は笑った。
その後、二人は庭の木陰で少し休んだ。
豊久が水を用意し、祐兵はゆっくり喉を潤す。
小春と黒猫も二人の足元で休んでいた。
風が吹くたび、木々の葉がさらさらと音を立てる。
祐兵はその音を聞きながら、静かに目を細めた。
「こうして朝に鍛錬ができるのは、やはりよいものだな」
「ええ。祐兵殿が元気になられて、何よりです」
「心配をかけたな」
「もうそれはよいのです。これから少しずつ戻していけばよいでしょう」
「そうだな」
小春が祐兵の足元へ近づいてきた。
黒猫もその隣についてくる。
祐兵は二匹を見下ろし、笑った。
「二匹とも、鍛錬が終わったのが分かったらしい」
小春が足元で丸くなり、黒猫もその隣に座る。
秋の朝は静かだった。
朝露に濡れた草。
澄んだ空気。
木々の葉を揺らす風。
そして、久しぶりにしっかりと体を動かした心地よい疲れ。
祐兵は、ゆっくりと空を見上げた。
「今日もよい一日になりそうだな」
豊久も空を見上げる。
「そうですな」
二人と二匹は、穏やかな秋の朝を静かに過ごしていた。




