第三百二十九話 川瀬の落鮎
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
九月のある日の朝。
空には薄い雲が浮かび
川面には朝の光が揺れていた。
伊東祐兵と島津豊久は
川辺へ向かって歩いていた。
小春と黒猫も
二人の後ろをついてきている。
「今日は川へ参るのですな」
豊久が言う。
「ああ」
祐兵が頷く。
「鮎が川を下る頃だそうだ」
「落鮎ですか」
「そうだ」
二人は川辺へ着くと
静かに流れる川を眺めた。
夏の頃よりも
水の流れはどこか冷たく感じられる。
岸辺の草も
秋の風に揺れていた。
「ここなら釣れそうですな」
豊久が川を覗き込む。
「焦ってはいけませんよ」
「分かっております」
そう言いながらも
豊久は楽しそうだった。
二人は川辺に腰を下ろし
釣りの支度を始めた。
小春は少し離れたところに座り
黒猫は草むらの中から川を眺めている。
やがて
二人は釣り糸を川へ垂らした。
川の流れる音だけが
静かに聞こえてくる。
豊久は
じっと水面を見つめていた。
祐兵も
黙って糸の先を見ている。
しばらくすると
豊久の釣り糸が
わずかに揺れた。
「おや」
豊久が声を上げる。
「祐兵殿」
「どうしました」
「今、何か動きましたぞ」
祐兵が
豊久の糸を見る。
「もう少し待とう」
「分かりました」
豊久は
再び川面を見つめる。
すると
今度ははっきりと糸が引かれた。
「今だ!」
豊久が竿を引く。
水面が大きく揺れた。
銀色の魚が
水の中で身を翻した。
「掛かりましたぞ!」
豊久が嬉しそうに叫ぶ。
魚は懸命に逃れようとする。
豊久も
力を入れすぎないように竿を操った。
やがて魚が岸へ近づいてくる。
祐兵も手を伸ばした。
「もう少しです」
「はい!」
豊久が竿を上げる。
水から上がったのは
一匹の鮎だった。
銀色の身が朝日に輝いている。
「見事ですな」
祐兵が笑う。
「これは嬉しい」
豊久も笑った。
その声を聞いたのか
小春がこちらへ近づいてくる。
黒猫も草むらから出てきた。
二匹とも
鮎をじっと見つめている。
「二匹とも魚が気になるようですな」
豊久が笑う。
小春が
鮎の匂いを嗅ごうと近づく。
黒猫も少し離れたところから
じっと眺めている。
「まだ食べてはいけませんよ」
祐兵が言う。
小春は
祐兵を見上げた。
「にゃあ」
「分かってくれたようです」
豊久が笑う。
二人は再び釣りを始めた。
今度は祐兵の糸が動いた。
「祐兵殿」
「はい」
「今度はそちらですぞ」
「そのようですね」
祐兵が竿を上げる。
すると
こちらにも鮎が掛かっていた。
「お見事」
豊久が声を上げる。
「ありがとうございます」
祐兵が笑う。
二人はその後も
川辺で釣りを続けた。
何匹かの鮎が釣れると
二人は満足して竿を置いた。
「これだけあれば十分でしょう」
祐兵が言う。
「ええ」
豊久が頷く。
「今夜の食卓が楽しみですな」
「焼いて食べるとよいでしょう」
「それは楽しみです」
豊久が
釣った鮎を眺める。
小春と黒猫も
その周りを歩いている。
「二匹にも少し分けてやりましょう」
「そうしましょう」
祐兵が頷く。
帰り支度を終えると
二人は川を振り返った。
朝の川は
変わらぬ流れを見せている。
「良い川ですな」
豊久が言う。
「ああ」
祐兵が頷く。
「また来るとしよう」
「次はもっと釣りますぞ」
豊久が笑う。
小春と黒猫も
二人の後を追って歩き始めた。
秋の風が川面を渡る。
川を下る鮎の姿を見送りながら
二人は城下へ戻っていった。
その日の食卓には
朝の川で釣った鮎が並んだ。
二人と二匹にとって
川辺で過ごした穏やかな朝は
秋の一日を彩る
小さな楽しみとなったのだった。




