第三百四十二話 城下への散歩
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
翌朝。
伊東祐兵は、目を覚ますと身体の具合を確かめた。
腹の痛みはない。
食欲も戻っている。
昨日の散歩の後も疲れが残ることはなかった。
「今日は、もう少し歩けそうだ」
祐兵がそう呟くと
隣にいた豊久が顔を上げた。
「では、薬師殿に聞いてみましょう」
朝餉を終えると、二人は薬師を訪ねた。
昨日の散歩のことを伝えると
薬師は祐兵の顔色を確かめた。
「歩いた後、腹の具合に変わりはありませんでしたか」
「何もない。疲れもほとんど残らなかった」
「食事も普段通りに取れていますか」
「ああ」
薬師はしばらく考えた。
「それならば、少し距離を延ばしてもよいでしょう。ただし、まだ急いではなりません」
「どのくらいまでならよい」
「昨日より少し遠くまで。それで身体に異変がなければ、また次の日に少しずつ増やせばよいでしょう」
祐兵は頷いた。
「分かった。無理はしない」
豊久も頭を下げた。
「ありがとうございます」
薬師が帰ると、二人はすぐに出かける支度を始めた。
庭へ出ると、小春と黒猫が二人のところへ駆けてきた。
小春が祐兵の足元へ寄り、黒猫もその隣に並ぶ。
「今日も来るのか」
小春が小さく鳴いた。
「二匹とも、そのつもりのようですな」
「ならば一緒に行こう」
二人と二匹は館を出た。
昨日よりも歩く距離は長い。
それでも祐兵は、急がなかった。
道を歩きながら、時折立ち止まっては身体の具合を確かめる。
腹に痛みはない。
息も苦しくない。
足取りも軽い。
「どうですか」
豊久が尋ねる。
「問題ない」
「それなら安心ですな」
城下へ近づくにつれ、人の姿が増えてきた。
店先では朝の支度をする者が動き、道を行き交う人々の声が聞こえてくる。
祐兵は、久しぶりに見る城下の様子を眺めた。
「しばらく館にこもっていたから、こうして町を見るのも久しぶりだな」
「祐兵殿がお休みになっている間にも、町は変わらず動いておりますな」
「それがよい」
二人が歩いていると、以前顔を合わせた町人が気づいた。
「これは祐兵様。お久しゅうございます」
「久しぶりだな」
「お身体はもうよろしいので?」
「ああ。だいぶ良くなった」
町人は安心したように笑った。
「それは何よりでございます」
「心配をかけたな」
「いえいえ。お元気そうな顔を見られて安心しました」
二人は町人と別れ、再び歩き始めた。
小春と黒猫は、二人の少し前を並んで歩いている。
小春が道端の草に鼻を近づけると、黒猫も隣へ寄った。
「二匹も城下が気になるようですな」
「いつも一緒だな」
「小春殿が動けば、黒猫も動きますからな」
二匹はその言葉が聞こえたかのように、同時に振り返った。
祐兵は思わず笑った。
しばらく歩くと、城下を流れる川へ出た。
水面が秋の日差しを受けて輝いている。
祐兵は川辺で足を止めた。
「ここまで来ても、まだ大丈夫だ」
豊久が祐兵の顔を見る。
「少し休みますか」
「そうしよう」
二人は川辺に腰を下ろした。
小春と黒猫も並んで座る。
川の流れる音。
遠くから聞こえる人の声。
秋の風。
館の中で静かに過ごす時間とは違う、町の気配がそこにはあった。
祐兵は深く息を吸った。
「外へ出ると、身体が戻ってきたことがよく分かるな」
「昨日よりも歩ける距離が伸びましたな」
「ああ。ただ、まだ鍛錬はしない」
「それがよろしいでしょう」
二人はしばらく川を眺めた。
やがて祐兵が立ち上がる。
「そろそろ戻ろう」
「はい」
帰り道も、二人はゆっくり歩いた。
館へ戻る頃には昼近くになっていた。
祐兵は縁側に座ると、温かな麦湯を飲んだ。
小春と黒猫も、その足元で寄り添っている。
「今日は昨日より遠くまで行けたな」
「薬師殿の許しがあってこそですな」
「ああ」
祐兵は庭を眺めた。
「次は、城下をもう少し歩いてみたい」
豊久は笑った。
「その前に、もう一度薬師殿へ伺いましょう」
「そうだな」
まだ鍛錬には戻らない。
それでも、祐兵の歩ける場所は少しずつ広がっていた。
そして次の日。
二人と二匹は、さらに城下の奥へ向かうことになる。
秋の町には、まだ見たことのない景色が待っていた。




