第三百二十二話 初秋の朝風
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
九月の朝。
東の空が明るくなり始める頃
館の庭には涼しい風が吹いていた。
夏の盛りに比べると
朝の空気にはどこか爽やかさがある。
庭の草葉には露が残り
風が吹くたびに小さな雫が揺れていた。
伊東祐兵と島津豊久は
縁側に腰を下ろし
静かな朝の庭を眺めていた。
「涼しくなりましたな」
豊久が
心地よさそうに息を吐く。
「ああ」
祐兵も頷いた。
「朝夕は、もう秋の気配がする」
遠くから鳥の声が聞こえる。
夏の間、盛んに鳴いていた蝉の声は
すっかり少なくなっていた。
代わりに草むらからは
秋の虫の音がかすかに響いている。
「季節が変わるのは早いものですな」
豊久が庭を眺める。
「つい先日まで、朝から汗を流していたというのに」
「暑さが和らぐのはありがたい」
祐兵が笑う。
「鍛錬をするにも、これくらいの気候がちょうどよい」
その言葉に
豊久も笑った。
「では、今朝も鍛錬ですな」
「ああ。だが、その前に少し歩こう」
二人は縁側から立ち上がった。
庭をゆっくり歩いていると
桔梗の花が目に入った。
夏の間に植えた苗も
すっかり根付いている。
紫色の花が
朝露をまとって静かに咲いていた。
「見事に咲きましたな」
豊久が足を止める。
「ああ」
祐兵も花を眺める。
「植えた甲斐があったな」
そこへ
「にゃあ」
小春がやって来た。
茶トラの身体を朝の風に揺らしながら
二人の足元へ近づいてくる。
「小春殿も朝の散歩ですか」
豊久がしゃがみ込む。
小春は豊久の足元を一周すると
桔梗の前へ座った。
少し遅れて
黒猫も姿を現す。
黒猫は庭の隅に座り
静かに二人と小春を眺めていた。
「皆、涼しい朝を楽しんでいるようですな」
豊久が笑う。
「ああ」
祐兵は空を見上げた。
「今日も良い一日になりそうだ」
朝日が山の向こうから顔を出し
庭を柔らかな光で照らしていく。
虫の音。
鳥の声。
草葉を揺らす風。
夏から秋へ移りゆく季節の気配が
静かな館を包んでいた。
「さて、参りますか」
豊久が木刀へ手を伸ばす。
「うむ」
祐兵も頷く。
小春は二人の後ろをついて歩き
黒猫もゆっくりとその後を追った。
初秋の涼しい朝。
穏やかな風に背中を押されながら
二人の一日が始まるのだった。




