第二百九十三話 神前に願う
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
翌朝。
澄み渡る青空の下
山裾に鎮座する神社は静かな空気に包まれていた。
境内へ吹き抜ける風が
木々の葉を優しく揺らし
蝉の声が遠くから聞こえてくる。
朝の務めを終えた
伊東祐兵と島津豊久は
日頃の感謝を伝えるため神社を訪れていた。
「夏の神社は、心が洗われるようですな」
豊久が鳥居を見上げる。
「ああ」
祐兵は静かに頷いた。
「神前では心を静め、感謝の気持ちを忘れてはならぬ」
二人は鳥居の前で一礼し
ゆっくりと境内へ入る。
参道の両側には
長い年月を重ねた杉の大木が立ち並び
木漏れ日が石畳へ美しい模様を映していた。
やがて拝殿へたどり着く。
二人は静かに手を合わせ
日々を無事に過ごせていることへの感謝を捧げた。
しばらく目を閉じる。
境内には
風が木々を揺らす音だけが響いていた。
祈りを終えると
豊久が穏やかに微笑む。
「祐兵殿、心がすっきりいたしました」
「それは良かった」
祐兵も微笑みを返す。
「神前では、願い事よりも感謝を伝えることが大切だ」
「はい。私もその心を忘れぬよう努めます」
その時。
「にゃあ」
小春が参道の脇から姿を現した。
黒猫も静かな足取りで後を歩いてくる。
「お前たちも来ていたのか」
祐兵が目を細める。
小春は二人の足元へ駆け寄り
嬉しそうに喉を鳴らした。
黒猫は石灯籠の近くへ座り
静かに境内を見渡している。
「ここが気に入ったようですな」
豊久が笑う。
「ああ」
祐兵は頷く。
「この静けさが心地よいのだろう」
二人は境内をゆっくり歩く。
古い御神木の前で足を止めると
太い幹には長い年月を重ねた風格が漂っていた。
「この木は、多くの人々を見守ってきたのでしょうな」
豊久が見上げる。
「ああ」
祐兵は幹へ静かに手を添えた。
「人も木も、長い年月を重ねてこそ強くなる」
夏風が境内を吹き抜ける。
木々の葉がさらさらと揺れ
澄んだ空気が二人を包み込んだ。
小春は御神木の根元で丸くなり
黒猫もその隣へ静かに伏せる。
「豊久殿、そろそろ館へ戻ろう」
「承知しました、祐兵殿」
二人と二匹は
神前でいただいた静かな心を胸に
穏やかな足取りで館への帰路につくのだった。




