第三百二話 夏場所の一番
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
翌朝。
夏の陽射しが庭を照らし
蝉の声が館の周囲に響いていた。
朝の務めを終えた
伊東祐兵と島津豊久は
庭先でしばらく話をしていた。
「今日も暑くなりそうですな」
豊久が空を見上げる。
「ああ」
祐兵は頷いた。
「暑さに負けぬよう、少し体を動かすか」
「では、鍛錬をいたしましょう」
豊久が笑う。
祐兵は庭の一角に目を向けた。
「今日は、いつもと趣向を変えてみるか」
「と申しますと?」
祐兵は笑みを浮かべた。
「相撲だ」
豊久の目が輝いた。
「それは面白そうですな」
二人は庭の土をならし
簡素な相撲の場を作った。
木刀も弓も使わない。
ただ己の身体一つで
力と技を競う。
「手加減はいたしませんぞ、祐兵殿」
豊久が笑う。
「こちらもそのつもりだ、豊久殿」
二人は向かい合った。
互いに腰を落とし
じっと相手を見据える。
「はっ!」
豊久が先に踏み込んだ。
二人の身体がぶつかる。
「ぬっ……!」
豊久は力強く押し込む。
しかし祐兵は踏ん張り
土をしっかりと踏みしめた。
「さすがですな、祐兵殿!」
「豊久殿こそ!」
しばらく押し合った末
豊久が一度距離を取った。
「今度はこちらから参ります!」
再び豊久が突進する。
祐兵はその勢いを受け流し
豊久の身体を横へ導いた。
「おっと!」
豊久の足が土を踏み外す。
しかし、すぐに体勢を立て直した。
「危ないところでした」
「相撲も武と同じだ。力だけでは勝てぬ」
「なるほど」
豊久は楽しそうに笑う。
「では、次は技で参ります」
二人は再び向かい合った。
今度は豊久が低く入り
祐兵の身体を押し上げようとする。
祐兵も負けじと腰を落とす。
「ぬおおっ!」
二人の足が土を踏みしめる。
やがて
豊久が少しずつ押し込んでいく。
「これは……!」
祐兵は懸命に耐えた。
しかし最後には
豊久の勢いに押され
一歩、二歩と後ろへ下がる。
「それっ!」
豊久が最後の一押しを入れた。
祐兵の足が
庭に引いた線の外へ出た。
「勝負ありですな!」
豊久が嬉しそうに笑った。
祐兵も笑みを浮かべる。
「見事だった、豊久殿」
「ありがとうございます」
豊久は深々と頭を下げた。
「では、もう一番いかがですか」
「望むところだ」
二人は再び構えた。
今度は祐兵が先に動いた。
豊久の肩を押さえ
力を受け流しながら横へ回る。
「むっ!」
豊久の身体が傾いた。
祐兵はそのまま押し出す。
「それまで!」
豊久の足が線の外へ出た。
「やられました!」
豊久は悔しそうに笑う。
「これで一勝一敗ですな」
「ああ」
祐兵も笑った。
その時。
「にゃあ」
庭の隅から
小春が姿を現した。
黒猫も後ろからゆっくり歩いてくる。
「小春殿も見ておられたのですか」
豊久が笑いながら近づく。
小春は二人の周りを歩き
土の上に残った足跡を眺めている。
「相撲の勝負は分からぬようだな」
祐兵が笑う。
「にゃあ」
小春は返事をするように鳴いた。
二人は顔を見合わせ
声を上げて笑った。
「もう一番、参りますか」
豊久が尋ねる。
「ああ。決着がつくまでやろう」
夏の庭に
二人の笑い声が響く。
武器を持たず
ただ身体一つで向かい合う。
勝敗を競いながらも
そこにあるのは敵意ではない。
互いの力を認め合い
心から楽しむための勝負だった。
夏の日差しの下
二人の相撲はしばらく続くのだった。




