第二百九十二話 夏夜の肝試し
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
夕暮れ。
茜色だった空は次第に群青へと変わり
館の庭には涼しい夜風が吹いていた。
昼間の暑さも和らぎ
庭からは虫たちの涼やかな鳴き声が聞こえてくる。
夕餉を終えた
伊東祐兵と島津豊久は
縁側で涼んでいた。
「夏の夜は心地よいですな」
豊久が夜空を見上げる。
「ああ」
祐兵は静かに頷いた。
「こうして風に当たるだけでも、暑さを忘れられる」
その時。
豊久はふと思い出したように笑う。
「祐兵殿、今宵は肝試しなどいかがでしょう」
「肝試しか」
祐兵は穏やかに微笑む。
「面白そうだ」
二人は手提げ提灯を持ち
館の裏手にある竹林へ向かった。
竹が風に揺れ
葉擦れの音が静かに響いている。
月明かりはあるものの
竹林の中は薄暗い。
「昼とはずいぶん違う景色ですな」
豊久が辺りを見回す。
「夜は見慣れた場所でも、違って見えるものだ」
祐兵は落ち着いた足取りで歩く。
その時。
さわり。
風もないのに
竹が小さく揺れた。
「おや」
豊久が足を止める。
「何かおりますかな」
「風のいたずらかもしれぬ」
祐兵は静かに答える。
さらに歩くと。
「にゃあ」
聞き慣れた鳴き声がした。
小春が竹の陰から飛び出してくる。
その後ろには
黒猫も静かに歩いていた。
「お前たちも来たのか」
祐兵が笑う。
小春は提灯の明かりを追い掛け
楽しそうに駆け回る。
黒猫は落ち着いた様子で
二人の後を歩いていた。
「肝試しというより、夜の散歩になりましたな」
豊久が笑う。
「ああ」
祐兵も微笑んだ。
その時だった。
竹林の奥で
白い影がふわりと揺れた。
「むっ」
豊久は思わず身構える。
祐兵も静かに目を凝らした。
影はゆっくりと近づいてくる。
しかし
提灯の明かりが届くと
その正体が見えた。
一本の竹へ掛けられた
白い布だった。
昼間
洗って干していた布が
風に揺れていただけだったのである。
「なるほど」
祐兵は小さく笑う。
「夜は思い込みが、恐れを生む」
豊久も肩の力を抜いた。
「危うく布へ勝負を挑むところでした」
二人は顔を見合わせ
思わず笑い合う。
小春は白い布へ近づき
前足でちょんと触れた。
布がふわりと揺れる。
「にゃあ」
満足そうに鳴く小春を見て
黒猫も静かに目を細めた。
「肝試しも終わりですな」
豊久が提灯を持ち直す。
「ああ」
祐兵は夜空を見上げた。
「恐れるばかりではなく、確かめる心も大切だ」
月は静かに竹林を照らし
涼しい夜風が吹き抜けていく。
二人と二匹は
夏の夜ならではの静かなひとときを楽しみながら
穏やかな足取りで館への帰路につくのだった。




