第三百十一話 生きる意味
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
夏の夕暮れ。
西の空が赤く染まり
館の庭にも長い影が伸びていた。
伊東祐兵と島津豊久は
縁側に腰を下ろして涼んでいた。
昼の暑さも和らぎ
庭を吹き抜ける風が心地よい。
普段なら何か話題を見つけて話し始める
豊久だったが
この日は珍しく口数が少なかった。
祐兵はその様子に気づく。
「何か考え事か、豊久殿」
豊久は少し驚いたように顔を上げた。
「分かりましたか」
「ああ」
祐兵は静かに頷く。
「いつもより静かだ」
豊久は少しの間
庭の木々を眺めていた。
やがて小さく息を吐く。
「祐兵殿」
「うむ」
「私は時々、考えることがあるのです」
祐兵は黙って耳を傾けた。
「私の人生には、何か意味があるのでしょうか」
夕風が二人の間を吹き抜ける。
豊久は視線を落とした。
「武芸の鍛錬をし、戦に備え、日々を過ごしております」
「うむ」
「ですが、ふと考えるのです」
豊久は苦く笑った。
「私一人がいなくなったところで、世の中は変わらぬのではないかと」
祐兵はすぐには答えなかった。
豊久の言葉を受け止めるように
しばらく庭を眺める。
「豊久殿」
「はい」
「人生の意味というものは、誰かに与えられるものではない」
豊久は顔を上げた。
「自ら見つけるものですか」
「ああ」
祐兵は頷く。
「私も若い頃は同じようなことを考えた」
「祐兵殿も?」
意外そうな顔をする
豊久。
「戦乱の世だ。明日を迎えられる保証などない」
祐兵は静かに続ける。
「ならば何のために生きるのかと、考えたこともある」
豊久は真剣に聞いていた。
「では、祐兵殿は答えを見つけたのですか」
「答えというほどのものではない」
祐兵は微笑んだ。
「だが私は、守りたい人々のために生きたいと思った」
城下町の人々。
家臣たち。
友。
家族。
様々な顔が脳裏に浮かぶ。
「大きなことではない」
祐兵は言う。
「誰かの力になる。誰かを守る。それだけでも十分に意味がある」
豊久は黙って聞いていた。
「豊久殿」
「はい」
「私は豊久殿に何度も助けられてきた」
豊久は目を見開く。
「私がですか」
「ああ」
祐兵は笑う。
「共に鍛錬し、共に悩み、共に笑ってきた」
夕陽が二人を照らす。
「もし豊久殿がいなければ、私は今よりずっと寂しい日々を送っていただろう」
豊久は言葉を失った。
「人は一人で生きているようで、そうではない」
祐兵は続ける。
「自分では気づかぬうちに、誰かの支えになっている」
豊久は静かに空を見上げた。
赤く染まる夏の空。
その色はどこか温かかった。
「私にも、そのような意味があるのでしょうか」
「ある」
祐兵は迷いなく答えた。
「少なくとも私はそう思う」
その言葉を聞き
豊久の表情が少し和らいだ。
その時。
「にゃあ」
聞き慣れた鳴き声が響く。
小春が縁側へ上がってきた。
黒猫も後ろからついてくる。
小春は迷うことなく
豊久の膝へ飛び乗った。
「おっと」
豊久が苦笑する。
小春は満足そうに喉を鳴らした。
「どうやら小春も、豊久殿を必要としているようだな」
祐兵が笑う。
豊久も思わず笑みを浮かべた。
「そうかもしれませんな」
夕暮れの空には
一番星が輝き始めていた。
人生の意味。
その答えをすべて見つけたわけではない。
それでも豊久は
自分が誰かと共に歩み
誰かの力になれていることを知った。
縁側には穏やかな時間が流れる。
祐兵と豊久
そして小春と黒猫。
夏の夕風は優しく吹き抜け
四人を静かに包み込むのだった。




