第二百九十八話 夏川のヤマメ釣り
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
翌朝。
夏の陽射しが山々を照らし
澄んだ青空が広がっていた。
伊東祐兵と島津豊久は
城下近くを流れる渓流へと足を運んでいた。
「今日はヤマメ釣りですな」
豊久は竹竿を肩に担ぎ
嬉しそうに川を眺める。
「ああ」
祐兵は穏やかに頷いた。
「この時季の渓流は涼しく、ヤマメもよく姿を見せる」
川の水は透き通り
川底の小石まではっきりと見える。
せせらぎの音が心地よく響き
木々の間を吹く風が暑さを和らげていた。
「良い場所ですな」
豊久は目を輝かせる。
「焦らず静かに糸を垂らすことが肝心だ」
祐兵は餌を付け
静かに仕掛けを流れへ落とした。
豊久もその隣で竿を出す。
二人は流れを見つめながら
静かに時を過ごした。
しばらくすると。
「……来ました」
豊久の竿先が小さく震えた。
「慌てるな」
祐兵が声を掛ける。
豊久はゆっくりと竿を立てる。
水面がきらりと光り
一匹のヤマメが跳ね上がった。
「釣れました!」
豊久は嬉しそうに声を上げる。
「見事だ」
祐兵は笑みを浮かべた。
「流れをよく読んでいたな」
「祐兵殿のおかげです」
豊久は大切そうに魚籠へ入れる。
その後
祐兵にも当たりがあった。
ゆっくりと竿を引くと
銀色の美しいヤマメが姿を現す。
「さすが祐兵殿」
豊久が感心する。
「今日は夕餉が楽しみですな」
「十分な数が釣れたら、それ以上は欲張らぬようにしよう」
祐兵は静かに言った。
「必要な分だけいただく。山や川の恵みへの礼でもある」
「はい」
豊久は力強く頷く。
昼が近づく頃には
二人の魚籠には食べるのに十分なヤマメが入っていた。
「これだけあれば十分ですな」
「ああ。残りはまた大きく育ってくれるだろう」
二人は竿を畳み
川辺の石に腰を下ろした。
清らかな流れを眺めながら
持参した握り飯を広げる。
「川の音を聞きながら食べる飯は格別です」
豊久が笑う。
「自然の中でいただく食事は、何よりのご馳走だ」
祐兵も穏やかに答えた。
その時。
「にゃあ」
聞き慣れた鳴き声がした。
小春が草むらから姿を現す。
黒猫も少し遅れて歩いてくる。
「小春殿まで来られたのですか」
豊久は驚きながら笑う。
小春は二人のそばへ来ると
川辺の石にちょこんと座り
流れる水を不思議そうに見つめた。
黒猫は木陰で丸くなり
涼しい風を受けながら目を細めている。
「今日は皆で涼を楽しんでいるようだな」
祐兵が微笑む。
しばらく四人と二匹は
渓流のせせらぎに耳を傾けて過ごした。
やがて帰る支度を整える。
「館に戻ったら、釣れたヤマメを塩焼きにしていただきましょう」
豊久が楽しそうに言う。
「ああ。きっと美味いだろう」
夏の渓流には
涼やかな水音がいつまでも響いていた。
自然の恵みに感謝しながら
祐兵と豊久
そして小春と黒猫は
穏やかな足取りで館への道を歩いていくのだった。




