第二百九十五話 夏朝の鍛錬
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
ある朝。
夏の朝日が飫肥の城下を照らしていた。
まだ涼しさの残る風が庭を吹き抜け
木々の葉が静かに揺れている。
朝の務めを終えた
伊東祐兵は
庭先へ向かっていた。
そこにはすでに
木刀を手にした
島津豊久の姿があった。
「祐兵殿、お待ちしておりました」
豊久は笑顔で振り返る。
「朝から精が出るな、豊久殿」
「はい。昨日、茶屋でゆっくり過ごした分、今日は体を動かしたくなりまして」
豊久は木刀を構えた。
「やはり武士たるもの、鍛錬を怠ってはなりませぬ」
祐兵は微笑む。
「豊久殿らしいな」
祐兵も木刀を手に取った。
「では、少し相手を頼もう」
「喜んで」
二人は庭の中央で向かい合った。
朝の静かな空気の中
木刀が軽く触れ合う音が響く。
カンッ。
カンッ。
豊久の動きは力強く
一歩踏み込むたびに迷いがない。
「見事な踏み込みだ」
祐兵は受けながら感心する。
「ありがとうございます。しかし、祐兵殿こそ……」
豊久が木刀を振り下ろす。
祐兵はわずかに体を動かし
その一撃をかわした。
「相変わらず、動きが読めませぬ」
「力だけでは相手には勝てぬからな」
祐兵は静かに答える。
「相手の動きを見て、次の一手を考える。それもまた武の道だ」
豊久は頷いた。
「なるほど……」
その後も二人は何度も木刀を交えた。
豊久は攻めの勢いを磨き
祐兵は相手を見る力を磨く。
互いの得意な部分を認めながら
二人は鍛錬を続けていく。
しばらくして
豊久が木刀を下ろした。
「良い汗をかきましたな」
「ああ」
祐兵も息を整える。
「豊久殿の槍の腕前には及ばぬが、こうして体を動かすのも悪くない」
「祐兵殿は剣の腕も見事です」
豊久は笑う。
「それに、ただ強いだけではない。相手のことを考えながら戦うところが、祐兵殿らしいですな」
祐兵は少し照れくさそうに笑った。
「豊久殿こそ、まっすぐな強さを持っている」
「まっすぐな強さ、ですか」
「ああ。迷いなく進む力は、誰にでも持てるものではない」
豊久は嬉しそうに頷いた。
その時。
「にゃあ」
庭の隅から声が聞こえた。
小春が歩いてきた。
その後ろには黒猫もいる。
「おや、小春殿も見学ですか」
豊久が笑う。
小春は二人の間を通り抜け
まるで鍛錬の終わりを告げるように座った。
黒猫は木陰へ向かい
静かに二人を眺めている。
「小春殿にも見守られていたようだな」
祐兵が笑った。
「では、今日の鍛錬は十分ですな」
豊久が木刀を納める。
「さて、汗を流した後は茶でも飲みましょう」
「豊久殿は鍛錬の後でも茶を忘れぬのだな」
「もちろんです。鍛錬の後の茶は格別ですから」
二人は笑いながら庭を後にした。
夏の朝。
静かな館には
木刀の音と二人の笑い声が残っていた。
武を磨き
心を磨く。
そんな穏やかな日々が
今日も日向の空の下で続いていくのだった。




