第三百一話 懐中の一幅
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
夏祭りの夜。
賑やかな祭りを楽しんだ
伊東祐兵と島津豊久は
小春と黒猫を連れて
館へ戻ろうとしていた。
祭りの熱気はまだ残っている。
提灯の明かりが夜道を照らし
遠くから祭り囃子の音が聞こえていた。
しばらく歩いたところで
豊久が突然足を止めた。
「……祐兵殿」
「どうした、豊久殿」
豊久は懐へ手を入れた。
何度も確かめるように探す。
しかし
その手は何も掴まなかった。
「ありません……」
「何がだ」
豊久の顔から笑みが消えた。
「祐兵殿からいただいた書が……」
祐兵は目を見開いた。
「私が以前、豊久殿に渡した書か」
「はい」
豊久は懐を探し続けた。
「いつも大切に持っていたのです」
その書は
以前、祐兵が豊久が体調悪く
療養していたころに書をしたため
贈ったものだった。
何気ない一枚の書。
しかし豊久にとっては
祐兵との友情を思い出させてくれる
かけがえのない品だった。
「祭りへ来る時には、確かに持っていたはずです」
豊久は悔しそうに俯いた。
「私の不注意です」
祐兵は静かに首を横に振った。
「まだ失ったと決まったわけではない」
「ですが……」
「二人で探そう」
祐兵は迷うことなく言った。
「大切なものなのだろう」
豊久は顔を上げた。
「ありがとうございます、祐兵殿」
二人は来た道を戻り始めた。
まずは最後に立ち寄った屋台へ向かう。
「すまぬ」
祐兵が屋台の主人に声を掛ける。
「先ほど、この辺りで書を落とした者はいなかったか」
「書ですか?」
主人は考え込む。
「申し訳ありません。気づきませんでした」
「そうか。世話をかけた」
二人は礼を述べ
さらに道を戻る。
団子を買った場所。
踊りを見ていた広場。
花火を見上げていた場所。
豊久は足元を注意深く見ながら
一つ一つ確認していく。
「ここではありませんな……」
「次へ行こう」
祐兵は落ち着いた声で答えた。
やがて
花火を見ていた場所へ着いた。
豊久は周囲を見回した。
「ここで懐から出した覚えはありません」
「ならば、別の場所かもしれぬ」
二人がさらに歩き出そうとした時だった。
「にゃあ」
小春の鳴き声がした。
小春は二人から少し離れた草むらの前に座っている。
「小春殿?」
豊久が近づく。
小春は草むらの中をじっと見つめていた。
祐兵も近づいて目を凝らす。
月明かりに照らされた草の間に
細長い紙包みのようなものが見えた。
「……あれは!」
豊久が駆け寄る。
草をかき分け
そっと拾い上げた。
「ありました!」
豊久の声が夜道に響いた。
手の中には
祐兵から贈られた大切な書があった。
少し土が付いていたものの
破れてはいない。
豊久は胸に抱くようにして
安堵の息を吐いた。
「良かった……」
祐兵も微笑む。
「無事で何よりだ」
豊久は書を大切そうに懐へしまった。
「これは私にとって、本当に大切なものなのです」
「ああ」
祐兵は静かに頷く。
「大切にしてくれていたのだな」
「もちろんです」
豊久は真っすぐに祐兵を見る。
「祐兵殿からいただいたものですから」
その言葉に
祐兵は少し照れたように笑った。
「そう言ってもらえるなら、その書を渡した甲斐があった」
「これからも大切にいたします」
「今度は落とさぬようにな」
「はい……」
豊久は苦笑した。
その時
小春が二人の足元へやって来た。
「小春のおかげですな」
豊久がしゃがみ込み
小春の頭を優しく撫でる。
「よく見つけてくれました」
小春は嬉しそうに喉を鳴らした。
少し離れたところでは
黒猫が二人と小春を静かに眺めている。
「今夜は小春殿にも助けられましたな」
豊久が笑う。
「ああ」
祐兵も笑みを浮かべた。
「大切なものを失わずに済んだ」
二人は再び館への道を歩き始めた。
豊久は懐に手を当て
書が確かにそこにあることを確かめる。
祭りの灯は少しずつ遠ざかり
静かな夏の夜が戻ってくる。
懐にある一枚の書。
それは
祐兵と豊久の間に結ばれた絆を
静かに物語る大切な宝だった。




