第三百二十八話 犬との再会
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
九月の翌日。
伊東祐兵と島津豊久は
朝から城下町へ向かって歩いていた。
小春と黒猫も二人の後ろをついてきている。
朝の空には薄い雲が浮かび、涼しい風が町を吹き抜けていた。
「昨日の犬、可愛かったですな」
豊久が嬉しそうに言った。
「ああ。人懐こく、猫にも優しい犬だった」
「小春殿も黒猫も、すぐに仲良くなりましたからな」
その言葉を聞いた小春が、
「にゃあ」
と小さく鳴いた。
「おや。小春殿も覚えているようですな」
祐兵が笑う。
「ならば、もう一度会いに行きましょう」
「昨日会ったばかりだぞ」
「だからこそです。犬も我らを待っているかもしれませぬ」
「それはどうだろうな」
祐兵は苦笑した。
「行ってみれば分かります」
豊久はそう言って、先へ歩き出した。
祐兵も後を追う。
小春と黒猫も二人についていった。
しばらく歩くと、昨日の家が見えてきた。
「おや」
祐兵が足を止める。
家の前には、昨日の犬が座っていた。
犬は二人の姿を見ると、すぐに立ち上がった。
「わん!」
元気な鳴き声が響く。
尻尾も大きく左右に振られている。
「ほら、待っていたではありませんか!」
豊久が笑った。
「どうやら我らを覚えていたらしい」
祐兵が犬へ近づく。
犬も嬉しそうに近づいてきた。
「よしよし」
祐兵が頭を撫でる。
犬は気持ちよさそうに目を細めた。
「やはり可愛いですな」
豊久も犬の背を撫でる。
犬は豊久の手にも頭を寄せた。
「昨日より懐いておりますな」
「ああ」
その時、小春が犬のところへ近づいてきた。
犬は小春を見ると、静かに座った。
小春も警戒することなく近づいていく。
そして、犬の鼻先へ自分の鼻を近づけた。
犬も小春の匂いを嗅ぐ。
しばらくすると、小春は犬の隣に座った。
「すっかり仲良しですな」
豊久が嬉しそうに笑う。
続いて黒猫も近づいてきた。
黒猫は犬の前で立ち止まり、じっと犬を見つめる。
犬は動かない。
黒猫が一歩近づく。
犬は尻尾を振る。
もう一歩。
黒猫は犬の周りをゆっくり歩いた。
犬は追いかけることなく、じっと待っている。
やがて黒猫は安心したのか、犬のそばに座った。
「昨日より、ずっと近くにおりますな」
「ああ。三匹とも、互いに安心したようだ」
小春、黒猫、そして犬。
三匹は並んで座っていた。
そこへ家の者が出てきた。
「これは祐兵殿、豊久殿。今日もお越しくださったのですか」
「ああ。昨日の犬に、もう一度会いたくなってな」
祐兵が答える。
家の者は嬉しそうに笑った。
「この犬も、お二人を覚えていたようでございます」
「そうですか!」
豊久が喜ぶ。
「ところで、この犬には名前があるのですか」
豊久が尋ねた。
「まだ決めておりません」
「まだですか」
「飼い始めたばかりですので。家の者で相談しているところでございます」
豊久は犬を見つめた。
茶色の毛並み。
大きな体。
穏やかな目。
そして、何より人懐こい。
「祐兵殿、何か良い名前はありませんか」
「私に聞くのか」
「祐兵殿は書物もたくさん読んでおりますから、良い名前を思いつくかと」
「名前というのは、そう簡単に決めるものではないぞ」
「では、一緒に考えましょう」
二人は犬を眺めた。
犬は小春と黒猫の間に座っている。
その様子を見て、祐兵が微笑んだ。
「仲間を大切にする犬のようだな」
「ええ」
豊久も頷いた。
「皆と仲良くできる犬ですから、良い名をつけてあげたいですな」
「それなら、家の者たちでゆっくり考えるとよい」
祐兵が言った。
「名は後からでも決められる。まずは、この犬と過ごす時間を大切にすればよい」
「なるほど」
豊久が頷く。
「それもそうですな」
犬は二人の会話を聞いているかのように、尻尾を振った。
「わん!」
「賛成しているようですぞ」
豊久が笑う。
「そうかもしれぬな」
祐兵も笑った。
しばらくすると、小春が犬の隣で丸くなった。
黒猫も少し離れた場所で毛繕いを始める。
犬は二匹を眺めながら、静かに座っている。
時々、嬉しそうに尻尾を振っていた。
二人はその様子を眺めながら、穏やかな時間を過ごした。
やがて昼が近づいてきた。
「そろそろ戻りますか」
豊久が言う。
「ああ。また会いに来よう」
「はい。次に来る時には、名前が決まっているかもしれませんな」
「楽しみだな」
二人が歩き始める。
小春と黒猫も後に続く。
犬は家の前に座ったまま、二人と二匹を見送っている。
少し歩いたところで、豊久が振り返った。
「まだ見ていますぞ」
「ああ」
祐兵も振り返る。
犬は尻尾を振っていた。
「また来ると伝えておくか」
「犬に言葉が分かるでしょうか」
「気持ちは伝わるかもしれぬ」
祐兵が笑った。
「では……また会いましょう」
豊久が犬へ手を振る。
「わん!」
犬が元気よく鳴いた。
秋の風が城下町を吹き抜ける。
二人と二匹は、ゆっくりと館へ戻っていった。
その背中を見つめながら、犬は最後まで尻尾を振っていた。
城下町の小さな出会い。
それは、いつしか二人と三匹の楽しみになっていくのだった。




