第三百三十三話 館の猫遊び
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
九月のある日の昼下がり。
伊東祐兵と島津豊久は
館の広間にいた。
障子の向こうから
秋の涼しい風が入り込んでくる。
庭では虫の声が聞こえ
木々の葉が風に揺れていた。
その二人の間を
小春が歩いている。
山の湯で傷を癒してから
すっかり元気になった小春は
館の中を楽しそうに歩き回っていた。
「小春殿、もうすっかり元気ですな」
豊久が声を掛ける。
小春は振り返ると
「にゃあ」と小さく鳴いた。
そして
何事もなかったように歩き出す。
「傷もきれいになったな」
祐兵は
小春の後ろ姿を眺めながら言った。
「山の湯のおかげですな」
「それもあるだろうな。だが、小春殿自身がよく耐えた」
小春は二人の話など気にする様子もなく
広間の隅へ向かっていく。
そこには
豊久が置いていた木の棒があった。
小春はそれを見つけると
前足でちょん、と触った。
棒がころりと転がる。
小春は目を丸くした。
そして
もう一度前足を伸ばした。
ころり。
「これは面白そうですな」
豊久が笑う。
小春は
転がった棒を追いかけていく。
小さな体を低くして
前足を伸ばす。
棒が止まると
今度は鼻先でつついた。
「小春殿、気に入ったようですな」
「そうだな」
祐兵も笑った。
豊久は棒を拾うと
少し離れた場所へ転がした。
ころころと
木の棒が畳の上を進んでいく。
小春が追いかける。
「速いですな」
小春は棒に追いつくと
前足で押さえ込んだ。
そして
誇らしげに二人を見上げる。
「捕まえたつもりなのだろうな」
祐兵が言う。
「小春殿の顔を見ると、本当にそう思っていそうですな」
二人は顔を見合わせ、笑った。
しばらくすると
小春は遊び疲れたのか
畳の上にごろんと横になった。
前足を伸ばし
そのまま目を細める。
「もう休むのか」
祐兵が声を掛ける。
小春は
尻尾だけをゆっくり動かした。
「まだ遊ぶ気はあるようですな」
豊久が言った。
「なら、もう少し遊ぶか」
祐兵はそう言うと
近くにあった布を手に取った。
布の端を少し動かす。
小春の耳がぴくりと動いた。
布が右へ動く。
小春の目が追う。
左へ動く。
今度は体ごと向きを変える。
「おや」
豊久が声を上げる。
次の瞬間
小春が布へ飛びついた。
「捕まえましたな」
布の上に前足を置き
小春が得意そうにしている。
祐兵は笑いながら
布を動かす。
小春も負けじと追いかける。
広間の中に
小春の足音が響く。
庭からは
秋の虫の声。
障子から入る風は涼しく
館の中には穏やかな時間が流れていた。
やがて小春は
祐兵の膝元までやって来た。
そして
そのまま膝に前足を掛ける。
「どうした」
祐兵が小春を見る。
小春は返事をするように
小さく鳴いた。
「祐兵殿に甘えているようですな」
豊久が笑う。
「そうかもしれないな」
祐兵は小春の頭を
ゆっくり撫でた。
小春は目を細め
気持ちよさそうに喉を鳴らす。
豊久も手を伸ばす。
「小春殿、こちらにも来てくだされ」
小春は一度、豊久を見る。
それから
豊久の膝へ移った。
「おお、来てくれましたか」
豊久は嬉しそうに笑った。
小春は二人の間を行ったり来たりしながら
しばらく甘えていた。
やがて
そのまま豊久の膝の上で丸くなる。
「眠ってしまいましたな」
「遊び疲れたんだろう」
祐兵は静かに答えた。
二人は声を落とした。
小春を起こさないように
そっと座っている。
庭から秋風が吹き
障子がわずかに揺れた。
小春は安心しきったように眠っている。
山の中で傷を負い
皆に心配を掛けた小春。
それが今は
何事もなかったように館で遊び
二人の膝の上で眠っている。
「こうして元気に眠っている姿を見ると、嬉しいものですな」
豊久が小さな声で言う。
「そうだな」
祐兵も頷いた。
二人はしばらく
眠る小春を眺めていた。
外では秋の虫が鳴いている。
館の中には
穏やかな夕暮れが近づいていた。
その日
小春と二人の主人たちは
何もない穏やかな時間を
ゆっくりと楽しんだのだった。




