第三百三十四話 朝露の鍛錬
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
九月の朝。
空が白み始める頃
館の庭にはまだ朝露が残っていた。
草の葉には小さな露が光り
涼しい風が庭を通り抜けている。
伊東祐兵と島津豊久は
庭に出ていた。
二人とも木刀を手にしている。
「今朝は涼しいですな」
豊久が空を見上げる。
「鍛錬にはちょうどいい」
祐兵が答えた。
二人は庭の中央に立つ。
まずは
ゆっくりと体を動かす。
腕を回し
肩を伸ばす。
続いて
腰を落として足を鍛える。
朝の静かな庭に
二人の足音だけが響いていた。
少し離れた場所では
小春が二人を眺めている。
昨日まで館の中で遊んでいた小春は
今日は庭に出ていた。
傷がすっかり治ったため
自由に歩き回れるようになっている。
「小春殿も鍛錬を見に来ましたか」
豊久が声を掛ける。
小春は
「にゃあ」と鳴いた。
そして
二人の間を歩いていく。
「踏まれぬよう気をつけろ」
祐兵が言う。
小春は二人の顔を交互に見て
庭の端へ移動した。
どうやら
自分なりに安全な場所を見つけたらしい。
「賢いものですな」
豊久が笑う。
二人は木刀を構えた。
「では、始めるか」
「はい」
木刀が静かに振られる。
一振り。
二振り。
三振り。
朝の空気を切る音が
庭に響く。
豊久は一つ一つの動きを大きく
力強く行っていく。
祐兵は
無駄な力を使わず
一定の動きを繰り返していた。
しばらくすると
二人の額に汗が浮かんだ。
それでも朝の風が涼しいため
汗はすぐに乾いていく。
「やはり朝の鍛錬は気持ちがいいですな」
豊久が木刀を下ろす。
「体が目を覚ますからな」
祐兵も木刀を下ろした。
二人が休んでいると
小春が近づいてきた。
小春は
祐兵の足元に座る。
そして
木刀をじっと見つめている。
「小春殿も木刀が気になりますか」
豊久が呟く。
小春は前足を伸ばし
木刀の先をちょんと触った。
「それは遊ぶものではないぞ」
祐兵が言う。
小春は
知らぬ顔で木刀の周りを歩いている。
豊久が笑った。
「小春殿には、何でも遊び道具に見えるようですな」
「昨日も館で散々遊んでいたからな」
小春は二人を見上げる。
その顔は
まだ遊び足りないと言っているようだった。
「元気になった証拠ですな」
「そうだな」
二人は小春を眺めながら笑った。
その後
今度は木槍を手に取る。
二人は少し距離を取った。
木槍を構え
ゆっくりと動く。
踏み込み。
突き。
引き。
また踏み込み。
動きを合わせながら
何度も繰り返す。
小春は
その様子を少し離れた場所から眺めていた。
朝露に濡れた草の上を
小さな虫が動いている。
小春は虫を見つけると
鍛錬のことを忘れたようにそちらへ向かった。
「おや、小春殿は別の鍛錬を始めましたな」
豊久が言う。
祐兵が振り返る。
小春は虫を追いかけて
草むらの中を歩いている。
「小春殿には、小春殿の鍛錬があるようだな」
「なるほど」
豊久は頷いた。
二人は再び木槍を構える。
しばらく鍛錬を続けた後
二人は木槍を置いた。
「今日はこのくらいにしておくか」
祐兵が言う。
「そうですな。朝から良い鍛錬になりました」
豊久が額の汗を拭う。
庭を見ると
小春がこちらへ戻ってきていた。
口元には
小さな葉が一枚ついている。
「小春殿」
豊久が笑う。
小春は何も知らぬ顔で
二人の足元まで歩いてきた。
祐兵がしゃがみ
小春の口元についた葉を取ってやる。
「朝から随分と楽しんだようだな」
小春は
嬉しそうに喉を鳴らした。
やがて館の中から
朝餉の支度ができた知らせが聞こえてくる。
「では、戻りますか」
豊久が言う。
「そうしよう」
祐兵は頷いた。
二人と小春は
朝の庭を後にする。
朝露の残る庭には
二人が鍛錬した跡だけが残っていた。
九月の涼しい朝。
今日もまた
穏やかな一日が始まろうとしていた。




